前世、推しと無理心中した疑惑あり

水町 汐里

一、 推しのそっくりさん

 暗く濁った水中に、ひとりの少年が沈んでいく。

 髷を結い、着物を着た姿は時代劇から抜け出してきたかのようだ。その少年に追いつこうと、懸命に手を伸ばす。

 彼の腕をつかみ、引き寄せた瞬間、花夜子かよこは決まって目が覚める。

 

「またか……」


 のろのろと起き上がった花夜子は、思わずため息をついた。

 ここ最近、立て続けに同じ夢を見る。

 過去の経験ではないし、なんらかの物語に影響されたものでもない。なぜこの夢を見るのか、皆目見当がつかなかった。

 

「あの子は誰なんだろう」


 カーテンを開けて朝日を浴びながら、花夜子は目を細めた。

 江戸時代と思しき格好の少年。十六年生きてきて、彼と似た人物を見た覚えがなかった。


「もしかして前世の出来事……とか?」


 口に出してみて、その荒唐無稽さに思わず苦笑してしまった。

 もし本当に前世の記憶なら心が弾むだろうが、自分はいたって平凡な人間だ。物語のヒロインのように特別なことが、己の身に起きるはずがない。


 ――そう結論づけたものの、わだかまりは依然として胸に居座り続けている。

 花夜子は物思いを振り切るように踵を返し、部屋を出た。



***



 昼休みのこと。自分の席に座る花夜子は、半ば呆然としながら弁当を口に運んでいた。


「……よこ。花夜子!」


 強い口調で呼びかけられ、花夜子はびくりと体を震わせた。


「わっ! な、なに?」

「なに? じゃないでしょう。私の話、聞いてた?」

「あっ、ごめん!」


 肩をすぼめる花夜子に、目の前に座る幼馴染み・七緒なおは嘆息した。


「大した話してないし、別にいいけど。それよりあんた、今日はどうしたのよ。ずっとぼんやりしてるじゃない。さっき先生に当てられた時も無反応だったから、びっくりしちゃったよ」

「うう……」


 忘れ去りたい失態を持ち出され、花夜子はうなだれた。あの時は、穴があったら是が非でも入りたかった。

 今まで品行方正で通してきたのに、あれで評価が下がってしまったかもしれない。

 花夜子は箸で持ち上げたブロッコリーを見つめながら、ためらいがちに口を開いた。


「ちょっと、びっくりすることがあって」

「なに?」

「わたしでも信じられないことだから、七緒ならもっと信じないと思うけど……」

「前置きはいいから、さっさと話して」


 気の短い幼馴染みに、花夜子は観念した。


「最近ね、ある夢を何度も見るの」


 花夜子は水中に沈んでいく少年の話を手短に話した。

  

「それで昨日のことなんだけど……夢の中の子とそっくりな他校生を見かけちゃって」

「どこで?」

「図書館の学習室」


 中間試験の勉強をするため、花夜子はここ数日、地元の図書館に通っている。

 長机が三列置かれた部屋で、彼女は後方に座って勉強していた。

 そこでふと顔を上げたとき、通路を歩いてくる男子が見覚えのある顔だと気づいたのだ。


「ん? その夢の中の子、目を開けてたの?」

「ううん、閉じてた」

「じゃあ似てるかどうかなんて、わからなくない?」

「三日前から、また違う夢を見るようになったの。今度はその男の子と会話している夢」


 最初の夢に登場した少年と同一人物だと思ったのは、髪型が特殊だったからだ。

 花夜子のイメージする江戸時代の男性は月代さかやきを剃った姿だが、少年は前髪を残していた。どちらかと言うと、女性の髪型に近い。


「話の内容は覚えてないの。でも、男の子が歌舞伎の女形で、わたしがその子を推してたってことは覚えてる」

「それはまた、ずいぶん設定の細かい夢だね」

「……ただの夢じゃないのかもしれない」


 花夜子は水筒のほうじ茶をひとくち飲むと、ひと呼吸置いてから言った。


「最近見る夢って、前世の記憶なんじゃないかな……」


 思ったよりも自信のない口調になってしまった。

 水筒の蓋を閉めた花夜子は、そろそろと顔を上げて七緒の様子をうかがった。

 果たして七緒は、呆れ返った様子でこちらを見ていた。


「そ、そんな顔しなくても!」

「そりゃあ、こんな顔にもなるよ。いくらなんでも突拍子がなさすぎ。現実的に考えるなら、その人と前に会ったことがあるんじゃない? 花夜子が忘れてるだけで。それがなにかの拍子に記憶の蓋が外れて、夢に登場したとかさ」

