パンサーさん③
どんどんクッキー型で生地を抜いていって、最後の余った生地はまとめると適当な正方形を作って天板の隅に置く。僕はしゃがみ込んで、オーブンの下段に天板を差し込んだ。
〔 承知しました。『オーブン』百八十度・十五分で開始。十分後にタイマーを設定します 〕
赤オレンジの光に熱せられるクッキー生地。
僕はしゃがみ込んだまま、オーブンのガラス窓から焼かれるクッキーを、ぼんやりと眺めた。
それから、気を取り直して、クッキーが焼き上がるまでの間に、先ほどの騒動で、若干存在を忘れかけていたリンゴのコンポートに取りかかる。
鍋の中のリンゴを確認すると、砂糖とリンゴから染み出した水分が溶けて良い感じだ。コンロに鍋を置いて、火にかける。焦げないように、木べらでかき混ぜつつ煮詰めていった。
「あらやだ。いい香り。ウルフのリンゴなんて、いつも丸かじりしてたわ」
「歯強いですね」
パンサーさんは、僕がそう言うと、歯をむき出しにしてガジガジと噛んで見せた。シロクマさんといい、肉食動物の犬歯怖い。
鍋の中の水分が十分になったので、弱火にする。ここから、もう少し煮詰めていこう。
〔 十分が経ちました 〕
手にミトンをつけると、オーブンの扉を開けて天板を引き出した。
うん。なかなか良い感じだ。少し場所によって焼きムラがあるので、天板を回転して後方だった側が手前にくるようにオーブンへ再び投入する。
また、三分後に教えてください。
〔 承知しました 〕
「手慣れたものね。ヨージを思い出すわ」
「あはは。それ、ネコさんにも言われました」
って、ネコさん、掃除終わるの遅いな。昨日の感じだと、掃除と言ってもスキル使って、ホウキを回すだけだよな。クッキーが焼きあがったら様子を見に行くか。
調理台の下から焼きあがったクッキーを冷ますための、ケーキクーラーを取り出す。このケーキクーラー、網目が細かくて格子状で使いやすそう。今度お母さんに言って、似たタイプのものに新調してもらおう。
〔 三分が経ちました 〕
また、ミトンを手にはめて、オーブンの扉を開ける。天板を取り出すと、天板ごとケーキクーラーの上に置いた。残った生地をまとめて作った正方形のクッキーを取り、半分に割って、その断面を確認する。
うん。中まで火は通っているようだ。焼きあがったばかりのクッキーは壊れやすいので、このまま天板ごと冷まそう。
クッキーも焼けたし、そろそろネコさんの様子を見に行くか。気まずいけど……。
「ネコさん、大丈夫ですかね」
「言われてみれば、あの子、掃除、終わるの遅いわね」
バスルームの方へ、パンサーさんとともに向かう。扉を開けると、ネコさんはしゃがみこんで、ベソベソと泣いていた。
「ちょ……ちょっとネコさん、大丈夫ですか?」
僕は慌ててしゃがみ込み、ネコさんに声をかけた。パンサーさんも膝に手を置いて、かがみこんでいる。僕たちの声に、ネコさんがぐしゃぐしゃの顔を上げた。
「う……ア……オイ……ごめ……んなざい……。がっでに……どびら……あげぢゃっで……」
全然、何言っているのか、よくわからないけど、謝ってくれているようだ。
「いいよ! もう、気にしてないよ!」
泣いているネコさんの背中をさすりながら、そう言うとより一層泣きの勢いが強まったので、僕はどうしたら良いか、わからなくなる。
「だぁああああ……ごめ……んなざい……」
うーむ。それにしても、ネコさん酷い顔だな。鼻水、垂れているし……。僕は、こみあげてくる笑いをどうにか飲み込んだ。ポケットからティッシュを取り出したパンサーさんは、ネコさんの鼻水を拭いてあげている。
「ちょっと、アオイ君、余計に困ってるでしょ。って、ブッハ! アンタ、ひっどい顔ね!」
僕が我慢していたのに、パンサーさんがそう指摘して大笑いするもんだから、僕も笑いだしそうになるのを必死に肩を震わせて耐えた。
「バンザぁ……びどい……」
でも、鼻水を拭かれながら、ぐしゃぐしゃの顔でそういうネコさんを再び見たら、もうダメだった。
「ププ……ほん……本当にもういいから。クッキー焼いたよ。一緒に食べよう!」
ネコさんの手を取って、立ち上がるのを手伝う。
「……アオイ……まで……笑っでるじ……」
ちょっと怒った顔をしたネコさんを見て、いつもの元気が出てきたようで安心した。
クッキーの粗熱が取れるまで、調理台の丸椅子に腰かけた二人に飲み物を出す。ネコさんにはホットミルクを、パンサーさんにはアールグレイを。
コンポートの鍋を確認すると、水分のカサはだいぶ減ってきていた。一度、火を止めよう。
続いて、オーブンの天板が触れることができるまで冷えたことを確認する。ケーキクーラーから天板をおろし、今度はクッキーそのものを天板から外して、ケーキクーラーの上に置いた。
「ちょっと焼きあがったばかりで、柔らかいけど。味見どうですか?」
ネコさんに猫の形のクッキーを、パンサーさんには熊の形のクッキーを渡す。
「フフッ。まだ温かくて美味しい。クッキーの焼きたてってこんな感じなのね」
「……美味しい……」
良かった。良かった。ネコさんの豪快なベソかき顔のお陰で、先ほどまでショックだった出来事も笑い話にできそうだ。
「ププ……ごめん……ちょっと思い出した……」
思い出し笑いする僕に、ネコさんは「もうッ!」と、きまり悪そうに頬を膨らませた。
彼女たちの帰り際に、クッキーを紙袋に入れてお土産に渡すと、二人ともとても喜んでくれた。賑やかな二人がいなくなり、急に部屋が広く感じる。
〔 レシピスキル:『型抜きクッキー(葵)』を新規登録しました 〕
二人がいる間は、気を遣って話しかけずに待っていてくれていたようだ。
〔 恐縮です 〕
いつもと変わらない調子の
じゃあ、えっと、焼く前のクッキー生地も登録お願いします。
〔 レシピスキル:『型抜きクッキー生地(葵)』を新規登録しました 〕
〔 『取得条件:五つお菓子を作る』をクリア。調理製造スキル『分離』が解放されました 〕
〔 素材スキル『生クリーム』の情報を開示。『生クリーム』取得条件:素材スキル『牛乳』及び調理製造スキル『分離』の取得。現在、素材スキル『生クリーム』の作成が可能です。作成を開始しますか? 〕
もちろん、イエス!
〔 素材スキル『生クリーム』の取得に成功しました 〕
はぁ、長い旅路だった。お菓子といえば、生クリーム。生クリームといえばお菓子。
さてと、なんだかんだで、もうすぐ二十二時だ。リンゴのコンポートを簡易冷蔵庫にしまうと、僕は早めに寝ることにした。
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