二、 仲良くなりたいのに
あれこれ考えてみたものの、他校生とお近づきになる良案はさっぱり思い浮かばなかった。
学習室には、長机一台につき二脚づつ椅子が配置されている。そのため、空いていれば彼の隣に座ることは可能だ。
しかし、そこから先が問題である。
勉強に来ている相手に話しかけるなど、迷惑行為以外のなにものでもない。だが、相手が退出してから追いかけるのも、口実がなければストーカーのようだ。
そんな風に思い悩んでいるうちに、あっという間に試験日が近づいて来た。
試験が終わったら図書館通いはやめるつもりだったが、このままでは日参せざるを得ないだろう。
そこまで考えて、花夜子ははたと思い至った。
(あの人も試験勉強に来ているとしたら、もうすぐ来なくなっちゃうかも……!)
彼の試験がいつなのかはわからないが、花夜子の学校とそう大差ない日程だろう。
(うちの学校は、試験まであと二日)
それまでに、なんとしても方法をひねり出さねばならない。
試験勉強も追い込みに入っているのにと、花夜子は半泣きになった。
しかしその翌日、花夜子は運に恵まれることになる。
その日は、夜から雨が降るという予報があった。
学習室が閉まる直前に退出し、図書館の出入り口へと向かう。
時刻は十九時。予報通り雨が降ってきたのか、外は墨を流したように真っ暗だ。
疲労のためよろよろと玄関ポーチに出ると、想像していたよりも雨脚が強かった。
(普通の傘も持ってきてよかった)
花夜子は普段折りたたみ傘を持ち歩いているが、雨の予報があれば長傘を持っていくことにしている。
屋外の様子を見るに、折りたたみ傘では心許なかったことだろう。
傘を広げようとした時、花夜子は先客がいることに気がついた。
(あ、あの人!)
花夜子から五歩ほど離れた位置に、例の他校生の姿があった。
じっと雨を眺めている様は、どうすればいいのか考えあぐねているように見える。
(もしかして、傘持ってないのかな)
だとすれば、自分の取るべき行動はひとつだ。
このチャンスをふいにすれば、彼に話しかけることは二度とできない気がする。
花夜子は束の間逡巡したが、やがてなけなしの勇気を振り絞って声を掛けた。
「あ、あの!」
ポーチの乏しい明かりのもと、他校生がこちらに顔を向けた。
やはり、目鼻立ちの整った面立ちをしている。どことなく憂いを帯びた眼差しに、どきりとした。
体中の血液が顔に集まったのではないかと思いながら、花夜子はなんとか言葉を続けた。
「か、傘、持ってないんですか?」
「え? あ、はい」
「わたし二本持っているので、よかったらこれ、使ってください!」
紺色の長傘をずいっと差し出すと、他校生は困惑した表情になった。
「いや、でも」
「わたし、毎日学習室を使っているんです。次に会った時に返していただければ大丈夫ですから」
勢いに任せてそこまで言うと、花夜子は長傘を相手に押しつけ、折りたたみ傘を広げた。
「では!」
相手の返事も聞かず、花夜子は外へと駆けだした。
足元に跳ねかかる水しぶきも、吹き付けてくる雨粒も、今は全く気にならない。
(やっと話しかけられた!)
花夜子は叫び出したい気持ちを抑えながら、家に向かって全速力で走った。
「で、あんなに嬉しそうだったのに、今はなんでそんなに落ち込んでるわけ?」
中間試験最終日。
試験が終わった気晴らしに、花夜子と七緒は駅前のショッピングモールに来ていた。
腹ごしらえをするべくファーストフード店に入ったが、注文して席に着いた途端、七緒から問いただされてしまった。
「テスト、そんなに駄目だった?」
「ううん。まあまあできたと思う……」
花夜子はストローから口を離すと、大きくため息をついた。
「……例のそっくりさんに、傘を返してもらったんだけど」
そこで己の不甲斐なさを思い出し、花夜子はその場に縮こまりたくなった。
「全然話しかけられなかった……」
「えっ。返してもらって、それで終わり?」
「うん……」
あーあ、と言いたげな七緒の表情に、花夜子はますます気落ちした。
一昨日、彼は学習室を出た花夜子を追いかけて、傘を返してくれた。
『傘、ありがとうございました』
そう言って微笑む彼に、花夜子はなにも言えなかった。
親しくなるための口実を思いつけなかったのもあるし、なにより、彼に嫌われたくなかったのだ。
夢の話をしたところで、彼に前世の記憶がなければ気味悪がられるだけだろう。無理心中した記憶があるならば、これ以上顔も見たくないと思われているかもしれない。
――それに耐えられる自信が、花夜子にはなかった。
「……もう、どうすればいいのかわからないよ」
千載一遇のチャンスを、自分の手で握りつぶしてしまった。
そのことが、二日経っても花夜子を苦しめていた。