「それはないと思う」

「なんで?」

「きれいな顔をした人だから、一度見たら忘れられないと思うの」

「ふうん」


 七緒は焼きそばパンを咀嚼そしゃくしてからにやりと笑った。


「もしかして、好きなの? その他校生のこと」

「えっ!? べ、べつにそんなんじゃないよ……!」


 勢いよくかぶりを振った花夜子は、紅潮した顔を隠すようにうつむいた。


「……でも、夢の中のわたしは彼のことが好きだったのかも」

「恋愛的な意味で?」

「うん。だって、沈んでいく彼をつかまえようとする夢だよ? もしかして……好き過ぎるあまり、無理心中したんじゃないかと思って」

「ええ、助けようとしているんじゃないの?」

「相手を突き落としてから自分も飛び降りたのかもしれないし……」


 花夜子は深々とため息をついた。


「ああ、本当に無理心中だったらどうしよう」

「どうしようって、気にしたってどうにもならないでしょう。そもそも前世なんて全く関係なくて、ただの夢かもしれないし」

「それはそうなんだけど……」


 のろのろと白米を口に運んで、花夜子は目を伏せた。

 前世の記憶であるかどうかは、花夜子にも半信半疑だった。しかし、夢の少年と似た人物を現実で見かけてしまった以上、たんなる空想だとは思えなくなってしまった。


「じゃあ仮に前世の記憶だとして、あんたはどうしたいの?」

「どうって……」


 花夜子は虚を突かれた。

 無理心中かどうかで頭を悩ませていただけで、そこまでは考えが至らなかった。

 黙々と弁当を食べながら、花夜子は己の胸中を探った。


「ひとまず、真相が知りたい。無理心中したのか、そうでないのか。もし本当に心中したなら、相手にちゃんと謝りたい。許してくれないかもしれないけど」

「なるほど」


 七緒はひとつ頷くと、今度はメロンパンに取りかかった。

  

「……水を差すようで悪いけど、それ、結構ハードル高いよね」

「え?」

「だってさ、まず夢の内容が前世のものだって確定したわけじゃないでしょう。それに花夜子の夢が前世の出来事だったとしても、相手があんたと同じ記憶を持っているとは限らないし、そもそもその他校生が歌舞伎役者の生まれ変わりだとは断言できないよね?」

「う、うう」

「あなたと前世で会ったことがあるんです! なんて知らない人に声かけられたら、私なら即効で逃げるね。どう考えてもヤバい奴じゃん」


 いちいちごもっとも過ぎて、ぐうの音も出ない。 

 すっかり落ち込んだ花夜子に、七緒は追い打ちをかけてきた。


「それにさ、花夜子。普通に男子としゃべれる自信ある?」

「……ないです」


 男兄弟がいない上に中高一貫の女子校に通う花夜子にとって、交流のない同年代の男子は少しばかり苦手だった。

 まさに八方塞がり。花夜子はがっくりと肩を落とした。



***


  

 その日の放課後、花夜子は図書館の学習室へと足を向けた。

 すっかり定位置となった右端後方の席に座り、勉強を始める。しばらくして彼女は、前方の掛け時計に目をやった。


(うん……?)


 ノートに視線を戻す際、なぜだか引っ掛かりを覚えた。

 きょろきょろと周囲を見回した花夜子は、はっと目を見開いた。


(夢の子のそっくりさん!)


 左斜め前方の席に、昼に噂をした他校生が座っていた。

 こちら側からは横顔しか見えないが、やはり間違いない。そして見れば見るほど、夢の少年とよく似ていた。


(あの人もこれからここで勉強するのかな)


 彼と毎日会えるかもしれない。

 そう考えると、にわかに鼓動が早くなった。


(……やっぱりわたし、なにがあったのか知りたい)


 花夜子はシャープペンを握る手に力をこめた。


 たとえあの夢が前世の出来事であったとしても、本来なら花夜子には関係のないことだ。前世の自分と現在の自分は、全く別の人間なのだから。

 だがあの夢を見続けている限り、花夜子は無理心中を疑い、いつまでも罪悪感に苛まれるだろう。


(それは嫌だ)


 花夜子はもう一度他校生を見やると、決心した。


(ひとまず、あの人に話しかけてみよう。突然前世の話なんてしたら引かれるだろうから、まずは仲良くなるところから……)


 そうしてある程度親しくなったら、夢の話を打ち明ければいい。

 もし本当に無理心中だったなら、誠心誠意謝ろう。謝ってどうにかなる問題でもないが、とりあえず花夜子の中ではひと区切りがつく。

 彼が自分の前世とは全くの無関係だとしても、その時はその時だ。笑い話にでもしてしまえばいいのだから。


 どうすべきか決まり、雨上がりの空のようにすっきりとした気持ちになった。

 勉強まではかどりそうな気がして、花夜子は口許を緩めた。

 

(……ちょっと待って。仲良くなるって、なにをどうすればいいの?)


 花夜子は肝心なことが頭から抜け落ちていた。

 男子に話しかけることが、試験で全教科満点をとるよりも難易度が高いことを。 


 結局花夜子は試験勉強そっちのけで、他校生と親しくなる方法について頭を悩ませる羽目になった。

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