傾国の民たち~私たちの生きる権利と幸福の追求について
Green Power
答えの無い世界のなかで
我らの海より東方オリエントに位置する帝都イスタンブール。二つの海を挟む海峡に位置し、東西南北の交易路が交わるこの大都市には、北方の土地から輸入された奴隷や穀物、南や西方からは海産物や金銀が、東からは絹と陶磁器など、あらゆる人とモノと金が集う巨大な経済圏を構築している。
この帝都のある一画にて、ここら一帯のオリーブを扱う大商店に、ある少年が見習いとして働いていた。
名はキケロ。齢16にてこの商店の家主に才を見出された彼は、見習いであるものの、家主であるグラックスの付き人として直径4000km以上もある街道を行き来していた。
「あれは何でしょうか?」
好奇心旺盛な少年によって向けられた問いかけに、反対側に座っていた家主は少年が向ける指の方角を見つめる。金銀で装飾された小さなガラスから見える景色を眺めながら、家主は彼の問いかけにゆっくりと答えた。
「ああ…あれは敗残兵だな」
低く、軽蔑が込められたような声に少年は家主の方を見た。
人間の瞳は世界を反射して捉える鏡のようなものであると、少年は以前に家主から聞いた覚えがあったが、その話が現実であったことを彼は今しがた理解できた。
敗残兵をとらえる家主の顔は醜く、顔のしわが歪んで見えた。
いつもの優しい家主の顔から想像できなかった、初めて見る表情に少年は息をのんだ。
「敗残兵…ですか?確かに傷を負った者もいるようですが、それにしては…」
少年が言いかけた時、家主は窓から視点をずらし彼の方を気怠けに振り向く。
「物資も満載、装備も一切の汚れがないだろう?あれは傭兵だからだ。さしずめ後方の後詰め部隊として敵兵と戦う前に戦闘が終わり、負傷兵と一緒に返ってきたか…あるいは……敗戦の混乱のなかで近くの村や町から金品や物資を略奪しんちょうして帰還した、盗賊まがいの敗残兵さ」
おそらくは後者だろうな。傷を負った者とそうでない者の部隊の印が同じであったことから、家主は最後にそう付け加えた。傭兵が各地での戦闘で多用させるようになった今では、恩賞をめぐる争いを回避するため、所属する部隊や傭兵団ごとに異なる旗や印をつけるようになっていたからだ。
「なぜそのようなことが」
「お前なら分かるだろ?奴らの腕に巻き付けた印を見れば。恩賞目的の傭兵たちが、同じ仲間同士で別れて行動するような策は練れない。争いの元になるからな」
「なるほど…しかしいくら規範の緩い傭兵とはいえ、自国の村や町を略奪するとは…」
「おかしな話じゃない。お前としても心当たりがあるはずだ。傭兵とは元来、金の為に戦っている者たちだからな。先帝の代から防衛策に転換したわが国では、他国に攻め入って敵地から略奪するなどというのは出来なくなった。人や物を運ぶには金がかかるからな。奪ったところでこの巨大な大帝国では首都にたどり着くころには奪った金は全て使い切ってる。寧ろ赤字だろう」
家主の長い話が終わるころには、街道の真ん中を偉そうに歩いていた傭兵の集団を通り過ぎていた。二人は再び小さな窓を眺める。場所は前と一緒で、変わりのない農村の風景へと移っていた。
黄金色に輝かしく日の光を反射する小麦畑にて、それを鎌で刈り取る小さな農民が影をつくっていた。
「そんな金欠帝国では払ってくれる額も大してない。しかも防衛策で傭兵にとっては旨味である略奪も敵地で出来ない。そのくせ敵は自分たちの土地を侵略して略奪してくる。それにより各地からの税収も減り、約束した雀の涙ほどの賃金すら払ってくれる保証はない。ならば……と?」
外の風景を寂しそうに見つめていた少年が家主に負けじと喋り出す。それに家主は少しだけ驚いたようで、歳を取って皮がたるんだ細いひとみが、一瞬だけカッと開いた。
「やはり…お前を選んで正解だったな。好奇心旺盛に瞳を輝かせながら聞いておいて、あんな返答をしたのは悪いと思っているが、何度も言う通り、傭兵と言うのは元来、金の為に戦う生き物なのだ」
「金がないとはいえ、なぜそのような傭兵を使っているのでしょう?それだけが原因であのようなことを皇帝は見過ごしているのでしょうか?」
「いい質問だ。理由は多くあるが簡単に言えば…見逃している。皇帝ではなく実権を握る宰相がな。皇帝はスリング競技の観戦に忙しい。軍事を指揮する暇などない。傭兵が使われる原因だが…まぁお前が言ったことが一番の原因だ。金がないのさ。常備軍、職業軍人というのは戦争をしなくとも大金を貪り食う」
「しかしカネを惜しんで傭兵を雇い、それで自国が略奪されるのであれば本末転倒では?」
「それが不利益だと思っていればな。意外と…元老院の連中はそうでもないらしい。奴らからしてみれば元々は敵の異民族に奪われる金だったのだ。それが傭兵とはいえ自国の民が自国でつかう分にはいいのだろう。傭兵が自分の都市で金を落とせば、それが自分の懐に回る。なにより傭兵は戦地での略奪を認められる代わりに略奪品の3割を帝国に収める契約をしているからな」
