第8話 『神』に狙われた少女

 おかしな夢だった。

 夢と言うには妙に現実味があり、しかし現実の世界ではない事もはっきりわかる。


 区切りが全く見えない真っ白な空間は、まるでシモンが構築する亜空間のようだった。次元移動より高度な空間制御の魔法で、使えるものは少なくとも、元の世界ではシモンしか居ない。

 まして空間制御の魔導式が未発見状態であるこの世界で、誰が使えるというのだろうか。


 ぼんやりしていて無意識に発動してしまったのか。

 そんな事を考えていると、いつの間にか目の前に一人の少女が佇んでいた。


 真っ黒なコートで全身を包んだ眩いばかりの長い銀髪の少女、年は十歳そこそこと言ったところだろうか。手には物々しい機械の杖を携え、こちらをじっと見ている。

 厳めしい格好と不機嫌そうな表情が邪魔をしているが、白磁の肌に宝石のように透き通った赤い瞳といい、すれ違えばまず振り返る、類を見ない整った顔立ちをした可愛らしい少女だった。

 そう、類を見ない。



「……ベリンダか?」


 シモンが呟くと、やがて少女の顔はみるみるうちに耳まで紅潮し、一旦は丸く見開いた目をぐっと閉じた。


フィービーPHOEBEです。フィービーと呼んでください」

 動揺からか、落ち着いた風な声は僅かに震えていた。


 どう考えても答えは一つだったが、シモンは追求するのをやめた。



「わわっ」


 そんな微妙な空気の中、唐突にシモンの横から声が聞こえた。Wだ。


「あれっ。シモンさん?ここは?その女の子は?」

 Wは相変わらず機械らしくもなく、混乱した様子でシモンとフィービーを見比べている。

 今回の戦闘で盾が必要になったため、Wは今、ベリンダの研究室で改造中の筈だ。


「フィービーだそうだ。ここがどこかはわからない。夢か、亜空間か」

「亜空間……」

 言葉をなぞってぽかんとするWだったが、そのうち背中の緊急廃熱口を開けて盛大に蒸気を噴出した。計算しすぎてオーバーヒートしたらしい。それもそうだろう。亜空間の定義がわからないのだから。


「考えなくていい。俺も考えるのは諦めた」

「はいぃ」


「……思い切りのいい人ですね」

 フィービーは不審げな目つきでこちらを見ている。

「どうも」

「誉めてないです」


 そう言ってフィービーが杖を少し掲げ、真っ白な床へ打ち下ろすと周囲の景色ががらりと変わった。



 どこかの建物内のようだった。

 薄暗く、人気も無く、打ち捨てられて久しいであろう機材や、経年劣化した壁面や床などから廃墟である事はわかった。

 目の前に続く廊下の窓からは日が差し込んでおり、更に奥にはまた薄暗い空間が広がっている。


 ここは?

 聞くより先に、フィービーが廊下へ向かって歩き始めた。仕方なくシモンとWも後を追う。

「記録は出来ています。夢じゃないですよ。でも」

 きょろきょろと辺りを見回しながらWが声を潜める。


「でもフィービーさん、人間というか、人間そのものではないです」

「精神体と言ったところか」

「はい。霊体ではなく、誰かの精神が魔力で具現化した実体だと思います」



 そうこうしているうちに開けた空間にたどり着いた。遠くから見ていると薄暗く思えていたが、一面ガラスで出来た天井から光が差し込み、埃っぽくはあるがまだ使えそうなソファが幾つかあった。建物のラウンジか何かだったのだろう。

 フィービーは一人掛けソファの一つに腰かけ、シモンもまた、その向かいの一人掛けに腰かけた。


「ご明察のとおり、私は精神体です。記憶から生じた精神体だと思っていてください」

 シモンは無言で続きを促しつつ、いつもの癖で人差し指で眼鏡のブリッジを押し上げようとした。が、眼鏡の無い今、人差し指は空しく空を切った。

「伊達眼鏡なんてかけてるからですよ。かけてない事にも気付かないなんて」

 フィービーは漸く笑顔を見せた。

 寝る前に眼鏡は外している。服装は着替える前の状態だが、眼鏡だけ現実と同じとは。となればこの空間は、無意識の自分が作り上げたものではなさそうだ。



「単刀直入に言うと、私は『神』に狙われています」



 ガラス天井の向こうから、少し強い風の音が聞こえた。流れる雲が増したらしく、室内はどんよりと暗く沈む。

 シモンは肘あてに肘をついて手を顎に当て、考え込んだ。考えたところで仕方がないのはわかっているが、何を聞けば一番適切かを探していた。

 フィービーは相変わらず、どこか沈んだ表情をしている。


「国教会の神、概念としての唯一神ではない」

「はい」

「つまり俺と同じ、異次元から来た何者か?」

「と、言って差し支えないと思います」


「しかし次元移動の魔導式は未発達で、俺しか呼べていない筈だが」

「はい。でも、他に同じ召喚が行われました。マデリンの作り出したアンドロイド達によって」

「アンドロイドが?」


「マデリンが本当に魔導式を確立させたかはわかりません。でも、アンドロイドはその魔導式を応用して、別次元の者たちを味方として召喚してしまいました。

 創造性の無いAIにそんな理論の着想も確立もできません。だから必ず、人の介入があった筈です。でもアンドロイド達の傍にいるのはマデリンしかいない。それにしても不可解ではあるのですが……。

 膨大なエネルギーが必要で、まだ安定化もしていないため、今、この世界に呼び出された者は2名です。そして、いつの間に現れたのか、『神』を自称する虚無までもが」


「君はあまり説明が……いや、推測しかしようがないから仕方がないのか……」

 困惑しながらも思考を整理しようと、シモンは片手で頭を抱える。

「どうも」

「誉めてないぞ」


 先ほどの意趣返しをされたのが面白かったのか、フィービーは少し元気を取り戻したようだった。


「虚無の狙いはこの国を、この世界を支配下に置く事。私にはまだそれしかわかっていません」

「狙われている、とは?」

「実体がない虚無の闇だからです。アンドロイドのように人間を騙す外見が必要で、それで、私が目を付けられています」


「だが君も記憶の精神体だ」

「はい。長時間は具現化できず、記憶の残滓が消費され終わるといずれ消えてしまうでしょう。だからこうして具現化する為の残るエネルギーを使い果たして。虚無に使わせないようにしています。でも」


「精神体だからでしょうか。私の体が使われている未来が見える。あなたの亜空間の中に居て、初めて未来が見えました」


 再び沈黙が訪れた。フィービーは握りしめた手を膝の上に乗せ、俯いている。曇天のせいか、空気さえ重く感じる。


「勝てるかどうかまでは?」

 重い口を開いたシモンに、フィービーは首を横に振る

「そこまでは見えません。私は、私に関わる事だけしか。だから、これからもわかった事をこうやって伝えます。私に出来る、せめてもの抵抗です」


 ぱらぱらと、白く四角い光が上方へと昇っていく。

 亜空間が消えかけている。


「もしよかったら、ベリンダともう少し仲良くなってみてください。そうしたら、夢を利用しなくても、特定の場所であなたと会えるようになる――」


 申し訳なさそうな笑みと、声を残してフィービーの姿が薄れ、シモンの意識もまた失われていった。

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