第1話:ステキなバースデー

 今日、十七回目のバースデーをむかえた、枢木くるるぎ明日夏あすかは家庭に恵まれない。

 そんな彼女が朝目覚め、念入りにトリートメントを施した黒髪をすき、朝食をとる頃に見慣れた光景で一日の始まりを感じる。


「一つ……二つ……三つ……。これではティーセットと呼べないわね。残り一つは死守したいところだけれど」


 飛び交う金と青のカップがぶつかり合い、空中で爆散。

 そのコントロールを見て器用なものだと呆れつつ、明日夏はカリっと焼けた厚切りの食パンに上品にかじりつく。

 

 こだわり抜いた上質な小麦の香りが、鼻からぬける幸福に〝ほっこり〟としながら、朝から物騒な現実を見てげんなり。

 それは目の前で叫ぶ、二人にひきの獣のせいなのだ。

 いや、獣というには美男美女であり、それは明日夏によく似た容姿をしている。

 

 つまり――。


「お父様、お母様。破片が飛ぶのでやめていただけません?」

「それはこの女に言え!」

「なんですって? アナタが投げるから迎撃したまでよ!」


 言っても無駄だと知りつつも、破片が飛ばない場所へと移動して、こうなった原因を考える。

 罵詈雑言ばりぞうごんから始まり、物理的な応酬は三年前の不貞から始まったと、飛び交う高価な品をみつつ思い出す。

 両親は父親の浮気で離婚寸前である。が、元々の原因は母親の浮気が発端なのが呆れてしまう。

 

 それに巻き込まれた明日夏は、すでに三年の月日を不毛な環境で育ち、最近はソレを満喫し生きている。

 現在十七歳の明日夏は、四十代にしては美魔女な母親と、同じ年齢の小憎いほどのイケオジな父親の口撃に耳を塞ぐ。


「――だから言ったろう? 俺が明日夏を育てると!!」

「フン。最近はあの女からの連絡がなくなったから、その合間に娘の世話? バカを言わないでちょうだい! アナタみたいなクズに明日夏が育てられるわけが無いじゃない!!」

「なんだとッ!? 大体オマエみたいな股のゆるい女に、俺に似た美しい明日夏を任せておくワケにはいかん! オマエのような男にだらしないクズ女になられては困る!!」

「ハァァァァ? 明日夏は私に似てスタイルもいいし、顔も小さく美人よ。だからこそ、アンタみたいなクズに騙されないように、私が男を見る目をやしなって――」


 はぁ……また始まった。

 朝からなんなのよ。せめて海崎ベーカリーの、厚切りの食パンをかじる時間くらいちょうだいよね。

 

「熱っぅ!?」


 っとあぶない。キャッチしなかったら、アナタ達の可愛い娘の額に、熱々の富田養鶏場の固ゆでタマゴがヒットしちゃうじゃない?

 富田富一さん……五十六歳だったかな? 彼の至高の作品が床に落ちたらどうするよ。

 

「あらステキ、黄卵がハートになっている。流石は三代目富一作」

  

 とはいえ今日の凶器はゆで卵、か。

 昨日のA5ランクの飛騨牛ステーキが火傷するほどアツアツで、八日間ほど熟成されたアミノ酸と良質の油をしたたらせて、左頬へ飛んでくるよりはマシってものね。

 飛騨牛アレはミディアムより、ミディアムレアが良かったんじゃないかしら。

 食材にたいする冒涜ぼうとくは許せませんことよ?


「「早く仕事へ行け!!」」


 流石は夫婦。仲良くそろって関心ですこと。今日は第二ラウンドが早いかな。

 でもいきなりナイフが登場とは恐れ入るわ。ていうか、投げないでよ。

 大家たいけの趣味で集めた、遠山莫山の金屏風きんびょうぶに描かれている、人食い熊の右目に穴が……怖ッ。


「なにも果物ナイフを投げなくてもよろしいじゃないのよ!!」

「お前もなんだ? その手に持っているカップは!?」


 あぁ。マイセンのお気にいりがまた一つなくなったわね……。

 ま、だからこそ、この家では百均のプラカップが至高なのだろうけれど。


「軽くて見た目は可愛いけれど、百均は風情がないのよねぇ……さて、と。お父様お母様、そろそろ学校へ行ってまいりますがよろしくて?」

「「行ってらっしゃい!!」」

「はい。ではごきげんよう」


 明日夏わたしがこの台詞を言い出すと、決まって二人のじゃれ合いは終了する。

 まぁ、じゃれ合いと言うには高価な品が散乱し、いささか酷い惨状なのだけどね。


 そんな見慣れた光景・・・・・・を尻目に廊下を歩く。

 磨き抜かれた赤杉の一枚板を贅沢に使った廊下は、歩くだけで心が躍る。

 ふと左手を見ると日本庭園が目に入り、紅白の錦鯉が水面を跳ね踊った。

 

