88話 母子手帳

 夜になって食事も終わり長い一日のゴールが見え始めている。

 家に帰るころには結ちゃんの熱も落ち着いてきていて、夜になっても上がることはなかった。

 今は布団でゆっくりと小さな寝息を立てながら横になっている。


「優さん。ご飯作ってくれてありがとう」

「いえいえ。普段も遥さんが作る担当というわけではないんだよ」

「これぐらいしかできないからさ。この家にいるために何かできたらなと思うよ」


 ちなみに今日は生麵とスープが入ったセットの味噌ラーメンとフライパンで並べて焼く餃子を二人で食べた。

 こういうアクシデントがあったときのために食料をストックしている。

 彼女たちがここに来てから生活が変わったなと思うのであった。

 一方で、遥さんは部屋の棚を漁って何かを探している。

 色々と彼女たちのものが増えたことを感じる。

 気を使って遺品は捨てないで、段ボールに入れて隅に置いてくれている。

 以前よりもスッキリと片付いた印象がある。


「あった、あった」

「何か探してた?」

「母子手帳だよ」


 ゴソゴソ漁りながら見つけたであろう冊子は結ちゃんの母子手帳だ。

 彼女や結ちゃんのデータがたくさん記入されているものだ。

 A6サイズの小冊子は大切に保管されてきたのかピカピカだ。


「よかった、よかった。見つけられて」

「うん。まぁ、あってもなくてもって感じだけどね」


 意味ありげに言う彼女は俺にそれを差し出した。


「見る?」

「見ても大丈夫なの?」

「いいよ。私、お風呂入って来るからね」


 彼女は母子手帳を俺に渡してから風呂場へと向かっていった。

 身内にも見られたら嫌な人もいるだろうが確認したいことがあるから読ませてもらう。

 表紙には母親と赤ちゃんのイラストが描かれている。

 表紙をめくると親の氏名を記入する欄がある。

 しかし、そこには何も書かれていなかった。

 彼女自身のことも真っ白だ。

 出生届出に関する事項にはその旨が書かれていて安心した。

 結ちゃんの戸籍がないことになってしまう。


「えっ、仙台?」


 安心したのも束の間、出生した場所を見たらこの家がある東京都とはかなり離れた場所であった。

 彼女の住んでいた場所も知らないが、現実結ちゃんを仙台で産んで、今ここに居る。

 お金も少ない遥さんはどのように移動したのだろうか。

 その後も妊婦と健康状態や、職業のページも何も記入されていない。

 結ちゃんがまだ生まれる前、遥さんのお腹に居たときのデータ、医師が記入する欄も空欄、ただ一行を除いて。

 それは妊娠二十三週と書かれている。

 遥さんと出会ったときはほとんど行ってないって言ってたから数回は行っていると思っていた。

 母子手帳をもらうための最初の一回とこれだけということだと思う。

 だからか、血液検査や歯科の検査もしていない、もしくは実施したがその結果を受け取っていない。

 出産状況はしっかりと書かれていて健康に結ちゃんが生まれてきたことが記録されている。

 妊娠40週、体重や身長も正常だと思う。

 そのぺージを眺めた後、ページをめくる。


「……あれ? 入院してないの?」


 母体の経過に関してのページで指が止まった。

 そんなことあるかと思ったが紙に穴が開くほど見ても何も書かれていない。


「書類貰って、結ちゃん連れて、すぐに帰ったのか……そんなことあるのか……」


 結ちゃんを命がけで産んだ体でそんなことできるのだろうか。

 そもそも制度的にできるのか分からない。

 海外では一日で病院を出るということも聞いたことがあるが日本ではあまり聞かない。

 でも、遥さんならやるだろう。

 入院している日が増えれば増えるほど入院費も増える。

 そのことを危惧すれば彼女なら、自分の体をたたき起こして出ていくだろう。

 一か月検診は彼女の言った通り行ったことが記入されていた。

 その後も母子手帳をめくり進め、読み終えた。

 本来埋まっていなければならない欄が白いことから彼女は、あってもなくてもと言ったのだろう。


「やっぱり遥さん。頑張ってるよ。誰にも頼らない、頼れないで。結ちゃんがここまで元気で居られたのは」


 遥さんの努力がなければ結ちゃんも生まれていないし、この家にもたどり着いていない。

 俺は少しでも二人が自分の足で生きていけるようにと、この一か月共に生活してきた。

 遥さんが結ちゃんを支えていたものを少し手を添えてきた。

 それが俺も勉強になったし毎日が楽しくなっていた。

 俺も遥さんと同じだけ結ちゃんを支えたいと思う。

 そろそろ、遥さんと俺、結ちゃんと俺、濃い一ヶ月で信頼関係を掴むことができた。

 遥さんと結ちゃんもそう感じていてほしい。

 横で寝ている結ちゃんの手のひらを撫でてこう言った。


「結ちゃん、結ちゃんが大きくなるまでお母さんと一緒に見守ってもいいですか?」


 結ちゃんは小さい力で俺の指を握った。

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