第2話:ぞくり
紅葉が見頃を迎えた古都・京都。
だが季節外れの南部鉄の風鈴の音が聞こえ、窓の外に私は強く意識を持っていかれる。
意識の先、そこには鮮烈な赤があった。その真紅に色づく見事な
それは唐突に、突然、突拍子もなく現れる。
樹齢三百年はあろうかという幹に背をもたれかけ、左肩に青白い子狐に似た生き物を乗せている男の姿に、現実感を失う。
だからか、男は
思わず視線を合わせた瞬間、男の獣の瞳は真っ直ぐ私を射抜くように見据え、微動だにしない。
視線を合わせるほどに、息は次第に浅くなるのが分かり、酸素の濃度が薄く感じる。
溺れないようにうすく三度息を吸い、細く、長く、息を吐き出す。
やっと男の全体像が視覚情報として整理されると、その容姿にも理解が進む。
年の頃は私と同じくらいで、髪は白銀ともいえる色合いの肩まである長髪。
妖艶な美しさを持つ顔つきは鋭く、まるで歴戦の
その彼をどう表現したらいいか理解が出来ないし、言葉が見つからない。
いえ、一つだけ的確に言えることがある。
あそこに居るナニカは【異質の塊】だと。
そう表現するのが精一杯の存在が、ソコに居ることに戦慄した。
一秒が八万六千四百秒に感じるほど、私と彼だけの濃密な世界。
永遠にそれが続くのかと錯覚した次の瞬間、景色が流れる事で終りをむかえる。
思わず時間を止めるかのように焦り、善次へと大きく叫ぶ。
「善次! 車を止めて!!」
そのオーダーに善次は「はい」と言うと、すぐに路肩に寄り車を停車させた後、ルームミラー越しに私を見る。
「どうか……なさいましたか?」
「後ろを見て! あの木、羽団扇楓の木の下に……居な……い?」
一瞬、善次の言葉の間が気になり彼から目を離した。
そしてもう一度そこを見ると、あの異質の塊はそこに居なかった。
そのことに理解が出来ないが、現実は嘘をつかない。
だからこれが真実なのだろう。彼が初めから存在していないかの如く、霧のように消え去っていたのだから。
「やれやれ。またナニカ不思議なものでもご覧になりましたか?」
「…………いえ、車を出してちょうだい」
呆然とする私に善次は呆れ混じりに声をかけてくる。
それにイラつきながら、シートに深く座り直して瞳を閉じ気持ちを落ち着かす。
そこには間違いなく、あの異質の塊の姿が見えていた。
真実より直感を信じた私は、思わず「あれは幻? いいえ違う」と、小声で自問自答をしてみる。
あれ程の濃密な時間と存在感。その感覚に戸惑っていると、善次が静かに口を開く。
「お嬢様。そろそろ
善次の言葉で我に返り、妄想から現実へと引き戻される。
前方に見えるのは、古都の一角に不自然に広がる古い洋風な空間。
まるで大正ロマンをそのまま具現化した建物群は、古都に相応しい様相で私を受け入れる。
黒のIS500はそのまま歴史ある校門を抜け、生徒会役員専用の玄関の前へと横付けすると、善次が運転席より降りて私が乗るドアを静かに開けた。
もう秋だというのに、ジリリと焼ける空気が肌を容赦なく掴む。
不快に思いながら左足から一歩、地面へと降り立ち次の瞬間――。
「――ッぅ!?」
左足首を強烈に掴む違和感に地面を見ると、そこには不気味な爛れた赤黒い右手が見えた。
それは確かに存在し、私の左足首を強烈に締め上げる。
思わず苦悶の声が漏れてしまい、それを善次が敏感に感じとり私の顔を覗き込む。
「どうされましたかお嬢……あぁ、またですか。気のせいでございますよ、ほら……」
善次がしゃがみ込み、私の左足に触れたと同時に一気に体が軽くなる。
それは何事も無かったように、違和感も痛みも、そして赤黒い手も消え去ってしまう。
どんな異能を使ったのか? そう思えるほど、あっという間に私を救う悪魔執事に感謝をしつつも、口から出るのは憎まれ口だ。
「私の足に触りましたね。これは死罪が妥当かと思いますが?」
「これは失礼。あまりにも魅力的な御御足なもので、つい」
シレッと何が魅力的な御御足よ。
あの角度ならスカートの中も見れたくせに、全く見ようともしないでさ。
「つい、ね」
「そうですよ。もし見ようと思えば、お嬢様の
べ、べつに見られたいとか思っていないし。
それにいつ何時、誰に見られてもいいように、下着には気を使っているわよ……って違う!
大体なによ静謐って。というか、なんで白って知っているの!? 変態執事め!!
「お顔が真っ赤ですが?」
「うるさいです。何をニヤついているのですか、さっさとカバンを寄こしなさい」
「これは失礼を。本日、私めは所用がありますので、少々遅れるかもしれません、が……」
な、なによ。そんな怖い顔で見ても、私は何もしないわよ。
「絶対に、この学園から御出になりませぬように。よろしいですね?」
「私も信用が無いのですね。分かっていますよ、ここからは出ませんから安心なさい」
「だとよろしいのですが、前例がありますので、ね」
くぅぅ、先日の事をまだ言うのね。悪魔執事め。
確かに一人で帰ろうとしたわよ。そりゃ約束を破りはしたけど、私だってもう大人だよ。
一人で自由にしたい、それのどこが悪いのよ!
「おや? 反省……なさっていないお顔ですが?」
「黙りなさい。私は成長したのです、同じ過ちはしませんことよ?」
なによその目は? ぜえええったいに信用していないでしょ。
「だとよろしいのですが、明日夏お嬢様。先日の件、くれぐれもお忘れになりませぬように」
先日、か。あれは一体なんだったんだろう。
初夏も少しすぎた頃だったか……。
今日と同じように、善次が迎えに来るのが遅くなって、一人で帰ろうとした事があった。
その時見た不思議なお社……あれを見た時から、今ほどのような不思議な事が起こり始めた気がする。
それとも善次が言うとおり気のせいなの? でも掴まれた感触も、鈍い痛みのような感覚も、確かに感じたよね。
「……分かっています」
「だとよろしいのですが」
「信用なさい。では行ってきます」
私がそう言いながら踵を返すと、善次は憎らしいくらい自然に頭を下げる。
その様子を見ていた女子生徒三人が、見惚れたのか遠くから甲高く叫ぶ。
どうやらこの悪魔執事は人気のようだ。確かに見てくれはいいし、いちいち行動が堂に入る。
そんな様子を背中で感じた私は、女子生徒達に「なにも知らないくせに」とつぶやく。
やがて黒のIS500のエンジン音が響き、善次が去ったのを感じながら古い廊下を進む。
昭和初期に作られたという、気泡が入る歪んだ窓ガラスから朝日が差し込み、舞い踊る小さなホコリが光り輝く。
そんな朝の一瞬だけの光景が私は好きだ。
古い木の窓枠から見える中庭にはまだ夏の花が咲き乱れ、風に揺れ動き中央の三段噴水を囲む。
水しぶきが虹がかり、幻想的な光景の向こう側に、葉の中央が白いオレンジ色の花が眩しい。
それはサンパチェンスの花であり、鮮やかさに一瞬心を奪われ思わず立ち止まった。
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