76話 報告②
お茶を用意してから報告の続きをすることにした。
彼女は口では外では頭をすっからかんにしていたと言ってはいるが結ちゃんのことを忘れるはずがない。
遥さんというのは、そういう親なのだ。
「ねぇ、ミルクあげた感想は? 結を預けてお出かけするのは初めてだから、解凍してあげるのはなかなかなかったよね」
「そうだね。そこそこ緊張してたよ」
「何を緊張したの。そんなに難しいことじゃないでしょ? 今の近藤優には。慣れたでしょ?」
遥さんは不思議そうに顔を見る。
「お母さんが一生懸命搾った母乳を無駄なく結ちゃんに届けることに」
「なんで、そう思っちゃうの~。ひっくり返して失敗しても粉もあるんだし、心配しなくてもいいのに」
「だって、もとは遥さんの血液でしょ。ある意味命がけで生成しているわけだからさ……えっ?」
「ははは、あははは」
真面目に答えたつもりであるが大笑いし始めた。
涙が出るほどに笑っていることから笑いのツボにヒットしたのだろうか。
「あはは、なんちゅう捉え方してるのよ~。元が血とか言わないでよ~。ちょっと怖いよ。そんなに頭使ってする作業じゃないよ~。ああ、面白かった。笑って熱くなっちゃった」
ヒーヒー笑いも落ち着きを見せて手で顔を仰いでいる。
「直接おっぱい飲まれていると液体はあんまり見えないからさ。人のおっぱいを結に飲ませるのに緊張したってことなんだ。人様の血が由来だから。こぼすわけにいかないって?」
「そう。こうやってあらかじめ搾乳っていうのかな、搾って保管するのもエネルギー使うでしょ? そう思うとミスれないなって……」
俺の肩をポンポンとしてから俺に労いの言葉を発した。
「お疲れさまでした。もうそんなに考え込まないでよ」
頷いてテーブルを見ると俺が寝ているときに使ったのか哺乳瓶が置かれていた。
時間が経っているのか中のガラスについているミルクがカピカピに乾いている。
それを手に取っると遥さんは「あ」っと声を出した。
「洗うの忘れてた。洗わないと」
「洗うよ」
それを台所に持って行くと後ろから彼女は付いて来て、横に並んだ。
洗ってないコップ類も置かれているからついでに洗うことにする。
俺が洗剤で洗い始めるとポツリと言葉を紡ぎ始めた。
「こんな話していたら最初のころを思い出すよ」
「ん、生乾きの布を捨てたあたりのことか?」
「それより前、病院にいたとき。結が生まれたとき。今でこそ、こうやってあげられているけど……最初の時はやっぱり出にくかったな……初乳って言うのかな? 最初のはなんか栄養たっぷりみたいな話をされたんだけど。今みたいには出なかったな。それでもスタッフにミルクの時間だと言われ、当てがっても出ないし。やっとの思いで出たのはスプーン一杯かな。参っちゃったよ」
話を聞きながらも洗い終わり、水を止めると肩に少し重みを感じ始めた。
少しだけ俺より背が低いからちょうどいい高さになっている。
今日の遥さんは甘える姿をよく見せる。
「でもこの結が生まれてからの一か月ちょっとで今が一番出てるかな、慣れたからかな~」
「それもあるかもしれないが、今までで一番リラックスできる環境にいるからじゃない? 今まではストレスがかかり過ぎだ、ホテルやら公園やらよその家やら。でもここはよその家とはいえストレスゼロとは言えないけど……ましでしょ」
「そうだね、ここに来てから緊張することなくなった。誰かに頼る方法も知ったし、甘え上手になった」
遥さんは頭を軽くこすりつけながらこのように付け足した。
「親子ともども、甘え上手になったよ」
隣からの遥さんの匂いが、今日は何だか少し甘さを持っていた。
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