三、 真相
念のため替えの服を持参していた花夜子は、近くの施設でトイレを借りて着替えると、自分たちのタープに戻った。
知り合いがいたので話してくる、と告げると、母や七緒の母親から好奇の目を向けられた。七緒に至っては一部始終を見ていたのか、にやにやとしている。
追究される前にそそくさとタープを出た花夜子は、他校生と合流し、下流に向かって歩いてから河原に腰を下ろした。
「今更ですけど、わたし、
「
そっくりさんだの他校生だの、今までろくな呼び方をしていなかったので、名前が判明したのは嬉しかった。
「先ほどはありがとうございました」
「いえ、なんのお役にも立てずすみません……」
「実は今さっき見つかったんです、イヤリング。河原の方に落ちていたみたいで。こちらこそお騒がせして、すみませんでした」
「いえいえ、見つかったのならよかったです!」
花夜子はほっとして顔を綻ばせた。
あの小さな女の子が、せっかくの休日をがっかりしたまま過ごすことにならなくてよかった。
冬野も釣られたように笑い、顔を正面に向けた。
「それで、聞きたいことというのは……?」
「え、えーっと」
衝動的にあのようなことを口走ってしまったので、なんと切り出すべきかわからない。
花夜子は懸命に頭を働かせ、なんとか言葉を捻りだした。
「実は私、あなたにそっくりな人が出てくる夢を見るんです」
冬野に瓜二つな少年が水中に沈んでいく夢であること。彼は江戸時代の歌舞伎役者で、夢の中の自分がファンだったこと。ただの夢ではなく、前世の記憶ではないかと思っていること。
花夜子は結局、包み隠さず話すことにした。
「突拍子のない話で、びっくりしましたよね。すみません!」
「いえ」
冬野は束の間沈黙すると、花夜子に視線を向けた。
「実は俺も……さっきあなたが転んだ時、断片的に記憶を思い出しました。あなたが言った夢と、同じ内容のものを」
「え……」
花夜子は瞠目した。
それでは本当に、あの夢は前世の記憶なのだろうか。
「そ、それじゃあ、あれがどういう状況だったのかわかりますか!? あなたにそっくりな人が、水中に沈んでいくところ……。あれって、その」
ひと呼吸置いてから、花夜子は覚悟を決めて問いかけた。
「やっぱり無理心中だったんでしょうか!?」
冬野はきょとんとした様子でこちらを見返した。
「無理心中……?」
「はい。前世のわたしが、彼を好きなあまり川か海に突き落とし、自分も後を追ったのではないかと思って」
耳の奥で心臓がどくどくと脈打つ音が聞こえる。
固唾を呑んで答えを待つ花夜子に、冬野は目をまたたき――なぜか吹き出した。
「ふふっ」
「えっ?」
「ああ、すみません。あまりにも予想外だったので、つい」
笑いをおさめた冬野は、「違いますよ」と否定した。
「無理心中ではありません。その少年――恐らく前世の俺を、あなたは助けようとしてくれたんです。俺がうっかり川に落ちてしまった時に」
冬野の言葉を脳裏で反芻した花夜子は、ぽかんとした。
「助けようと……? え、えーっと、つまり。無理心中では、ない……?」
「そうですね」
前世の自分は、彼を殺したわけではなかったのだ。
その事実がじんわりと胸に浸透し、花夜子はへなへなと膝に顔をうずめた。
「よ、よかったあ……!」
「中屋さん?」
「もし無理心中だったらどうしようって、ずっと怖かったんです。許してもらえないかもしれないし、償っても償いきれるものじゃないと思って。でもそっか……違ったんですね」
人助けをしようとしたのなら、前世の自分は立派な人間だったと言っても差し支えあるまい。
推しに歪んだ独占欲を抱く人間ではなくて、本当によかった。
ここ最近頭を悩ませていた問題が解決し、高原の風が吹き抜けていくような清々しい心地になった。
(あれ? でも、あの時……)
先ほど転んだ際に湧き上がった感情は、一体なんだったのだろう。
前世の冬野を救おうとした時のものだろうか。
だがあの時一番強く感じたのは、己を奮い立たせるような気持ちではなく、恐怖だった。
(水が怖かったのかな。実は泳げないのに助けようとしたとか?)
それに加え、一瞬、あるはずのない血飛沫が見えた。
あの幻は、前世の出来事と関係しているのだろうか?
「中屋さん」
「は、はい!」
名を呼ばれた花夜子は、物思いから覚めて背筋を正した。
冬野はためらうように視線をさまよわせてから、緊張した面持ちで口を開いた。
「その……前世で繋がりのあった人に会えるなんて、なかなかないことだと思うんです。なので、もしよかったら……連絡先、交換しませんか?」
花夜子は目をしばたたいた。
冬野の言葉を理解すると同時に、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「はい! ぜひ、お願いします」
ほっとしたように微笑む彼の姿に、花夜子は突如気恥ずかしくなってうつむいた。
嬉しさのあまり緩む頬を、抑えることはできなかったけれど。
彼女の中にあった違和感は、この時すっかり消えてしまった。
***
ふたりともスマホを置いてきたので、連絡先は後で交換することになった。
花夜子は冬野と同学年だったので、互いに敬語は止めにした。
心の距離が近づいたようで嬉しくなるが、それと同時に、冬野は己の浅ましさに嫌悪を覚えた。
花夜子には先ほど前世を思い出したと告げたが、あれは嘘だ。
冬野が前世の記憶を取り戻したのは、今から半年前、十五歳の誕生日を迎えた時だった。
図書館で花夜子を見かけた時、彼女の生まれ変わりに違いないと確信した。
だが、声を掛けるつもりは毛頭なかった。
――前世の彼女は、冬野のせいで命を落としたのだから。
(合わせる顔がないと思っていたけれど)
しかし、冬野の心情など知るよしのない花夜子は、無邪気に話しかけてきた。
そんな彼女を見ていたら、二度と近づくまいという決意はあっさり吹き飛んでしまった。
罪悪感は変わらずに、冬野の胸中に重石のように横たわっている。
それでも今世こそ、彼女と幸せになりたいと願ってしまったのだ。
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