「今日もまた不思議な事が起こりそう。それも特別な……そんな予感がする」


 左手で鎖骨まで伸びた黒髪をなでながら、家の玄関をくぐる 。

 そこにはメイド達が待っており、黒いレクサスIS500の後部座席のドアが開く。


「ふぅ~生き返る」

 

 敷居をまたいだ瞬間、心の中まで〝お嬢様モード〟が解除され、本来の私へと戻る。

 どこまでも高い秋の空を見上げつつ、新しい朝と私へ「おはよう」と挨拶。

 そんな本当の自分に戻れる〝明日夏な儀式〟をしていると、メイドの一角に変化を感じた。


 居並ぶメイド達の中から、黒髪の凛々しく美しい青年が歩み寄る。

 それは若干二十歳だと言い張る男であり、私の専属秘書という肩書の執事だ。

 まぁ、見た目は確かに二十歳ほどではある。が、どうみても有能すぎ。


 今も玉砂利の上を、音も立てずに歩いてくるのが理解不能だよね、ホント。

 おまえは忍者か暗殺者か? と、ツッこみを入れたことがあったが、仄暗い微笑みで返してくるから恐ろしい。

 絶対に暗殺者だろうと私は思ったが、あまりにもいい笑顔だったのでソレ以上は触れないでおいた。

 その胡散臭いまでに高まった執事スキルに呆れていると、件の男はキザたらしくも清々しく、右手を心臓付近へとそえて頭をさげる。


「おはようございますお嬢様。本日も恩名に相応しく、気高い夏を思わせる美しいご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」


 最近は慣れた吹き出すほどの、意味不明なキザいセリフを言いながら、執事の男――善次ぜんじは私が車へ乗ったの確認し、静かにドアを閉めた。

 風圧もなく、レクサスの重厚なドアが〝ふわり〟と閉じた事に納得の行かない私は、右眉をぴくりと動かす。


 あんな閉め方でもドアはしっかりと閉じているのが納得できない。ドアはバムと閉じなさいよ、バムッと。

 相変わらず無駄に凄い執事スキルに呆れていると、運転席へと回り込んだ善次はルームミラー越しに話しかけてきた。


「本日もステキな朝食をお召になったようで」

「おはよう善次。今日も頭がおかしい歯の浮くようなセリフをありがとう。おかげでステキな朝食の事を忘れ、笑えました」

「それは何より。それでは出発いたします」


 善次はそういいながら、アクセルをゆっくりと踏みしめた。

 5リッターV8エンジンが静かに唸りをあげ、銀色のホイールが回りだす。

 小気味が良いエンジン音と共に、黒のIS500は枢木邸を後にする。

 今日もなんの変哲のない、流れる古都の街並みを眺めながら、私は善次へと今日の予定を聞く。


「今日の予定はなにかしら?」

「朝礼後に早いですが、一時間で学期末のテストを全教科全て仕上げていただきます。七分休憩後、学園の理事会へと出席。十一時より京都府知事が前学長へと表敬訪問されるので、それに嫌々付き合った後、昼食をともにしていただきます。十三時より生徒会の役員会へと出席。その後――」


 目頭を押さえつつ、首を数度横に振りながら私は善次の言葉を遮る。

 これ以上聞くだけで目眩がしそうだから、直前になってスマホで聞くことを選択したからだ。


「はぁ、もういいわ。私、学生なんですけれど? まったく普通の学園ライフはどこへいったのよ。まぁいいわ、じゃあ十七時頃にいつもの場所で」

「承知いたしました」


 善次はそう言うと、ルームミラー越しにニコリと微笑む。

 悪魔的微笑を遠慮なく使い倒す男に、私は精一杯抗い天使のスマイルで応戦するも、善次あくまには到底およばない。

 その証拠に、横断歩道を渡っている秋色の派手なワンピースのOLが、不幸な事にこちらを見たのが運の尽き。

 善次の魔性の微笑みにやられ、スマホをポロリと右手より落とす。


 かわいそうに画面にヒビが入ったのか、車内まで聞こえる悲痛な叫び。

 それを見た善次は「おや、不幸な出来事ですね」とつぶやくが、私は声を大にして言いたい。


オマエあなたのせいじゃなくて?」……と。

「心がダダ漏れでございますよお嬢様」

「うるさいで――え?」


 善次の嫌味に呆れた次の瞬間、銃刀法を無視したありえない状況と理解できない存在に、私は出会うのだった。

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