91話 思い

「優さん、一緒に結を……。優さん?」


 彼は全身の力が抜けて一定のリズムで小さな呼吸音を奏でている。

 今日は朝早く起きて、昼には私たちのために雨の中帰ってきて、そして車を運転して病院に連れて行ってくれた。

 待ち時間もあったから肉体的にも精神的にも疲弊した一日だっただろう。

 私ひとりだったらどうだっただろうか。

 病院に連れて行っただろうか、そもそも病院という選択肢はあったのだろうか。

 もし今も誰に頼ることもなく家を転々としていたり、外で野宿していたらそもそも生きていたかもわからない。

 何度でも言える。

 私ひとりでは結を大人になるまで見届けることはできない。

 一緒に見守って欲しい人ができた。

 今、私が抱き着いている人物、近藤優だ。

 彼の体は大きくて心地よく、そして安心する。

 私と結をいつ何時も支えてくれている手を握った。

 子供でもない、しっかりとした大人の男性の手だ。

 でも、自分で食事をつくったりすることもあったようであるが、一人で住んでいたから不摂生もあったのか肉感もある。

 昨日イチゴケーキを食べたときのことを思いだした。

 彼はああいうお店に行ったことがないようだ。

 そのきれいな手をいつまでも握っていたい。

 あの人の手とは大違いだ。

 思い出すと気持ち悪くなるからやめよう。

 優さんがゴソゴソと寝返りをしそうになったところで手を離した。

 彼を起こさないようにして自分の布団の方へと戻る。

 私たちがいるから無理をして早く帰ってきてくれるだろうし、夜泣きもまだあるから少しでも寝かせてあげたい。

 結の額に触り熱を確認すると人のほのかな体温だ。

 もう明日には元気いっぱいの結に戻ると思うと心の底から安心する。

 結のまだ薄い髪の毛を指で撫でながら私は彼女に問う。


「結、聞こえてるかな。私……お母さんだけじゃあなたを育てられない。結も赤ちゃんなりに分かっているよね。お母さん、おバカだし、一人じゃ何もできないし、お金ないし、住む家もない。結が思っている以上にお母さんはポンコツだよ。でも今は幸せに、つらいことなく暮らせてるよね。パパ代行のおかげだよ。お母さん、彼なら代行じゃなくてもいいと思うんだ。結はどう思う?」


 彼女に小さい声で語りかけたが寝ているし、そもそも言葉を理解する年齢ではない。それでもオレンジ色の豆電球が照らしているから彼女の表情は分かる。

 寝ているのに少し口を動かして笑っている。

 この選択は私にとっても結にとっても新しい一歩になることだ。

 目を閉じてから小さい声で彼に言う。


「優さん、明日お話したいことがあるから。もしかしたら感づいているかな」


 そう思ってくれていたら嬉しいなと思って目を閉じた。

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