第10話 魔族
空は昨晩の夢のように灰色の雲が低く流れ、生憎の雨模様だった。
傘をさすのも面倒で、シモンはそのままの格好でWのナビゲーションに従って歩いた。ピトス社から支給されたタクティカルスーツやコート一式は元々防水性で、かつ、耐火性も付け加えられている万能型だ。
基地の周りは整備された道路なため、ぬかるみでブーツが汚れる心配も無い。シモンはフードを目深にかぶり、歩き続けた。
5分ほど歩いただろうか、基地が見える少し隆起した丘の上でWが動きを止めた。
「ここです」
言っていたとおり、建物の名残は何もない。完全なコンクリートの更地だ。
精神を集中して魔力を探知してみるが、漂っている魔素に異常はない。昨日フィービーが消えてしまったように、ここの残滓は既に使い果たしたのだろう。
「取り壊されたと言ったが、新しい図書館はまた別にある?」
「はい。アダム様の祖父が王位についてから、トリオンの中心部へ新設されました」
「それにしては随分放置されていたみたいだったな」
「はい。色々あったので」
色々。
度々出てくる単語だが、シモンは思い切ってWに問う。
「取り壊す予算も無かった」
「いえ。前王朝を懐かしんだ人達が暫く保全していたからです」
「前王朝を?」
訝し気な視線を向けると、Wは少し考え込んでから答えた。
「アダム様のお家。シーモア家はかつて王位を簒奪しました」
思いもよらない答えだった。というのも、資料で見た限りでは「禅譲」とされていたからだ。
Wは続ける。
「今から数十年ほど前になるでしょうか。自由主義のバックラッシュが起きて、極右勢力が力を持ち始めました。
その後ろ盾になっていた公爵家、シーモア家こそが正統だと叫ばれるようになり、数百年にわたって続いた前王朝はクーデターによって崩壊し、今に至っています。」
「……」
シモンは無言のまま、更地になった周囲を見つめながら昨晩の光景を思い出していた。
「廃墟はトリオンの子どもたちの格好の遊び場になっていました。フィービー様
にとっても、思い出深い場所なのではないでしょうか」
そう言ってWもまた、何か考え込んでいる様子で口を閉じた。
「シモンさんの考えている事、ちょっとわかる気がしますよ」
Wはぽつりと独り言のように漏らす。
「クーデターの首謀者とも言えた強硬な保守派。その流れをくむアダムさんに、ちょっと不信感を覚えているのでは」
「……そうだな」
一瞬だけ。アンドロイドの計算も、アダムに限っては間違いでもないのではと思えてしまった。
「ぼくからは何も言えませんが、アダムさんは良識のある方に見えますよ。ベリンダ様とも仲睦まじくて」
アダムは多忙で基本的にカウンズホールに駐留している。
殆ど接触が無いが、その僅かなやり取りで感じる限り、あまり疑わしい点は見受けられない。
ただ、ベリンダの様子だと夫婦間には何かしら問題は抱えているように思われた。加えて先ほどのメンタルケア発言だ。ベリンダの口調が荒っぽいのも、何かあっての事かもしれない、とも。
もうここで見るべきものは無いだろう。
基地へ戻ろうとシモンが踵を返したその時、眼前に一人の男の姿がある事に気付く。
グレゴリーにも似た堂々たる体躯と暗褐色の肌。長い髪の毛は左右で黒と金に分かれている。
遠目に見ればただの人だが、側頭部から生えているとしか思えない明緑色の角と、白目の黒い、エメラルドのような緑の瞳は異質だった。そして、まるで自分が元居た世界のような服装をしている。
アンドロイドが異世界から召喚した人物。それもただの人物ではない、元の世界で例えるなら、魔族だ。
「お前が昨日ネツァクを殺したそうだな」
男はゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
魔族らしい強大な魔力。そしてその圧が嫌でも伝わってくる。
「攻撃されたから壊した。それだけだ」
シモンは眼鏡を外し、ポケットへおさめた。ただならぬ緊張感の中、Wもただ黙って男を注視している。
丁度長剣が届くほどの間合いで男は歩を止めた。
「ネツァクは誠実な女だった。お前は、神にでもなったつもりの連中にあくまで手を貸すのか?」
「神云々の解釈がよくわからんが、アンドロイドはただの機械だ。俺は人間の味方なんでね」
「名は?」
「シモンだ。聞くなら先に名乗るのが礼儀だろう」
男はフンと鼻で笑った。
「私はカレル。まあいい。丁度退屈していたところだ。精々楽しませてくれ」
言葉が終わるや否や、カレルの姿が消えた。
「シモンさん!後ろ!」
悲鳴にも似たWの声が聞こえるより早く、シモンは飛びのいてその攻撃を避けた。
鋭い爪といい、腕全体に纏わせた魔力エネルギーといい、まともに食らえばただでは済まなさそうだ。だが、散歩じみた外出だったため、生憎シモンの手持ちはナイフ程度しかない。
最悪魔法があるにはあるが、この速度では発動が追い付くかわからない。
「少しは歯ごたえがありそうだな」
嘲笑するカレルの攻撃をナイフで受け止め、シモンは跳躍して距離を取った。さすがは魔族。力が強い。受け止めた腕がややびりびりとするのが分かる。
「何故アンドロイドの肩を持つ」
「気まぐれだ。人間どもから残虐な扱いを受ける彼らを守る。人助けもたまにはいい」
だから人ではないのだと何故わからない。
ダグラスもこんな気持ちだったのだろうか。不快感を覚えながらもシモンはカレルの攻撃を受け流す。
そうして大きく踏み込み、ナイフで軽くカレルの脇を掠めた。
「この世界の住民の話も事情も聞かず、人助けとは笑わせるな」
シモンの表情は徐々に険しくなっていく。
すぐに回復したとはいえ、傷をつけられた事に驚いた様子のカレルが今度は距離を取った。
「人間とは違う存在だからアンドロイドに共感も覚えるんだろうが、人間の世界に居るなら人間の社会性くらい身に着けろ。俺にはあんたが、ただの英雄気どりに見える」
吐き捨てるようなシモンの言葉に、カレルの瞳がぎらりと光った。
「いいだろう。手加減は無しだ」
カレルの両手に緑色の炎が躍る。
恐らくただの炎ではない、魔族特有の暗い魔力エネルギーも感じられる。
「あわ。あわわわわ」
防げないと解析したのか、Wの声は涙声になっていた。
「下がってろ」
シモンはWを球体に戻して懐にしまい込んだ。と、同時にカレルの手から巨大な火球が放たれる。
火球は地を這い、シモンを取り囲むようにして灼熱の渦で焼き尽くした。これではシールドも間に合わない。
火球はやがて魔力を失い、赤い火柱となって吹き上がる。
面白くなさそうにカレルは短くため息をつく。急に興味を失った様子で、未だ燃え盛る炎に背を向けた。
しかし。
「火の扱いは俺も得意でね」
熱風にコートをはためかせながら、シモンは無傷で佇んでいた。
その右手は、取り巻く炎を全て吸収していた。
カレルは驚愕の表情で振り返る。
恐らく今の攻撃が最大だったのだろう。
見開いたその目を、シモンのアメジスト色の瞳が睨み据える。
「魔族なんだろう。命のある者は極力手にかけたくない。さっさと帰って、冷静によく考えるんだな」
シモンの静かな言葉にも何の返答も無く、カレルもまたシモンを睨みながら虚空に消えた。
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