8話 握られた手
床を立ち、台所で手を洗ってからもう一度座った。
遥さんは不思議そうな顔をしている。
「あの……お願いしてもいいかな?」
「急に手を洗ってどうしたの?」
人差し指を出しながら言葉を続けた。
「……結ちゃんに触っても……いいかな?」
このお願いに遥さんは噴き出すほど笑った。
「ぷっ、そのために手洗ったの。ぜひ触ってみて」
「じゃあ、失礼しますね」
指が震えながらも結ちゃんの左手に軽く触れて、そして握られた。
「ああ~なるほどね。これが赤ちゃん……」
「どう。私の娘は」
顔を近づけてきて質問してきた。
遥さんと結ちゃんはなんとなく似ているパーツもある。
結ちゃんはまだ完全な人間らしい顔ではないが、それでも似ていると思う。
「やわらかい。あったかい」
「ははは、握り返しているね」
今、俺は結ちゃんに、にぎにぎされている。
赤ちゃんを触った経験はあまりないけど、肉感がぷにぷに? むちっとした感じでいつまでも触れ合っていたい。
こうやって手とか触れたら握り返すのは把握反射だったか。
本当に存在するのかと思いながら握られている。
でもちょっと、すぐに壊れてしまいそうで、手汗が止まらない。
「ちょっと、緊張している? いいね~、慣れてない感が出ていますよ~。私も握ってもらおう」
そう言って加勢するかのように結ちゃんの反対の手を触った。
「結、結」
そういう遥さんは本当に優しい顔をしている。
「お母さんって感じだね」
「そうかな」
少し照れた様子の遥さんは、握られていないほうの手で自分の頬を触っている。
「あっ、そういや何か月なの、結ちゃん」
「一か月ぐらいかな」
やはり生まれてからはあまり日が経っていなかったようだ。
見た目からしてもこの世に生を受けてから間もないように感じていたが、正解であった。
「ということは生まれてから一か月家にいなかったってことか」
「ええ、まぁ……そうだね」
「結ちゃんは元気なの? 遥さんは?」
「元気だよ……たぶん。一か月検診はオッケーもらえた。実は昨日行ってきたの」
「そっか……お金大丈夫だった?」
自治体によっては補助があるかもしれないが、交通費もかかるから完全にお金がかからないわけではない。
「ギリギリのギリギリ。出産費用払ってたらアウト。いつの検診が義務で何が任意なのかわからなかったから、行くしかなかったの……生まれてからずっとこんな感じだったからさ……なにか病気してたら悲しいじゃん。とりあえず見てもらったの。結のことを見てもらうのは大変ありがたかった……私自身への問いは緊張した」
少し苦笑いをしながら昨日の出来事を語る。
「病院嫌いなの?」
「はい。大嫌い。結構いろんなこと聞いてくるんですよ。根ほり葉ほり。当たり前かもしれないですけど。困りごとないかとか、おっぱいは出てるか、とか」
「そうだろうね。いろいろ聞いて悩みを共有したいだろうね、病院も。それで解決したいだろうね」
「でも、嫌いなものは嫌い」
病院側としてはあたりまえのことをしているだろう。
遥さんも親としては新人であるから、悩みを少しでも減らして帰って欲しいと思っていただろう。
でも、本人が病院嫌いなら、信頼関係を積むのも時間がかかることであろう。
「まぁ……何回か検診も飛ばしてるから信頼感もないのかもしれないですけど」
目の前で頬を掻きながら衝撃的なカミングアウトをした。
「何回か飛ばしてるって。妊婦さんの時ときもあんまり行けてなかったの?」
コクリと頷く遥さんはその真意について話し始める。
「お金が本当にないときは飛ばしちゃいました……。いや、ほとんど行ってないかも……1回、2回かな……無事に生まれてくれて本当に良かった」
「まぁ……良かったのか。困ったときはちゃんと話聞きに行ったほうがいいよ」
今となれば多少笑い話にもできないこともないが、おなかの子がどうなってるのかよくわからないのは不安が募っただろう。
お茶を一杯飲んで「しっかり行ってね」と告げた。
「……がんばる。次は多分三か月」
「三か月か。それまでにはしっかりと生活を立て直そうね……予防接種は?」
「わからない……でも、私頑張るから……協力してください」
赤ちゃんを家に入れたことはいいが、知識が足りない。
予防接種も始まるだろうが、いつ打つか調べる必要があると感じた。
頑張ると言い頭を下げた彼女からは我が家の石鹸の匂いがした。
ここで遥さんと結ちゃんの生活を再構築する。
俺は頷いて協力することを伝えた。
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