17話 帰宅

 来た道を車で走り、何事もなく家に到着した。

 鍵を開け扉を開く。


「お邪魔します」

「ただいま、だよ」

「……ただいま」


 遥さんは少し恥ずかしそうにしてから部屋に入った。

 荷物を台所に置きリビングに戻った。

 彼女は疲れたのか今にも寝てしまいそうで、うとうとしている。


「荷物は俺がやっとくから、少し横になりなよ」

「ありがとう」


 一階の奥の部屋に買ってきた結ちゃんの布団と押入れの布団を敷いた。

 大きさがまるで違うことを見ると小さな命が来たことを改めて感じる。


「奥の部屋、布団敷いたから。寒くしないように」

「……うん。あんがと。ふぁああ」


 あくびしながら結ちゃんを抱えて部屋に行った。

 その後、台所に戻り荷物の整理を行うことにした。

 ベビー用品を手に取ると、半日前までこの家にあるはずのないものを買ってきている。

 そのことが、俺が彼女らを少しだけ支えるということを物理的に伝える。

 それが終えてから、俺はエプロンを着て手を洗う。

 一人暮らしだから家事は苦手ではない。

 食べ物を買ってこなかったので、冷蔵庫を見て何か作れないか考える。

 手際が良いわけでもなんでもないから時間はかかったが、二人が起きてくる前までには作ることができた。


 夜八時ぐらいになったら部屋から遥さんと結ちゃんが出てきた。


「……ごめんね。お布団ありがとう……たくさん寝ちゃった……あれれ、もうこんな時間だ」


 リビングの時計を見たら、目が急に覚めたようだ。

 しょぼしょぼした目がはっきりとしたように見える。

 こんな日があってもよいが、寝すぎたことに驚きを隠せなかったようだ。

 カーテンは既に閉まっていて、隙間からは暗闇が見える。


「ああ、ゆっくりできたようでよかったよ」

「おなか……減ったな……」

「ん、夕ご飯作ったよ」

「ありがとう」

「ギャーギャー」

「ちょっと行ってくる」


 結ちゃんが泣き始めたため、部屋に戻って結ちゃんの世話をすることになった。

 その間に食事の準備をする。

 しばらくすると上機嫌になった結ちゃんと、へとへとになった遥さんが戻ってきた。


「お疲れ様さんだね」

「うん。おなか空いた」

「ごはんにしようか」


 今日作ったのは、白米、おでん、ほうれん草のお浸し、豆腐、シラス大根おろし。


「なんかすごいね。上手だよ」

「いや、これしか作れないよ。味付けが苦手でね。後から味足せるのばっかりだよ」


 醤油を持ち上げ豆腐にかけながら話した。


「そうなんだ。でも、ありがとう。いただきます」


 そう言ってご飯から手を付けた。

 目の前に置かれた箸を使いお椀によそった白米を口まで運んだ。


「それはまずくないはずだ、レンジでチンだから」

「うん。おいしいよ」

「ごめんね。本当は炊き立てを食べさせてあげたいんだけど……一人だと炊いてもあましちゃうから……生米は買ってない」

「ははは、謝らないで。そうだよね」


 俺はカセットコンロによって温められているおでんの大根を取った。

 遥さんは十分にしみた卵を取った。

 だしの匂いが湯気とともに部屋中に漂っている。


「ゆでるのが得意みたいだね。おいしいよ」

「レトルトパックを火にかけてるだけだよ」


 感想を言いながら箸を進める遥さんを見ながらお茶を飲んだ。


「シラスいいね。こういうの好きだよ」

「魚久しぶり? 今まで食べにくかったでしょ?」

「鮭弁とか食べてたけど……なんで?」

「ほら、妊娠中は水銀よくないってマグロとか注意するでしょ? そもそも、刺身みたいな生ものとかで、食中毒とか気を付けていたでしょ?」

「えっ、マグロ、ダメだったの?」


 やはり知りませんという顔をしている。

 彼女は箸を持ったまま前のめりになっている。


「気を付けたほうがいいって言われてると思うけど……ほかにも生ハムとか生のチーズとかさ。なんとか菌が良くないとか。聞いてなかった?」

「……わからない。病院嫌いだし……。ほとんど行ってないし……」


 彼女は箸を持ち、シラス大根に醤油をかけて白米に乗せた。

 真っ白な白米にシラスと大根を介して醤油が広がる。

 それを咀嚼して飲み込んだ遥さんの口からはまだ何も発せられない。


「……ああ、そうだ。聞き忘れてたけど、食べられないものない? アレルギーとか?」

「……なんで細かい心配までしてくれてるの?」

「だって、あなた一人の体じゃないから。俺、分からないから、自分のこと以上に注意するでしょ? アレルギーで倒れたら誰が結ちゃんの面倒を見るの? 今は俺がいるけど、遥さんしかいないよ」


 結ちゃんの様子を見てから遥さんは話し続ける。


「私……知らなかった、結がおなかにいるときマグロ気をつけたほうがいいこと」

「そっか……」

「優さんに会ってまだ一日経ってないけど、自分の知らなさ加減を感じてる。自分の体と結に直結することも知らなかった。このままだと知らないうちに結が苦しむことになっちゃたかもしれなかったんだなって」


 あまり深刻にとらえる必要もないのかもしれないが、彼女にとって一番大切なのは結ちゃんだ。

 そのことを考えると、彼女の心情も理解できる。


「ま、知らなくても問題ないこともあるけどね。まぁ、ここから学んでいけばいいんじゃないの?」

「……ありがとう」


 食事中に深刻になってしまったことに気が付いた彼女は、明るい雰囲気となった。


「でもでも、妊娠中はマグロは食べなかったよ。お寿司は食べてない」

「回転ずしとかは、一皿100円。お財布に優しい気がするけど」


 少食なら数皿食べて満腹になるから弁当買うよりもお得な気がする。


「お金ないや。しかも、結構大食いだからさ。寿司数皿じゃお腹いっぱいにならないよ」


 確かに、沢山食べている姿が幸せそうに見える。


「結ちゃんがお腹にいるとき……ちゃんと家にいたときも、あまり食べられなかったの?」

「うん。まぁ……そうだね。食べてくれる人いなかったから。寂しくて食が細くなってたかな」

「前の人、一緒に食べなかったの?」

「うん……そうだね」


 うっかり前の夫の話を掘り返してしまった。

 俺からは、聞かないと心の中で決めていたが聞いてしまい、彼女を暗くさせてしまった。

 そんな心配をよそに彼女は、両手を広げて満面の笑みを見せた。


「だから、こんなにあったかいご飯本当に久しぶり。みんなで同じご飯を食べるのはホンおいしい」

「まぁ、気に入ってくれてよかったよ」


 二人がいつまでいるかわからないけど、俺もこの経験で何かを得てから送り出したい。

 遥さん、そして結ちゃんにはお腹いっぱいで過ごしてほしい。

 俺はおでんの火を少し弱め、再び箸を持った。

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