第21話 フィービー
マナーズ家の屋敷はカウンズホールの中心部から田園地帯へ向かう境目付近にあった。見通しの良い平地にあり、バロック様式――こちらの世界でもそう呼ぶらしい――の屋敷はこの国らしくやや簡素で、しかし落ち着いたベージュ色のどっしりとした外観をしている。大きな柱で囲まれたポーチは壮大ながら、どことなく安心感を覚えた。
徐々に青く染まってゆく景色の中、シモンは基地から借りたままの車を駐車場へ止め、執事からそのまま中へ通された。
「有難う。大変でしたね」
出迎えてくれたのはヴァレリアだった。スチュアートはまだ基地から戻っていないようだったが、事態は把握しているとの事だった。
何故マナーズ家に?との答えは簡単だった。ヴァレリア達夫妻が、ベリンダの代父母なのだという。
なんでもベリンダは幼い頃に事故で家族を失い、一時は祖母と二人で親族の家に身を寄せていたそうなのだが、その環境が劣悪だったため、見かねた夫妻が強引に引き取ったとの事らしい。夫妻にも一男一女が居るそうで、今はいずれも成人して家を出ているとの事だった。
やがてスチュアートが基地から戻り、三人は簡単に夕食を済ませた。
勿論今回の件についての話にもなったが、シモンはマデリンの暴言についてはぼかして伝えた。ベリンダがあれだけショックを受けたのだ。愛情深く育てたであろう二人に聞かせる事も憚られた。
通されたゲストルームは豪華な作りで、Wも居ない事からシモンはふと懐かしい故郷を思い出していた。まだ気は抜けないのだが疲れからか、いつの間にかベッドに身を埋めたまま意識は薄らいでいった。
子どもの玩具やぬいぐるみが置かれている、屋敷のどこかの一室のようだった。窓にはカーテンがひかれ、通す光も無い事から夜である事はわかる。
年代物の立派な机には対照的なパソコンや機材類が並び、その前の椅子にぽつんと、フィービーが腰かけていた。白目まで赤く充血し、泣きはらした後のようだった。
今回はその手に杖は無く、代わりにサッカーボール大のぬいぐるみを両手に抱えている。やや縦長のそれはよく見ると、どことなくWに似ていた。
「私だってマデリンが羨ましかった」
フィービーは独り言のように呟く。
「マデリンは強くて、明るくて、クラスの人気者で。私の両親は喧嘩してばかりだったけど、マデリンの両親は仲が良くて」
シモンは片隅に置かれた小さなスツールを持ってきて、フィービーの斜め向かいに腰かけた。
「でも本当は私の両親以上に、傷害も伴う喧嘩をしていて、父親からはマデリンに対する性的な暴力すらあったと、後になって聞きました。マデリンは強がって長い間誰にも言わなかっただけだった。
きっと、『可哀想な女』だと思われたくなくて」
信じ難い悲惨な話をフィービーは淡々と口にする。シモンが眉間に皺を寄せつつ聞いていると、何時の間にか、またWも傍らに現れていた。
「人を表面的な情報だけで判断していたのは、私もそうだった。だから、気付かない間にマデリンを傷つけていたのは、私の方かもしれない」
そう言ってフィービーは俯き、Wも何も言えずにただ佇んでいた。
「ベリンダ・
シモンは静かにその名を呼び、目線をフィービーに合わせる。
「君のせいじゃない。勝手に被害者意識を募らせる方の問題だ」
そう言われてやっと、フィービーはシモンに目を向けた。大きな瞳は半分ほどに伏せられ、まだ潤んでいる。
「被害妄想を募らせる原因も個人の資質だが、環境の問題もある。マデリンは確かに酷い環境に置かれていた。それを考慮に入れられるのは、やさしいな」
そこまで言って、シモンは口元を綻ばせる。
「だが、だからって暴言を許す必要は無いし、それ以上に自分を責める必要もない」
フィービーはやっと、少しだけ笑って見せた。
「私はベリンダの『今』を共有しています。彼女の見聞きした事は、全て同期されるようにわかる。だから今日はちょっと、ショックでした」
「成長した自分を見たご感想は?」
「理想とは違うけど、かっこいい大人になったと思いました。こういう選択も、悪くないなって」
フィービーははにかむように笑った。
「先日も召喚について聞いた時は驚きました」
そう言ってフィービーは椅子ごとシモンに向き直る。
「それ以外に召喚が行われた形跡も無い。それなのに、『虚無』はどこから?」
「わからない。現状、君からの情報しかないだけに俺も調べようがない」
「でも、そう遠くない未来であなたが『虚無』と戦っている姿も見える。既に存在している事は確かで、戦闘が避けられない事も」
「ベリンダ様」
「フィービーです」
Wがおずおずと呼びかけたのに、フィービーはムッとした様子で言い捨てる。最早ベリンダの幼年期とは分かっているが、何か拘りがあるのか。一先ず従った方が良さそうだ。
「ではあの。フィービー様。ベリンダ様の容態はどうですか。ぼく今、物理的に離れているので気になって」
「眠っていますね。アダムさんも傍にいる。そんなに心配しなくてもいいんじゃないでしょうか」
そこまで言ってフィービーはふと思い出したかのように俯いた。
「第一に、どうして記憶の残滓がこうして目覚めたかも謎です。もし『虚無』の出現に由来するのなら、それはきっと三か月前」
三か月前というと、反乱が起こった時期で、まだ実験も調整段階だったはずだ。
「誰がどうやって呼び出したのか、未だ不明のままだな」
そう言った矢先、再び白い欠片が上方へと舞い上げられ始めた。残滓が消える。
「もっとお話ししたかったんですが、しかたないですね」
フィービーは幾分か気を取り直したようで、柔らかく笑う。
「このお屋敷の朝食はおいしいですよ。特にフライドエッグとベーコン、それに、付け合わせのジャム入りクッキーがとても」
「そうか。楽しみにしておくよ」
やがて亜空間が消え、シモンは朝の光に目を瞬かせた。随分とぐっすり眠れた。呼び出しも無かった事から、昨日は大事にはならなかったのだろう。
楽しみにしていた朝食も恙無く終わり、アダム宅をもう一度訪ねてみるかと思った矢先、基地から緊急の連絡が入った。
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