青い木の実

寄賀あける

 空のように青い木の実 

 霧雨の中を二人の若者が黙々と歩いていた。この先になにがあるか判らない、それでも進まぬわけにはいかぬ。二人は使命を負っていた。


 雨はしっとりと二人を濡らす。二人が踏みしめる獣道も、その道を埋め尽くす枯葉も、周囲に見える木立も、みなしっとりと濡れている。冬枯れの山を包んだ霧雨は氷のように冷たかった。


 めったに雪が降ることはないが、夜になれば寒さはひとしおとなる。今夜の寝床はどうしたものか、二人がそれぞれ思い悩み始めるころ、肉の焼けるいい匂いが漂ってきた。はっと前方を見透かすと、白く煙った先に薄ぼんやりと灯りが見える。小屋がある。誰か住む者がいるらしい。すがる思いで小屋の戸を叩いた。


 小屋の住人は大柄な男だった。男からみれば子供のような二人を見ると驚き、すぐさま中に入れと二人に勧めてくれた。


 小屋の中央に設えられた囲炉裏で赤い炎が燃えている。暖かな空気に生き返った心地でいると、次には囲炉裏にかけられた鍋から漏れる匂いに腹の虫が鳴いた。串に刺してあぶられているのはなんの肉だろう? 空腹にいやでもつばが湧いてくる。


 食い入るように囲炉裏を見詰める様子から二人の空腹を察した男が座れと促し、椀を取り出すと鍋の中身をよそい分け、それぞれの前に置いた。椀の中で湯気を立てているのは芋粥だった。


「熱いぞ」

椀を見詰めたまままんじりとも動かない二人を見て、笑いながら男が言った。震える手で箸を掴み椀を持ち上げると、躊躇ためらいも恥も消えた。ひたすら粥をすすりながら、頬を熱いものが伝うのを感じる。空腹による切なさからか、食を得られた喜びからか、涙のわけは二人にはわからなかった。


 せわしなく箸を動かしながら泣く二人を男は穏やかに眺めている。ふと、思い出したように立ち上がり、どこからか串に刺したものを二つ持ち出すと、囲炉裏に刺して炙り始めたほかはただ黙って座し、二人の様子を眺めているだけだ。


 勧められるままに二人が炙り肉にかじり付くころになって、ようやく男も食事を始めた。と言っても、粥は二人が食べ尽くしたあとである。少し焼けすぎた肉を齧りながら、

「こんな山奥に、なにをしに来た? 道に迷ったわけでもなかろう?」

と尋ねる男に二人は顔を見交わした。どこから話してよいのか、その前に話したところで笑われはしないかと思ったのだ。


 躊躇いながら一人が言った。

「探し物にきた」

「探し物?」

父親てておやが病に倒れ、うわごとを繰り返す。『木の実、木の実』と……何か気掛かりなことがあるのだろう。父親はもう助からぬ。どんなまじないも効き目が現れず、巫女様もさじを投げた。だから、せめてその気掛かりを解き、あの世に送ってやりたいのだ」


「木の実とは何をさすのか、村の長老に聞いてもわからない。巫女様に聞いたらば、この山のどこかにあるとせんが出た。だから探しに来たのだ」

もう一人が話を引き継いだ。


「木の実、か……」

 火箸で火の様子を見ながら、男は何か考えているようである。


「いくら山でもこの冬に、そうそう木の実が見つかるとも思えぬな」

「うむ……」

父親が病だといった若者が俯く。


「それでも! それでも巫女様は言った。この山のどこかにある、と」

 もう一人の若者が身を乗り出した。

「探してみないことには判らない――この世に未練を残して死んだ者の魂は浮かばれ

ない。そんな哀れな……」

激昂しそうな若者の腕をもう一人の若者がそっと押さえる。その手に鎮められ、激しさを見せた若者は座りなおすと固く瞳を閉ざした。思いは父親が病の若者――鎮めた若者のほうが強いはずだ。


 そんな二人を前にして、男は『空のように青い木の実』のことを思い出していた。二人が探しているのはたぶん……いや、間違いなく『空のように青い木の実』だ。


 だが、男は違うことを二人に言った。

「お前たちは随分と仲がいいのだな」

二人は顔をあわせると、照れたように笑った。初めて男に見せる笑顔である。


「幼い頃より、なにをするにも一緒だった」

「ほう、そうか」

つられて男も微笑んだ。


「俺も若いころはお前たちのように、仲のよい友がいた」

「こんな山奥にか?」

朴実な若者の質問に、男が声を立てて笑う。

「馬鹿を言うな、こんな山奥に昔から住んでいるものか――お前たち、胡桃くるみを知っているか?」


 当たり前だ、と、今度は若者が笑った。それもそうだな、と男が苦笑する。

「俺とそいつはよく、胡桃を取っては割って食べたものだ。だがある日、どうしても割れない胡桃があった。俺とそいつは悔し紛れにこう言った。『この胡桃は我らが絆の証。なにがあっても壊れはしない』と」