「略奪の3割……農村から取る地代と同じ額…」
「戦地での略奪が自国であろうが、敵地であろうが税を払えば問題ないのだろう。敵が侵略してきていて、そこを敵が占領しているのならそこは敵地とも言えるしな。現に傭兵が使われ始めた先帝の代には、人と農具を略奪することは禁じられた。そうなると土地から税が取れなくなるからな。逆にいればそれ以外は略奪してもいいのだ。まさに防衛のため、半永久的に自国を傭兵に切り売りするよう作られた法律だ」
貴族の考えることはどれも陰湿で小賢しい。そう言いながら苦虫を噛み潰したような顔をする家主に、少年は苦笑いしか浮かべられなかった。
「グラックス閣下は…傭兵だけではなく貴族にも不満があるようで…」
「ああそうだ。お前はどうなんだ」
「わっ私ですか…それは‥‥」
「まぁお前の立場でそれを言うのは、私の前とはいえ言いにくいか。だが傭兵についてはどう思う?どうせ次の町に着くまで暇なのだ。相手をしてやるからお前の考えを述べてみよ」
お前の好きそうなことだろう?そんな考えが見て取れる、何とも言えない表情をする家主に、少年は少しだけ下を向いて押し黙ってしまう。
「……分かりません…でも……どうでしょう。金の為に働く傭兵に閣下は不満のようですが、商業が発達し、金と銀が世界を支配する今の世では、そのような流れを止めることは難しいと思います」
「うん、確かにそうかしれん」
先程の顔で睨まれることを覚悟して少年は口を開けたが、知らずして少年を怯えさせていた本人は、思いのほか素直に彼の考えを認めたようだった。
「それに職業軍人とて無休で働く訳ではありません。彼らには大量の金と銀、塩を支払わなくてはならない。それが傭兵を使った理由ですし、職業軍人も傭兵も大して変わらないのでは?」
少年の話しには一定の説得力があるようにも思えた。しかし家主は彼の考えを鼻で笑った。もっとも軽蔑を込めてではなく、芸の一つも覚えられないバカな愛犬に向けるような笑いであったが。
「軍人も傭兵も変わらいのなら、なぜこの国は変わってしまったのだ?この帝国が落ちぶれたのには殆どが外憂によってだ。しかしその外憂は内憂によって生み出された」
「少し…難しいです。外憂と内憂ですか」
「外憂は異民族からの侵略。内憂とは腐った宮殿とそこに住む腐った貴族と皇帝。そして傭兵だ」
「なるほど」
「金が世を支配する今では、失われたものは異民族が奪った土地や人命だけではない。人の心、すなわち愛国心もだ。むしろその愛国心の欠如によって土地と人命が失われている。愛国心によって戦い、結果的に報酬を得るのと、はなから金を目的に戦うのでは全く違うのだ」
「傭兵こそが帝国の衰退であり、それは愛国心の欠如によるものだと?」
「そうだっ!先帝より前の時代は自由民…市民からなる常備軍によってこの国を守り、敵を打倒し、帝国を発展させていった。次第に市民は貴族と同じように国を動かす特権を得た代わりに、その国のために血を流すことが名誉となり、義務となった。そして貴族と市民という階級だけが持っていた、参政権という「特権」こそが、市民が血を流すのに必要な大義名分となった。だからその特権を守るために血を流す市民の、団結力は凄まじかった。団結力とは愛国心だ。そして市民だけではなく、帝国の人間すべてが参政権を得るために戦った。帝国の全ての民が階級が違えど、愛国心を持っていた!それが帝国であった…!!」
「しかし全ての属州民が自由民として参政権を得てからはその様な考えは崩壊した……市民という一部の階級が持っていた、参政権という「特権」こそが、市民が血を流すのに必要な大義名分だったから…」
「……ああ。強大な権力を持った国を動かす権利、参政権とは自分の人生を自分の意志で決める権利だ。少なくともそれを理解していた人々は、自分の人生を自分の意志で決めるために戦った。自分や大切な人の人生を、知りもしない他人に振り回されることほど、恐ろしいものはないからな」
「自分の人生を自分の意志で決める意志のない者、意志があっても戦う勇気のない者に参政権、自分の人生を自分で決める特権などなかったのですね……」
「お前からすると耳の痛い話だろう。しかし幸運な事に、最悪な事に先帝からは全ての民が参政権を得た。自分の人生のために血を流す覚悟がある者だけではなく、無い者も、そんな自分の人生など考えたこともないバカ共も。皆一様に。こうして自分の人生を自分の意志で決める特権は、皆が持つ当たり前の権利となった。だからありがた味もない。そんな時代で、いったい誰がなんのために血を流すだろうか。自分の人生を自分の意志で決める権利を、自分の意志ではなく他人の意志によって与えられた人間が、いったいどうやって自分の人生のために戦うだろうか。人と言うのはわがままで、欲深き生き物だ。一度その楽を知ってしまえば元には戻れない。そんな人間がましてや、自分の大切な家族や友人のために戦えるわけがない。いや大して大切だと思ってないのだろうな。自分の人生も、家族も、友人のことも。だから他人に全てを任せられるのだ」
