異世界生活3日目

3日目①

 昨日はひたすら惰眠を貪った後で、焼き菓子のフィナンシェとマドレーヌの研究に勤しんでいたら終わってしまったが、焼き菓子として店の看板商品になりそうなくらい良い出来になった。


 焼き菓子は郵送もできるし、お歳暮の時期はまだしもお中元の時期は、ケーキ屋は閑散期なので経営上どうにかしたい部分である。


 それに同業者で最近、インターネットという新しい技術を使用した通信販売を始めて当たっている奴もいるし、田舎の弱小洋菓子店としては、早めに開拓したい分野だ。青田買い、青田買いと。


 それにしても、こんなに自由な時間ができたのは、本当に久しぶりだ。


 製菓専門学校を卒業して、菓子職人一年目で右も左もわからないうちに子供もできて、結婚してからはより一層、ガムシャラに仕事をしてきた。


 まぁ、仕事のし過ぎもあって離婚したわけであるが、それに関しては元妻も同じなのでお互いのせいだろう。そう面と向かって、彼女に言う勇気は全くないけど。殺されるわ。くわばら、くわばら。



 調理台を眺めつつ、今日はどのレシピを改善しようかと思案をする。


 腕を組んで、片足をパタパタしていて、「あ!」とその動作をやめる。


 このクセ、元妻からよく怒られたな。「やめろ」って。


 最近だと、娘からやめろって言われる。遺伝子なのか、一子相伝のなにかか? ダメだ。考えるのやめよ。俺、離婚して、もう十年以上経つのに、アイツに縛られすぎでしょ。


 向こうは再婚して、子供までいんのに……。ヤバイ……思い出して、さらに落ち込んできた。


 頭を振って、思考をリセットする。気分転換にちょっと散歩でもするか。


 一昨日、この部屋にシロクマに連れてこられて以来、部屋を出ていない。でも、この屋敷の構内図わからんな。最初の大仏女に会ったホールの規模からして、だいぶ大きな屋敷っぽいが。うーむ。


 なぁ、おーい。お前に聞きたいことあるんだけど。俺は、頭の中の女に語りかけた。


〔 はい。どうされましたか? 〕


 この屋敷の構内図を見たいんだけど。気分転換に散歩したい。


〔 わかりました 〕


 視界の左上に地図が表示された。赤く点滅しているのが現在地か?


〔 肯定します 〕


 おー、サンキュ。サンキュ。


〔 有意提言 〕


 お? またか。ユウイテイゲン。お前の言うこと、イチイチ難しいよな。


〔 ご入り用の際は、『Menuメニュー』と呼びかけをお願いします。『おい・なぁ』といった感動詞のみでは、思考情報または会話情報かの判別がつきません 〕


 う……。またしても元妻のフラッシュバック。「『お前』って呼ぶのやめてよ! あと、『おい』とか『なぁ』とかじゃなくて、ちゃんと名前を呼んで!」ってよく怒られたな。


 あと「嫁」呼びも怒られた。結婚生活の最後の方の冷たい彼女の顔が忘れられず、俺は「嫁」という言葉が怖くて、いまだ使えない。


 ……はい。善処します。


 俺は、トボトボと肩を落として部屋を出ると、散歩に出かけた。


***


 ここの扉を開けると、裏庭に出られるみたいだな。


 構内図を見ながら裏口に辿り着いた。


 ドアノブを回し、扉を開けた隙間から、眩しいくらいの日の光が差し込んでくる。


 めちゃくちゃ良い天気だな。ずっと窓のない部屋にいたせいか、目が痛い。どんな風景が広がっているのかと、ワクワクして扉を大きく開く。


 だが、青天の日差しに照らされた裏庭は、草木が茫々におい茂るジャングルだった。


***


「は?」


 思わず、口から声が漏れでた。


 やぶ蚊がいそうだが、意を決し、ジャングルのような裏庭に五歩ほど、俺は足を踏み入れる。


 ジャングル内は、クリスマスツリーで使われるようなモミの木の根元に、熱帯雨林で虫でも食べてそうなヤバめのデカイ花が咲いていた。また、背の高い木々にはバラっぽい花が朝顔のように、ぐるぐると巻き付いている。


