7話 甘えていい
「最初は一緒に役所に行って支援をお願いするのもありかと思ったんですけどね」
「……」
だんまりになってしまった。
言ってはいけない一言だったかもしれない。
「わかってます。嫌ですよね。あんまり人に頼ることを好いてないですよね」
そこまで俺は鬼じゃない。
せっかくここまできたのに追い返すなんてことはしない。
「はい。……人に頼るのは苦手です……縁を勝手に切っただけで親はいます。帰る場所が完全にないとはいえないんで……でももう嫌なんです……」
「大丈夫。そんなことしません」
「……本当に私たちのこと考えてくれて……嬉しいです。あなたには頼れます」
せっかくの綺麗な顔が涙でぐしゃぐしゃになっているが話を続ける。
「じゃあ、この家にいてください。また外に出られたら結ちゃんが、かぜひいたりしたら、知り合った身としては悲しいから」
「助かります」
「でも、この家俺も住んでますけど」
この問いに答えようとしている遥さんは涙が止まり、少し笑顔で俺のほうを改めて見て答え始めた。
「優さんがいるからいいんです。ちゃんと私のことも結のことも見てくれています。今までそんな人いませんでした。前の夫……本当に短い夫婦生活でしたけど、私の名前をあまり言ってもらったことなかったんですよ。たった三文字ですよ、私の名前。はるか、の三文字」
「その前の夫からはお前とかおい、とか言われてたんじゃないですか?」
「正解。大当たり」
当たっても全く嬉しくない、むしろ悲しい。
「おい、お前以外で呼ばれたのは……覚えてないぐらい前ですね」
溜息しか出ない。
彼女の前の夫の話がちょくちょく出ているが現状悪い部分しかわからない。
三文字の名前を呼べないのであれば、仮に別れないでいても、自分の娘の二文字も呼んでいなかっただろう。
「そうですか……逆に不便じゃないですか?」
「なんか面白い人ですね。そんなところに目をつけるなんて」
「そうですかね」
「そんな不便だなんて返しされるとは」
すごく面白がられた、面白いことは言ったつもりはないが……確かに面白いかもしれない。
「あはははは……話戻しますけど最初に結の心配してくれたり、まさかお茶飲めるか聞く人は優さんしかいませんよ」
「お茶の心配は………そうですね。こっちもよくわからないんでね」
「あとこの家の居心地がいいです」
「そうですか。一人で住むには寂しいですけどね」
一人暮らしには広い、一階の一部屋しか使ってなくて持て余している。
「賑やかになりますよ。お祭り騒ぎ。ご迷惑をおかけします。よろしくお願いします」
「楽しく過ごそう。じゃあ、そういうことで。よろしくね」
軽く頭を下げたら、遥さんも頭を下げてきた。
「お願いしますね。あと敬語やめにしませんか。多分同年代でしょ。何歳ですか?」
「俺……二十一歳です……次の六月で二十二歳ですけど。」
「えっ、そうなんですか。じゃあ、敬語はやめにしましょう。私もやめていいですか……ちょっと私のほうが年下ですけど……知らないうちに下の名前で呼び合ってましたけど。疲れちゃう」
俺は首を縦に振った。
「優さん、よろしくね」
早速砕けた言い方になった。
思い出したように遥さんは俺に聞いた。
「初っ端に私の年齢教えてるから別に敬語使わなくて良かったと思うよ」
「初対面に対していきなりタメ口はないでしょ。こう見えても普通の社会人なんだ。そんなことはさておき」
「さておき?」
「最後にもう一つだけ」
遥さんは正座をし直して手を膝に置いてこっちを見る。
「助けてほしいって、ちゃんと伝えてって言ったけどね」
「うん」
俺は一息ついて言い放った。
「そんなこといったって助けてくれるような甘い世界じゃないぞ。このことは遥さんが一番分かっているだろうけど」
いきなり突拍子もないことを言ったから大きく目を見開いている。
「つまり俺は2人に甘ちゃんを許しちゃったってことだよ。助けてって言って救われるような世の中だったら、たいていの社会問題解決してるぞ。つらいと感じている人いなくなるよ。でも解決には程遠いよ。そんな甘々な世界じゃないよ。大人になったら全部責任は自分だよ。この日本は18歳で成人しちゃう世の中だよ」
伝えたいことを次第に理解してきたようで、また目が悲しそうになっている。
「……そう……だね」
「お金がなくて子供を育てられないとか、今日のご飯がないとか、兄弟がお金を得るために学校行けないとか」
「……聞いたことあります……」
「これはいまの遥さんだろうけど、働いてお金を得たいけど子供を預ける先がないとか、そもそもそのお金がない。今は補助が出たりするかもしれないけど、お金はかかるもんね。遥さんも困ったでしょ。働かないとなって、お金稼がないとって」
「私だね……」
現に彼女は病院代を滞納している。
いつまでも滞納を許してくれるようなことはない。
だからお金を得てしっかり払わなければならない、彼女自身の手で。
「でも、職場も耳は傾けるかもしれないけど結局は助けてくれないよ、多分。そりゃあ、働き方改革やら産休とか育休とか言われているけどさ。きっとそれは本当に真っ白な会社だけだ。生ぬるくないぞ、この世の中。いいのか悪いのかっていうと何ともいえないけど。ね」
「うん……」
「誰もが幸せに暮らせるような世界じゃない。誰かが幸せだったら誰かはそうではない。全員が普通に暮らせるそんな理想的な世界じゃないよね、今生きているこの社会は。厳しい荒波だ、社会は。知ってると思うけど。数年前まで、俺も知らなかったけど」
全世界の人々が幸せに暮らせているような世の中ではない。今も誰かが犠牲となりながら世界は動いている。遥さんも納得しているような顔をして結ちゃんを抱きかかえた。
「こんな理不尽な世の中に結ちゃんはこれから飛び込んでいくわけだ。しかも背中を押すのは遥さん、お母さんだよ。この世にたった一人のお母さんなんだから。お父さんはどっか行っちゃったみたいだし。ねっ、お母さん」
「はい。私は結のお母さんです」
ハッキリとした声で宣誓するように言い放った。
「まぁ、頑張ってここに来たからね、今まで甘えられなかった分、ここでは甘えていいから。甘ちゃんしとくよ。なんでも頼っていいからね」
「はい……」
「苦しい思いさせたくないでしょ、結ちゃんに。少なくとも何かの縁で会った以上は、俺はそんな思いをしてほしくないよ」
「私も……」
俺の言葉が少しで何か救われるわけではないだろうけど、少しでも刺さってくれればいい。
「だから、今まで用よく耐えたね。お疲れさまでした」
「……はい」
「じゃあ、事情聴取と説教はここでおわろう。結ちゃんも疲れちゃう」
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