ウサギさん②
わけがわからない。泡立て器とボウルを持ったまま立ち尽くしていた僕はため息をつく。
その時だった。突然、足元が支えを失って、体が落下し始める。落ちる系のジェットコースターに乗ったかのような嫌な浮遊感で、僕は恐怖で目を閉じた。
ドンッ。僕は無様に尻もちをついて、カラランとボウルが転がる音が響く。
恐る恐る目を開いた。眼前にはステージのような壇があり、壇上の中が見えないように薄いレースの大きなカーテンがユラユラと揺れている。キョロキョロと、あたりを見回すと、パルテノン神殿のような柱が等間隔で立っていて、床は大理石なのかヒンヤリと冷たかった。
天井には淡い光を放つ光源がいくつも浮かんでいる。部屋の広さは、学校の体育館くらいあるが、他には誰もいないようだ。
「そなたが此度の異世界人か?」
この世のものとは思えないような声が響き、脳を直接揺さぶられる。
そして、声に合わせたかのように薄いレースのカーテンが真ん中から左右に開くと、巨大なベッドの上に、これまた巨大な女性が横たわっていた。
例えるなら有名な福岡にある寝そべっている大仏像みたいだ。でも、大仏は女性に失礼かな。そうだな、ヴィーナスの有名な絵画でこんなのあった気がする。
あまりに次から次へと、ありえないことが続くので、逆にだんだん関係のないことばかり頭をよぎる。この状況を打破すべく、僕は声をひねりだすために、喉に力を込めた。
「……こおッ…ここはどこですか?」
「ここは、『ここ』としか言えんが。はて……。そなたの世界が彼方であるならば、こちらは此方。また逆もしかり」
「陛下、もしよろしければ、私(わたくし)が説明を」
僕が巨大な女性との禅問答のような問いかけに困っていると、開ききっていないカーテン部分から聞き覚えのある男性の声がして、ウサギさんが現れた。
「ふむ。許す」
「貴殿は、菓子職人としてこの世界に呼ばれた。陛下の期待に応え精進するように」
ウサギさんは宣言通り、僕のことは知らない体のようだ。
「菓子職人って、僕がですか?」
彼が相手だと、「陛下」と呼ばれる巨大な女性よりもいくぶんか、話がしやすい。
「肯定する。陛下は、現在『ガトーショコラ』をご所望である。即時の献上を命じる」
「すいません。即時の献上? どういうことですか? 調理場や材料は用意してもらえるのでしょうか? あと僕はレシピを見ないと作れないです」
巨大な女性の目が驚きで見開いた。目乾きそう。超怖いよ。変なこと言っちゃったのかな。
「こやつは、先の異世界人とは違うのか。ウサギよ、どういうことじゃ。異世界人は皆、あの能力があるのではないのか」
ウサギさんの名前、まさかの『ウサギ』だった。そんなことあるの?
「ははッ! すぐに委細確認いたします上、しばしのお時間を賜りたく」
僕の困惑をよそにウサギさんは片足をついて跪くと、非常に緊張感のある声を出す。
「もう良い。そなたに全て任せる。余は興が覚めた」
巨大な女性が寝返りを打って背中を向けた。すると、カーテンが自動的に閉まり始め、閉まり終わると同時に彼女の気配はどこかに消えてしまった。
「陛下のご機嫌を損なった。これは非常にまずい」
壇上から階段を使って、ウサギさんが僕の前へ下りてきた。ブツブツと何やら独り言を言っている。色々と聞きたいけど、聞ける雰囲気ではなさそう。とりあえず、床に転がっていたボウルを拾い上げると、僕は立ち上がって尻の埃をはたいた。
「君、まずは自分のスキルの確認はできているか?」
ウサギさん、二人の時は「君」って呼んでくれるんだ。「貴殿」って、こそばゆかったから助かる。それにしても『スキル』ってなんだろう。ゲーム用語みたい。
「確認の仕方がわかりません」
僕は正直に答えた。思案するようにウサギさんは顎に手をあてる。
「目を閉じて、『
反抗してもどうにもならないので、僕は言われたとおりにやってみた。
「
すると、目を閉じて暗闇のはずの視界に、金色の魔法陣が浮かび上がりクルクル回り始める。
〔 異世界人用プロトコル『
女性の声でナレーションが始まった。
〔 私は、
発声は不要って、頭の中で言えばいいだけってことかな。
〔 肯定します 〕
独り言に返答が返ってきて、ビックリ。ってか、ビックリなことばかりで、ビックリし疲れてきた。まぁ、ともかく『スキル』なるものを確認しよう。
〔 スキルチャートを展開します 〕
目の前に『素材』『調理製造』『レシピ』の項目が表示される。とりあえず『レシピ』の項目を選択。視線を動かすだけでカーソルが移動する仕組みみたい。すごい。
〔 お褒めいただき、恐縮です 〕
全部、心の声を読まれていて、ちょっと恥ずかしくなった。
それはそうと、『レシピ』の項目は、どれも『■■■』となっていて選択できない。
〔 原則、レシピに必要な素材が全て揃うと、該当レシピが解放されます 〕
なるほど。それじゃあ、と僕は前の画面に戻ると『素材』を選択した。こっちも『■■■』ばっかり。でも『レシピ』と違って取得条件が開示されているものも多かった。
〔 現在使用できる素材スキルは『砂糖』のみとなります。使用されますか? 〕
砂糖だけあっても……と思いつつも、一応、僕は心の中で「イエス」と唱えてみる。
ズザザザザザ。音にビックリして、思わず目を開けてしまった。手に持っていたボウルの中に『砂糖』が入っている。僕がオロオロしていると、目の前で僕の様子を伺っていたウサギさんが口を開いた。
「他に使える素材スキルはあるか?」
「ないみたいです。砂糖だけです」
ウサギさんは困ったように、片足をパタパタさせながら腕を組む。
今までの状況から推測すると、こうやってガトーショコラの材料をスキルで出していって、レシピのガトーショコラの項目が解放されれば、僕は『即時ガトーショコラを献上できる』ということなのだろう。なんとなく仕組みを呑み込めてきた。
〔 肯定します 〕
あ、目つぶってなくても
〔 肯定します 〕
目を開いている状態でもスキルチャートを確認できたりしますか?
〔 可能です 〕
視界を遮らないように薄く透けたスキルチャートが右側に表示された。『素材』をもう一度選び、『取得条件:一つお菓子を作る』となっている『■■■』があることを確認する。次に『調理製造』を選択する。こちらも『■■■』ばかりだった。
〔 現在使用できる調理製造スキルは『直火』のみとなります。使用されますか? 〕
この場で急に『直火』は危険な気がするので、一旦『キャンセル』を選択。
〔 残念です 〕
〔 恐縮です 〕
心の声が駄々もれだ……早く慣れないと。砂糖と直火でできるお菓子って何かあるかなぁ。
ボウルの中の砂糖を見つめて考える。
「あ!」
ひとつ思いついた! ひらめいたアイデアを早く実行すべく、ウサギさんに急いで確認する。
「この世界に水はありますか?」
腕を組んで考え事をしていたウサギさんは顔を上げて、僕を見た。
「水はある。陛下は湯あみを好まれるので」
「試したいことがあるので、どこか調理できる場所を貸してください!」
とにかくお菓子作りをするしかないこの現状に、僕は腹をくくった。
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