3日目④

 俺はへなへなと、調理台の陰にしゃがみ込む。顔、アッツ……。調理台のステンレスにオデコをくっつける。冷たくて気持ちがいい。


「推せるわぁ……」


 ん? 扉の方から声が聞こえてきた。調理台から顔を出してパンサーの方を見ると、彼は「いえ、なにも」といった風に首を振る。


「……アンタの上司、めっちゃ可愛いね」


 調理台の上に顎を乗せて俺がそう言うと、パンサーは肩を震わせて明後日の方向を向いた。クソ……超笑われているし。彼の様子に、俺は不服気な顔を返すことしか出来なかった。


 ――パリッ。


 そんな静電気のような音がした次の瞬間、パッと、ノルンが空間からまた現れたので、俺は「いっ!」と驚いた声をあげて、後ろにひっくり返りそうになる。


「言い忘れておったわ。明日の午後に裏庭の視察にいくので、ついてくるが良い。シロクマを迎えに寄越す」


 それだけ言い終わると、彼女はまたパッと消えてしまった。俺は絶対にニヤけているであろう顔を両手で覆って隠す。明日も会える。……お菓子なに作ろう。


 指の隙間からチラッとパンサーの様子をうかがうと、口を手で覆って下を向いて必死に笑いだすのを耐えているようだった。くそ……好きなだけ、笑え。


 ノルンか……名前も可愛いな。ん? でもそういや『ノルン』ってどっかで聞いたな。なんだっけ。


〔 発言してもよろしいでしょうか? 〕


 おお、Menuメニュー。どうした。


〔 『ノルン』はこの世界の創造主の通称です 〕


 じゃあ、彼女がこの世界を作った女神様なの?


〔 肯定します 〕


 神様ってそんなウロウロしてるもんなの?


〔 ……。回答不能です 〕


 さようですか。まぁ、いいや。普通にめちゃくちゃ可愛いし。あ~。でも、これって、この夢から目が覚めたら終わりなのか。ノルン、可愛いなぁ。


 調理台の上に上半身を突っ伏す。顔だけ上げて、パンサーを見る。まだ笑ってるし。


「……なんか食べます?」


 不服げに俺が言うと、パンサーは笑いすぎで出た涙をぬぐってから、丸椅子に腰かける。彼に希望を尋ねると、「初めてなので、陛下と同じものを」と言われた。


 ガトーショコラの皿を差し出す。パンサーは黒のスーツの前ボタンを外すと、ノルンを真似てキレイな食べ方をした。返す返すもシロクマ将軍が一番ビビっていたことが面白い。


「その黒いスーツ、カッコいいな」


 ハリウッド映画に出てくるシークレットサービスみたいで、実はちょっとさっきから気になっていたのだ。


「これはネコが陛下のドレスと揃えて着替えろと。エス……ピー? がどうとか」


 ネコ、短期間で随分と俺の世界の情報にカブれてるな。思わず苦笑する。


「じゃあ、ネコに頼んで明日は、お揃いでその黒スーツ着ようぜ」


 普段なら絶対提案しないようなことを口にして、高校生の頃に戻ったようだ。俺、だいぶ浮かれてんな。娘には見せられねぇわ。


 ガトーショコラを食べ終わったパンサーに、昨日ネコに試食させたクッキー生地の乗ったシュークリームを出す。ネコは喜んで食べていたし、豹って猫と同じネコ科だったよな。同じように気に入るといいが。


 パンサーはケーキの時よりも物珍しそうにした。食べ方わからんのかも。ネコは普通にかぶりついてくれたけど。


「あ、普通にそれは手で持って、かぶりついて食べて」


 食べる動作を見せてやると、彼はシュークリームを持ち上げた。そして、大きな口でかじりつく。その時だった。


 ボタッ。反対側に押し出されたカスタードクリームがシュー生地を突き破って、パンサーのズボンの太もも部分に落ちた。



「キャッ!」



 ん? キャッ? いやいや……そんなことより、濡れた布巾!


「気をつけてって、先に言えば良かったな」


 俺は急いで布巾を濡らして搾ると、パンサーのそばにしゃがみ込んで、彼の太ももに落ちたカスタードクリームを拭う。


 あちゃ~、黒のスーツだからシミ目立つな、これ。まぁ、ネコに言えば、新しいスーツか、キレイに洗濯するかできるだろう。


 そんなことを考えながら、スーツのズボンをなるべくキレイにすべく、さらに拭いてあげようとすると、ばっと股を閉じて足を避けられた。


 あ? パンサーを見上げる。まるで女性のような仕草で身をよじって、俺から逃げていた。


「もう! やめてちょうだい! 自分でできますから!」


 俺が困惑の極みで呆然としていると、ガチャリと扉が開いてネコが「掃除していい?」と顔をのぞかせた。


 ネコが来たことで、パンサーは立ち上がり、彼女のそばに駆け寄る。その走りよる様子もネコとコソコソ話している様子も、完全に女子だった。


 ほんとさっきまでの超硬派そうなパンサー君、どこいった?


 高校の廊下で「だいじょうぶー?」とか言いながら慰めたり慰められたりしている女子高生にしか見えないネコとパンサーを見ながら、俺はしゃがみ込んだ状態から動けずにいる。


 しばらくすると、ネコはパンサーの背中を撫でて、スーツの汚れを落としてやったのか、彼は俺の部屋を出ていった。


「……あの……あれ、どういう……?」


「あ~うん……。でも、本人の口から直接言われたわけじゃないし」


 俺の疑問に、ネコは少し考えてから、そう答える。心は女……みたいなことか? それは、難儀だな。俺はようやく立ち上がって、流しで布巾を洗う。


 ネコも勝手に部屋を掃除し始めた。あ、服の追加を頼まんと。慌てて、寝室に入ったネコを追いかける。


「あのさ、コックコートの替えと、他にも服ほしいんだけ……ど」


 そう言い終わらないうちに、すでにクローゼットに大量の服があることに気がついた。


「その黒の上下だけじゃ、ダサすぎるし、増やしておいた」


 ダ……ダサいだとぉ。機能重視なんだよ。それになんだ、その話し方は!


 よく見ると、ネコの足元はルーズソックスになっていた。


 メイド服のスカートの丈も短くなっている!


 急に二人目の娘をもったような感覚に襲われ、眩暈がしてきた。


 お父さんは、そんな子に育てた覚えはありません!!



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※物語の演出上、動物達がチョコレートを含んだ菓子を摂取している描写がありますが、絶対に犬や猫といった動物にチョコレートを含む食品を与えてはいけません。

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