 そして、そんな空間の真ん中には、突如としてデカイ松の木が一本ドドンと植わっており、周りには石でできた日本庭園モドキが鎮座していた。


 なんだ。これ。生態系無視しすぎだろ……。カオス極まりない。


「おい、アンタ、何の用だ」


 頭上から声をかけられて見上げると、ハンモックから狼が俺のことをのぞき込んでいた。今度こそ食われるかもしれん、と冷や汗が頬を伝う。いや、でもシロクマも意外と気のいい奴だったし、食われずに済むかも。


「……あー、一昨日からこの世界に来た菓子職人の洋司だ。おたくは?」


 俺の問いかけに対して、ハンモックを大きく揺らして、狼は俺の前にシュタッとヒーローのように舞い降りた。麦わら帽子を斜めに被って手で抑えている様子は、有名なカウボーイ映画の主人公に似ている。荒野の狼!


「アンタが噂のヨージか。俺は、庭師のウルフだ。よろしく」


 彼が握手を求めてきたので応じたが、獲物を今にも切り裂きそうな獰猛な爪が若干怖い。ってか、庭師……? 庭師ッ!? 随分と芸術家肌だな……。


「それにしても、この庭すごいな……」


 一応、言葉を選んで、このジャングルの感想を伝える。


「ああ、表の方はさすがに陛下からのご要望の通りにしたが、こっちは好きにしていいって言われたからな」


 わりと自慢げ。


 しかし、生えている植物を見る限り、こいつの魔法は、植物なら環境お構いなしになんでも好きに育てられるスキルっぽいな。謎のバラ朝顔とかもあるし、品種改良も可能そうだ。


「なぁ、果物がなるような植物も育てられたりするか?」


 かなり思い付きだったが、提案してみる。


「クダモノ? 知らん植物だな、それは」


 そう言って、麦わら帽子を斜めに被り、片目を隠しながら顎をさする様は、無駄にワイルドだった。しかし、やっぱ知らんのか。


 はい。Menuメニューさん、出番ですよ! 情報送っちゃって、送っちゃって!


〔 承知しました。庭師ガーデナーインターフェイスシステム『Gardenガーデン』へ該当情報の送信を開始します。『Garden』より受信許可を確認。『Garden』受信完了しました 〕


「ほう、これは面白そうだ」


 彼はそういうと、ジャングルの一角を分解回収して更地に変える。


「さて、最初のご希望はあるかな?」


 まずは、イチゴとオレンジ、バナナはほしい。とりあえずこの三種をお願いする。


 ウルフが麦わら帽子を更地に向かって投げると、帽子がフリスビーのように彼の手元に返ってくる頃には、イチゴにオレンジ、バナナの木が果実をたくさんつけた状態で出現した。


「おお~。すげぇ。俺もスキル使うとき、そういうのやろうかな。あ、味見していい?」


 ウルフは「味見」という単語がわからないのか首を傾げる。この世界の奴らに首を傾げられるのにも慣れたので、同意を待たずにイチゴをむしると、俺は口の中に放り込んだ。


 んー、酸味がちょっと強いけど、生クリームに合わせるなら丁度いいか。


「ハッ! これは噂通り、豪儀な方だ! 植物を口に入れようなんて思いつきもしなかった」


 彼らには食事の習慣がないのだから、俺は相当に酔狂な奴に映っているようだ。俺で言うところの、テレビで芋虫とか食っている部族を見た感覚に近いのだろう。


「ん。アンタも食ってみれば?」


 次にバナナをもいで、皮をむいてモグモグと食べながら、彼にも一本勧める。彼はバナナを受け取ると、俺の真似をして皮をむいた。こいつ器用だな。


 ウルフの喉がバナナを前に、ゴクリと鳴る。だが、シロクマくらい渋るかなという俺の予想に反して、次の瞬間には、パクリと口に入れたので驚いた。


 おお、豪儀はお前さんの方だぜ。


「……なるほど、これは面白い」


 二回目の「面白い」来たな。こいつ、俺と一緒で研究型の職人だ。是非とも仲良くしたい。


「もし良ければ、これからも色々作って試食させてくれよ。あ、この果実わけてもらっていい? 菓子に使いたい」


 ウルフは、もう俺のことなど見えていないといった感じで「好きなだけ持っていってくれ」と背を向けて、他のジャングルも更地に変え始めた。

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