第6話:邂逅 弐

「ついちゃった……」


 気がつけばすでに鳥居の前に立っており、その異様さに改めて恐怖を感じる。

 朽ちてあちこちが壊れているにもかかわらず、妙に艶めかしい血がしたたりそうな赤。

 いや、実際何か液体で潤っているとか思えない、光沢ある鳥居を見て震えながら口を開く。


「ペンキを塗りたてなんだよ。そう。絶対そうに決まっているんだ」


 見たくない現実に蓋をし、ポタリと滴る赤い何かを見ないように奥を見る。

 そして見つけたもう一つの光景が、同時に目に飛び込む。

 鳥居のあまりの存在感で気が付かなかったが、確実にその奥にある〝朽ち果てたお社〟を見て息を呑む。


「ボロボロの小さいお社? で、でも誰かいるかも……」


 鳥居を潜ろうとし、ゆっくりと一歩右足を踏み入れた。

 だけど違和感に気が付き右足を引こうと思ったけれど、左足が引かれるように鳥居内部へと入ってしまう。

 外よりも、さらに異質な空気圧に体が圧縮された次の瞬間、静かに金属の音が始まる。

 それは規則正しく鳴り、徐々にけたたましく鳴り響く。


「ヒッ!? な、なによ一体。え、コレって……電話の音?」


 この音は聞いたことがある。

 何年か前に地方の電話博物館で見た、あの黒電話の音・・・・・にそっくりだ。

 

 黒電話体験コーナーで私がかけた時、この音とまったく同じ音がしたはず。

 苦しそうに金属を打ち鳴らす、独特のベル音は忘れもしない。

 でも助かった。電話が鳴ると言う事は、このお社に神主さんがいるという事だよね?


「あの、あのすみません! 誰かいらっしゃいませんか!!」


 返事が無い……しかたない、お社まで行ってみよう。

 でもなんだろう、こんな行き止まりにお社なんてあったのかな?


 木々もなんだか黒々としているし、鳥や昆虫の気配すらない。

 石畳も荒れているし、本当に誰かいるのかな?


 ハァ――ハァ――苦しい。鳥居からそんなに離れていないのに、とても遠く感じる。

 近くまで来ると、本当に酷い荒れよう。屋根も崩落しかかっているし、障子戸も和紙がボロボロだよ。

 本当に誰かいるのかな……でも黒電話が鳴っているし……。


「すみません、どなたかいらっしゃいませんか!? すみません! 神主さんいらっしゃいませんか?!」


 金属が悲鳴をあげる、黒電話の音だけが響く。

 気が狂いそうなほどに怖い――あ、そうだ! 電話と言えばスマホがあるじゃない!!


「う……そでしょ……圏外ってなによ……」


 ここ京都の町中だよ? なんで圏外になっているのよ。

 信じられない……で、でもまだ救いがある。


「だって、そこに電話が鳴っているんですもの」


 お社の入り口で靴を脱ごうかと思ったけれど、ホコリと落ち葉で汚れているのでそのまま進む。

 私は「失礼します」と言いながら、お社の階段を三段上る。

 古い木の床が抜けそうに痛々しく軋むが、ゆっくりと、しっかり上りきると、目的の黒電話が見えた。


 ただこの黒電話、違和感の塊しか感じられない。

 まず御神体のある場所に鎮座し、さらによく見ればうっすらと発光していた。

 そんな機能もあったかと記憶を思い出すが、多分無かったと思う。


 さらに違和感を感じる最大の原因を見つけてしまった。

 そう、この黒電話には〝コードが刺さっていない〟のに気がつく。

 見るからに普通じゃない。だけど近づくにつれ、光が大きく発光し始める。


 その様子がどう見ても美しいし、もっと言えば神聖な光と言ってもいいかもしれない。

 まるで天使の羽が舞い降りているように、光に照らされたホコリが美しく舞い踊る。


「綺麗なひかり……」


 けたたましいベル音が心地よく聞こえ、黒電話の受話器にそっと手を向ける。

 うっとりとした表情になるのが分かりつつも、この受話器を取ってはイケナイと本能が警鐘を鳴らす。

 だけど本能より体が無意識に手を伸ばしてしまう。


 受話器まで残り三十センチ。

 震える右手を受話器に向け、愛おしそうに伸ばす事、アト十五センチ。

 ダメ! イケナイ! そう思いながら、親指が痙攣けいれんしつつ直上より掴むまで二センチ。


 ――――がちゃ、り。


 硬質なプラスチックとは思えない、妙に生暖かい感触が手にズシリとくる重さで、受話器を持ったという事に気がつく。

 体は震えているが、それでも右手は動くのをやめない。


 ゆっくりと、じっとりと、始まるまで・・・・・、それは右耳へと運ばれる。

 受話器が近づくにつれ、聞きたくないという思いだけが加速するが、〝ひたり〟と耳輪へ触れた事でもう遅いと分かった刹那――。


『――もしもし?』

「ひぃッ……」

『あの、もしもし?』


 な、なに? 女? 一体コレは誰の声なの!? 

 今すぐにでも受話器を放り出したいのに、手が受話器から離れない!!


『ねぇ聞いているんでしょ? ほら、白状なさい。貴女のことは私が一番・・・・よく知っているんだから、よく聞いてよ』


 え……何? 何を言って……?

 で、でも知っている……これは、この快活な口調は。


『ふふ、可愛いのね。だから好きだよ。ねぇ、答えてよ。聞いているんでしょ?』


 震える声でそっと口を開き、鏡を見るように話しかける。

 すると同時に受話器からも声がこぼれ落ちた。


「『明日夏わたし?』」


 同時に同じことを思い、同じタイミングで、同じ口調で話す。

 その事に不思議と違和感が無かった。

 だってそれは〝ワタシ〟なのだから。

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