家主の憤りのこもった長い話に、少年キケロは神妙に、窓の外の景色を眺めながら聞いていた。時折自分がちゃんと話を聞いていることを示すために、家主の方を向きながら。そうしなければ帰った後に飯と子小遣いが減るからだ。
傭兵と堕落した民衆への憤りのせいか、それとも息つぎも忘れて話し続けたせいか、家主は顔を真っ赤にしながら一息つくと、またこちらを見つめる少年に対して自論をぶつけていく。
「ある者たちは言う。敵と戦い殺されるくらいなら戦わず降伏したほうがマシだと。だが自分の命のためにすら戦えない者が、妻子のため、友人のために戦うことはできない。そんな奴は自分の命のためなら土地を手放し、家を手放し、家畜も、富も手放し、愛する妻と娘を敵兵に差し出し、友人も身代わりにするだろう。確かにそう身勝手に振る舞えば、命だけは助かるかもしれん。だがその保証などどこにある?そもそも、人の土地を勝手に侵略するような倫理のかけらもない奴らに、なにを期待しているのか分からんのだ」
だが「なぜ戦わずに降伏すれば、殺されないと期待してしまうのかは分かる」と家主は言った。そしてその理由を少年に問いただした。
「なぜだか分かるか?」
少しの沈黙。少しの思考を経て自分の命のため、この愛国心猛々しい家主の尊厳を傷つけぬよう少年は前置きを置いたうえで重たそうに口を開けた。
「これは敵国に村を焼かれて売られた奴隷の戯言ですが…私が思うに……そう思いたいからだと思います。帝国民ほど他人いみんぞくから向けられた悪意を恐れている者はいませんから。なにせ自分たちがその悪意を振りかざして発展して来たのですからね。現に帝国は半世紀ほど前まで積極的に異民族を殺し、そこに自国民を入植させて来ました。敵国の民を殺し、帝国民を入植させ、無理やり望まぬ子を産ませ、同胞を増やし、そして同じことをずっとしてきました。自分たちの欲望を満たすためなら同じ人間を糞貯め以下の家畜としてきました。そんな醜い他人の悪意の恐ろしさを知っているからこそ、考えたくないのです。自分のすぐ近くに、そんな恐ろしい悪意を持った他人いみんぞくがいるなんて…考えるだけで恐ろしい。だからそんなわけない。きっと話し合えば理解できる。抵抗しなければ悪意を向けられることはない。そう思いたい。いやそう思ってしまう。人間はみな同じ存在だというのに…自分たちの先祖がどのように開拓地を広げていったのかも忘れて…」
「……そうだ…彼らは自分たちの土地を侵略してきた異民族に、自分や家族の命を預けることが平気で出来るのさ。だがそれも仕方がない。自分の人生を自分で決める特権を、血を流さずとも、なにもせずとも、その特権を欲する暇もなく、上から無償で与えられたのだから。自分の人生を自分の意志で決めることを知らないのだ。それは他人に自分の人生を委ねることと同じだ。それに慣れてしまった人間の末路なのだ。それりゃあ唯一神なんてモノが流行るだろうさ」
この偏屈な家主にとっての最近の流行り病といえば、天然痘や黒死病ではなく唯一神のようであった。しかし少年は話を聞くうちに、この偏屈な家主を勝手ながら愛おしいと思い始めていた。北方から奴隷としてこの帝国に売りとばれて来た少年は、もとより村を略奪する傭兵を好きにはなれぬし、なにより帝国人の家主と同じで多神教徒であったからだ。
「全知全能で、偉大な力を持った主を信仰すれば救われる。祈るだけで人生が救われるというらしい。今の時代はバカ真面目にこんなものを信仰する帝国民がいるようだ。偉大なる主とやらを闇雲に祈るのも、悪意に屈して敵兵に自分の命を委ねるのも、国家への参政権を放棄するのも、自分より強い力を持ったナニかに、自分の人生を委ねるのと同じだ!!つまり自分の人生を自分の意志で決めようとしてないのだ!それを人はなんと呼ぶか知っているか?奴隷だ!!家畜だよ!!」
家畜や奴隷が何のために存在し、どういう終わりを迎えるのか。お前には分かるはずだ。とうの本人たちには分からないらしいがな。分からないからずっと奴隷なんだ。家畜なんだよ。そう最後に家主は少年の先に居るだれかに向かって言い放った。若く世間知らずな少年からすれば、この男がなにを考えているか、すべて正確には理解できなかった。
しかし、この男が何かを企んでいることはだけは理解できた。
相変わらず変わり映えのない、農村の景色を二人は眺める。
この街道を突き進む馬車が目的地にたどり着くのは、一帯いつになるのだろうか。
傾国の民たち~私たちの生きる権利と幸福の追求について Green Power @katouzyunsan
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