18話 就寝

 食事が終わり片付けを終えると、遥さんは結ちゃんを抱えたままコックリコックリと頭を上下させていた。

 片づけが終わる頃には、夜が更に深くなっていた。

 遥さんの肩を軽く触り起こす。


「遥さん。布団で寝たら?」


 眠りは浅かったのかすぐに目覚めた。

 しかし、寝ぼけまなこであることは変わらない。


「……優さん……ごめんなさい、片付けさせて……」

「いえいえ。歯、磨いて、布団で寝たら?」

「うん……」


 結ちゃんを一旦マットにおいて、洗面所へと向かう遥さん。

 昼の二回に続き、三回目の結ちゃんと二人きり。


「お母さん、お腹いっぱいになって。眠くなっちゃったかな? 疲れちゃたかな?」


 そんなことをつぶやいたが、もちろん結ちゃんから返答があるわけでない。

 でも、幸せそうに、何も恐れるものがないかのように眠っている。

 数分もすると遥さんはリビングへ戻ってきた。


「じゃあ、もう寝ますね……すぐ起きると思うけど……」

「ああ、横になって目を閉じるだけでも休まるよ」

「うん、優さんはまだ寝ないの? もういい時間だよ」

「もう少ししたら横になる」

「うん。今日はありがとね。たくさん助けてくれて」


 そういうと二人は部屋に去っていった。

 シーンと静かなリビングになった。

 去って30分後に結ちゃんの泣き声が聞こえてきた。

 

「おむつかおっぱいかな」


 本当にお母さんは大変だ。

 数分後に泣き止まない結ちゃんを連れてリビングにやってきた。

 結ちゃんの泣き声がリビング中に響き、遥さんの顔は焦っている。


「ごめんね、うるさくないかな。近所にも……」

「いや、大丈夫だよ」

「でも……」

「空き家が多いから。まぁ、もしなんか来たら俺が泣いてることにするよ」

「ふふふ、面白いね」

「それぐらいの責任をもってこの家に入れたから」


 遥さんが床に座り、パジャマ代わりのTシャツの裾をたくし上げた。

 俺は電気を少し小さくした。

 生後一か月の赤ちゃんも朝夜の感覚が多少芽生え始めてるかもしれない。


「……隠さなくていいのか?」

「もういいよ。優さんも気を使い過ぎて疲れちゃうよ。楽にしていていいよ。気にしてないから」


 そう言って遥さんは結ちゃんの口元に胸をあてがった。

 無理をしているわけではないようだ。

 そうみていたら遥さんは物理的に辛そうにしてる。

 昼とは違ってゆったりとしたTシャツを着ているから、結ちゃんの顔に服が当たらないように歯で噛んで抑えている。


「歯、大丈夫か?」

「ふん。だいじょーぶ……」


 全然大丈夫じゃなさそうだ。

 シャツが唾液で濡れ始めている。

 彼女の様子に見ていられなくなって、俺は立ち上がり未使用の洗濯ばさみを持って来た。


「ちょっと、失礼。口、開いてくれる?」


 両手がふさがっている遥さんの近くに行き、洋服のシャツをワイ字洗濯ばさみで止めた。

 結ちゃんと遥さんに触れないように気を付ける。

 もう片方の飲んでいないほうの胸は隠れるように整えた。


「……ありがとう」


 遥さんは小声で俺に言った。

 留めた洗濯ばさみを見ている顔は少し赤くなっている。


「ごめん勝手に近づいて。もしかして触れちゃった? ごめん。両手ふさがってるからと思って。明日以降便利グッズ買おうか? 今日はとりあえず洗濯ばさみで。こんなもんしかないから」


 顔をあげた遥さんは首を数回、横に振った。


「助かるよ。顎下げてると首痛くなっちゃうし、よだれで服がびしょびしょになっちゃうから。知恵があっていいね。かっこいいよ」


 結ちゃんを支えている手を少し離してシャツに手を添えて続けた。


「この服さ、ダボダボなのに襟を下げては飲ませられないんだよ。下からじゃないと飲ませられないからさ。だから別に気にしてなかったよ、見られてても。でもいつも歯とか顎で抑えてたから悩みが一つ解決したよ、本当に嬉しいよ」


 多少快適になったようで良かった。


「結、落ち着いてきたね」

「そうだね。良かった、良かった」

「だって、もう片方の胸隠してくれてるし。紳士的でホントにかっこいいよ」


 かっこいいって何回も連呼されると少し照れてくる。

 顔が少し熱くなった。



「……お茶でも飲む?」

「ん-ん。トイレに行きたくなっちゃうから。ありがとう」


 火照りが収まった俺は、笑顔な遥さんと結ちゃんのほうを見た。

 結ちゃんはゆっくり口元を動かして飲んでいる様子が見られる。


「なるほど。こうやって赤ちゃんは飲んでるんだ」

「赤ちゃんがおっぱい飲むシーンを目にするのは初めてなの?」

「逆にあると思う? 一人っ子だからないよ」

「そっか~、貴重だね~、感想は?」


 改めて結ちゃんを見て感想を伝える。


「吸啜反射って本当にあるんだな~かな」

「吸啜?」

「吸啜、聞いたことない?」

「うん。どんな意味?」

「赤ちゃんが口に何か入ってきたら吸い付いて啜る原始的な反射。漢字のまんまの意味。反射だから結ちゃんは無意識というか意志とは関係なく起こしているってことだな。探索反射みたいなのもあった気がするんだけど……一か月もしたら薄れるのかなって思ってたけどまだあるのかもね」

「へー。知らなかったよ。今しか見れないのか~」


 赤ちゃんが、結ちゃんが生きるために結ちゃん自身も頑張っている。


「なるほどなるほど、私の乳首を口に当てると吸い付くのはそういうことだったんだね」


 納得したかのような顔をしている遥さんであるが、よそ見をしている。

 結ちゃんが飲み過ぎたのか、供給過多なのか口から少し溢れてしまっている。


「ちょっと、溢れてる。垂れてるって」

「え、何が?」


 ようやく気が付いた遥さんは焦る様子もなく、結ちゃんを離した。

 自分のことはさておき結ちゃんをげっぷをさせている姿を見ると、やっぱり結ちゃんの母親であると思う。

 お湯で濡らしたタオルを渡して、彼女は肌を拭いて座り直した。


「お騒がせしました」


 二人が寝たのが十一時、起きたのが三十分後、そして今は十二時過ぎ。

 赤ちゃんがいる家庭の夜は、まだ長いことを身に染みて感じた。

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