「いい話ではないか」

朗らかな若者の声に寂しげに頷きながら、男は続けた。


「だがある日、俺たちの前に一人の乙女が現れた。美しく心優しい乙女だった。俺もあいつも乙女に心を奪われた」

「――困ったことになったな」

「それでどうなったのだ?」


 口々に質問を浴びせる若者に苦笑しながら男が答えた。

「俺は友に預かった恋文を乙女に渡すことなく、己の心を乙女に伝えた。友を裏切ったのだ。それを恥じて俺はこの山に隠れ住むことにした――そういうことだ。夜ももう遅い。お前たちも疲れているであろう。横になるといい」



 翌朝、まだ日も昇らぬうちから起き出した男は、なけなしの米を炊いて握り飯をこさえていた。懐には小さな巾着袋が入っている。


 父親が病だと言う若者はあの友に似ていた。気の強いもう一人には、あの乙女の面影があった。ならば結局、二人は添うことがなかったのだろう。

「今となってはどうでもよいことだ」

呟きながら男は遠い昔を思っていた。


 隣村に住む乙女に恋をしたのは友が先だった。だが密かに男は乙女と恋仲になり、友を裏切っているという罪悪感に悩んでいた。


 そんなある日、友が言った。

「乙女の父親が、『空のように青い木の実』を持ってきた男に乙女を嫁にやると言っている――あの山のどこかにあるそうだ。明日には探しに出かけようと思う。見つかるまでは帰ってこない」


そしてひとつの包みを男に渡した。

「これを預かってもらいたい。大事な物が入っている。中は見ないで欲しい――誰よりも先に木の実を見つけ出し、帰ってきた時に返してくれ」

男は黙ってそれを受け取った。


 その夜、眠れぬまま男は夜明け前に家を出た。


 乙女は美しい。父親の意向を知って木の実を探しに山に入るのは友に限ったわけではなかろう。男はなんとしても乙女と夫婦めおとになりたかった。たとえ友を裏切ったとしても。それには友よりも、誰よりも、先に山に入り木の実を見つけ出すことだ。


 季節は今と同じ冬、『空のように青い木の実』はもとより、普通の木の実でさえも見つからぬまま、何日かが過ぎた。


 疲れた男はふと、友が預けた包みを思い出した。渡されたときに懐に入れたまま、そのときも持っていた。何が入っているのだろうと包みの上から握り締めてみた。


「胡桃……?」

手に固い感触は、あの胡桃だ。友との絆を誓ったあの胡桃だ。


 男はうずくまり、泣いた。あいつは知っていたのだ。そして最後にこの胡桃に友としての情を賭けたのだ。この胡桃を見れば、俺が絆を思い出すと。


 だが俺は友に預かったものになど関心を持たず、乙女のことだけ、自分のことだけを考えて山に来てしまった。許してくれ……男はもう村には帰るまいと心に決めた。


 握り飯を作り終えると、男は懐から巾着袋を取り出した。胡桃の感触を確かめていると、最後にもう一度見ておきたいという気持ちが起きた。この袋を開けたことはない。胡桃は友から預かったときのまま、この袋に包まれている。


 中を覗いて、男が首をかしげた。なにやら紙片が入っている。手紙のようだ。

「友よ。嘘をついたことを許して欲しい。あの乙女の父親が木の実を欲していると聞いて、お前が山に行くのではないかと試したのだ。俺が山に行くことはない。木の実の話はでたらめだ。明日の朝、俺はお前の目の前でこの袋をあけ、この手紙をお前に渡そう。俺たちの絆はこの胡桃のようにいつまでも固いものだ。あの乙女が誰と夫婦になろうとも、それは変わらないだろう」


 再び男は号泣した。包みが胡桃だと気付いたときより、さらに深く胸を締め付けられていた。死に際になっても友は、自分を裏切った男に対し嘘をついてしまったことを気に掛けているのだと悟ったのだ。


 男の泣き声に若者たちが目を覚ます。驚いて男を見る二人を気にすることもなく、男は泣き続けた。


 その日、昨日の霧雨はすっかり上がり、晴れ晴れとした青空が広がっていた。


 二人のために用意した握り飯を持たせ、小屋の前で男は二人を見送った。

「これをお前の父親に、空のように青い木の実はこれだと言って渡してやれ」

小さな巾着袋を渡され、若者が不思議そうな顔をする。


「いいか、忘れるな、だ。袋のまま渡すのだぞ。そうすればお前の父親の『気掛かり』は消える――さあ、行くがいい。お前たちの村は、真っ直ぐ東だ」


 何度も礼を言う二人に男は『もし同じ乙女を好きになったら、そのときは正直に互いに告げたほうがいい』と言って笑った。


 二人がに気が付いたのは、男から貰った握り飯を食べているときである。

「どこの村から来たか、どうして判ったのだろう……」


 二人が腰を降ろしたすぐ側にふきのとうが顔を出していた。



< 完 >

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青い木の実 寄賀あける @akeru_yoga

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