「来週末、うちとあんたんちでバーベキュー行くって聞いた?」
「えっ、そうだったっけ」
花夜子は目をしばたたいた。
花夜子と七緒の母親は友人同士で、家族ぐるみで親しくしている。母娘ふた組みで出かけることも多く、今回もその口だろう。
母から通達されていたかもしれないが、試験と他校生に気を取られて聞き流してしまったのかもしれない。
「もうちょっと先の話だけどさ、気晴らしにはなるんじゃない? ひとまず悩んでることは全部忘れて、思いっきり遊べばいいよ」
「……うん、そうだね」
七緒の気遣いに、花夜子は微笑んだ。
彼女の言うとおりだ。
ここ最近、あれこれと思い悩んできたが、さすがに疲れてしまった。自然の中でリフレッシュできれば、今後どうすべきか考えが浮ぶかもしれない。
気を取り直した花夜子は、ハンバーガーに勢いよくかぶりついた。
バーベキュー当日。
車で一時間かけて渓谷に辿り着いた花夜子たちは、釣りを楽しんだ後、バーベキューコンロで食材を焼き始めた。
ゆったりと流れる川や周囲に広がる木々の鮮緑を眺めていると、張り詰めていた心身がほぐれていくようだ。
食事を終え、同行者たちの会話を聞くともなしに聞いていた花夜子は、六歳ぐらいの女の子が川縁をうろうろしているのに気づいた。
なんとなく気に掛かって近づいてみると、女の子は泣きそうな顔で川底を見つめている。
その様があまりにもいじらしく、花夜子は思わず声を掛けていた。
「どうしたの?」
女の子は愛らしい面差しをこちらに向けて、「イヤリングを探してるの」と言った。
「川で遊んでたら、どこかに落としちゃったみたい……」
お気に入りだったのに、とうつむく女の子の左耳には、星の形をしたピンク色のイヤリングが揺れていた。
――なるほど、片方を落としてしまったのか。
花夜子が口を開こうとした時、誰かがこちらに走り寄ってきた。
「
「お兄ちゃん」
「あんまり遠くへ行くな。危ないだろう」
どうやら、家族が迎えに来たようだ。
花夜子は晴日と呼ばれた少女の兄に顔を向け、息を呑んだ。
「あ……」
相手もこちらに気づいたようで、目を丸くした。
「あなたは……」
そこにいたのは、花夜子の悩みの種である他校生だった。
彼は花夜子より先に我に返ると、「すみません」と頭を下げた。
「妹がご迷惑を掛けたみたいで」
「迷惑なんて、そんな」
花夜子は勢いよく首を振ってから、はたと考えついた。
(これはもしかしなくても、チャンスなのでは?)
恐らく、彼と接触できるのはこれが最後だ。
もはやためらっている場合ではないと、花夜子は勢い込んで話し始めた。
「あの、イヤリング探し、わたしにも手伝わせてください!」
「え……」
ぽかんとする彼に、花夜子は頬が赤らむのを感じた。
「す、少しでも人数が多い方が、見つかる確率は高くなると思います」
「いや、でも……妹の問題に付き合わせるのは……」
「大丈夫です! 今ちょうど、体を動かしたかったので!」
自分でもよくわからない返答をした花夜子は、靴下と靴を脱いで浅瀬に向かった。
背後からもの言いたげな視線を感じるが、今はそれに反応している余裕がない。
川に入ってみると、この辺りの水深はかなり浅いことがわかった。河原の近くでは、足首にも満たない深さだ。
青緑色の透き通った川に束の間見とれてから、花夜子は今更のように思い出した。
(あ、どこで落としたのか聞いてない!)
気が急くあまり、肝心なことを尋ね忘れていた。
冷たい水に足をつけているのに、再び顔が火照ってきた。花夜子は恥を忍んで、他校生を振り返ろうとした。
「あの――」
その瞬間、花夜子は川底の石に足を取られ、前のめりに傾いた。
転ぶ、と思った直後、彼女は水面に叩きつけられていた。
顔が水に浸かった瞬間、花夜子の心中に様々な感情が広がった。
――恐怖、混乱、焦り、悲しみ。
今感じるはずのない感情のうねりに、花夜子はパニックになった。
(なにこれ)
水中を見ているはずなのに、目の前に鮮血が飛び散ったような気がした。
赤い。
なにもかもが、真っ赤に染まって見える。
(いや……!)
固く目をつむった時、花夜子は勢いよく腕を引っ張り上げられていた。
「大丈夫ですか!?」
助けてくれたのは、他校生だった。
花夜子は川底にへたり込んだまま、心配そうにこちらをうかがう彼を、惚けたように見上げた。
「……あの」
「はい」
彼の顔を見ているうちに、自然と口が動いていた。
「あなたに、聞きたいことがあるんです」
──先ほどの現象は、夢で見た出来事に関わっているのではないか。
つまり、彼に関係することかもしれないのだ。
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