将来の夢
モンタロー
1
夢がひとつ叶った。
そうやって聞けば皆誰しも、僕が今ハッピーだと思うだろう。
当たり前だ。夢ってそういうもんだ。
まあこんな言い方したらどれだけ鈍臭い人でもなにかしら察すると思う。
今度叶った僕の夢は、彼女より後に死んで、彼女に悲しい思いをさせないことだった。
彼女を哀しませたくなかったし、そんな顔見たくなかった。まあいくら見たくても見れないのだが。
とはいえ、こんなにすぐ叶うことになるなんて微塵も思っていなかった。
そんなことを茫然と考えていると、心地良い不規則な振動が次第に止み、僕を乗せたタクシーは警察署の前で停まった。
昨日僕らは喧嘩した。
仕事で初めて任された大きな案件が大事な時期に差し掛かっていた。その影響で急な残業が続いており、ここ数日、帰宅が遅くなっていた。にもかかわらず、僕はその旨を彼女に連絡し忘れた。それも三日連続で。
うちでは残業がない彼女が夕飯の支度をする係になっているので、いつも一緒に食べる折角の手料理を三日連続で冷ましてしまい、怒らせてしまった。
今日のプレゼンでひと段落ついたので、帰りにコンビニに寄って、彼女が好きな生クリームののった少し高いプリンを買い、なんて謝ろうかと考えを巡らせながら重たい玄関の扉を開けた。
あらかた詰め終わった大量のダンボールが出迎えてくれたが、珍しく彼女は帰ってきておらず、部屋はしんとしていた。
今朝きちんと戸締まりをした部屋の空気は止まっていて、あまり居心地が良くなかった。
ひとまず鞄とプリンをリビングに置いて、手を洗った。
連絡もなかったので、彼女にメッセージを送ってみることにした。
アプリを開いたタイミングで見慣れない番号から着信が入った。
彼女の職場の最寄りの警察署からだった。
適当に玄関にあったサンダルを引っ掛けて外に出て、タクシーを捕まえて警察署へ向かった。
夏の暑さからではない、得体の知れない気持ちの悪い汗がワイシャツの内で肌を伝う。
今朝も口を利かずに先に家を出て行った彼女は、半日ぶりの再会でも口を利いてくれなかった。
そこからの記憶は殆どない。どうやって帰ったのかさえ覚えていない。
辛うじて家には辿り着いて、覚束無い足取りで部屋に入った。
漸く家に着いたことで気が抜けて、フローリングに膝から崩れ落ちた。
翌日、人生初の無断欠勤。結局、部屋に射し込む西日で目が覚めた。瞼が腫れて重かった。
寝て起きても彼女は帰ってこなかった。
さっき抓った頬の痛みに生を感じる。
スマホを開くと時間は既に夜と言っても差し支えないくらいだった。
届いた大量の通知を無視して、顔を洗うために洗面所へと向かった。
顔を拭いたところで段々と靄がかかった思考が明瞭になった。
言ってたじゃん。次のお揃いは苗字だーって。
言ったじゃん。南向きのベランダだけは譲れないって。
言ってたじゃん。やっぱり真白いドレスを親に見せたいって。
言ったじゃん。石のないシンプルなシルバーにしようかって。
言ってたじゃん。キャッチボールしてるのが見たいって。
言ったじゃん。もう何年かは君と二人がいいよって。
言ってたじゃん。最初の白髪は私が見つけるって。
言ったじゃん。ぎっくり腰に湿布を貼ってあげたいって。
言ってたじゃん。僕の介護なんかしたくないって。
言ったじゃん。匂いがお揃いになって、しなくなっても大事にするって。
言ってたじゃん。笑いながら、同じお墓は嫌かもって。
言ったじゃん。僕の日記の最期のページには絶対君を載せたくないって。
延々と湧き出る君への文句が靄のひいたその場所を靄の代わりと言わんばかりに埋め尽くした。
沈みかけの夕日でオレンジ色になったカーテンがひらりと揺れた。
窓の外から大好きな、大好きな声が僕を呼ぶのが聞こえた。
はっと顔を上げた。
声のする方に引き寄せられて、ベランダに出た。
そこには、まだ少し怒って呆れているような、それでいて穏やかな表情の彼女がいた。
目と鼻の先。
嬉しくて嬉しくて、今すぐに彼女に触れたくて。柵から身を乗り出す。
ほんの少し。
すると、全身に未だかつてない浮遊感を感じた。
今なら夕日に変わって姿を見せた三日月へ向かって飛んで行けるとさえ思った。
ただ、実際の進路は真逆だった。
旅立ちの日を一週間後に控えた僕らの賃貸の巣は七階建てで、眺めの良い最上階だった。
フローリングには、中身の無くなったプリンのカップがふたつと、プラスチックのスプーンがひとつ、転がっていた。
将来の夢 モンタロー @montarou7
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