17 求める人

 大和の月曜の朝は、珍しく穏やかなスタートだった。

 朝から社外に出ることはあったが、11時前には戻り、次の仕事に取りかかる余裕があった。

 自社ビル2階の、社員達が忙しく作業をしている間を、さっと歩いて奥のデスクに座り、書類が詰め込まれている鞄の中身を全て出し、整理し始める。

 ふとデスク上の電話に、メモが貼られているのを見つけた。

 『ベース機器の澤瀬さんより10時にお電話がありました。また連絡を下さるそうです。須藤』

 「これ、あいつじゃねーか……」

 大和はメモを引き剥がし、ひらひらさせながら、少し離れた席でこちらに背中を向けて仕事をしている晃大に目をやった。

 晃大を通さず、直接電話をかけてくるというのは、つまり、そういうことだ。

 念のためスケジュールをチェックする。

 とりあえず19時からは予定が入っていない。

 席を立った大和は、誰もいない3階の社長室へ入り、少し緊張気味にメモにあった番号へかけた。

 「こんにちは。北園です。先ほどは不在で失礼しました」

 『いえ、こちらこそ突然で申し訳ありませんでした。あの、実は晃大君のことで、お話しがあるのですが、お時間を頂けないでしょうか』

 大和は内心やっぱりかと思いながら、

 「ええ、今日の19時はいかがですか? その時間なら、社員はもう帰っているので、うちの会社でお話をしましょう」

 と、始終穏やかに会話を進める。

 『ありがとうございます。夕方伺います。では、失礼致します』

 電話を切った大和は、2階のデスクに戻る途中で、晃大を横目で確認した。

 至って普通の様子に見えることから、やはり誠の行動の把握はしていないらしい。

 話の内容はどうせ、晃大に会わせろということだろう。

 しかもわざわざ自分を通すのは「お墨付き」が目的だ。

 あれから一ヶ月近く、二人は会わずに、このまま平穏に終わると思っていたが、誠はまだ諦めていなかった。

 大和は面倒そうに頭を掻きながら、自分のデスクへ腰をかけた。

 


 仕事が終わり、社員達が一斉に帰り出す。

 その中に、晃大の姿もあった。

 最近は松原がよく声をかけていて、今日も二人で何かを話しながらオフィスを後にする。

 しばらくして誰もいなくなると、デスクに残った大和は煙草を吸い出した。ほんとうはオフィス内は禁煙だが、喫煙室まで行くのが面倒で、つい火をつけてしまった。

 「あ、大和さん、ダメですよ〜」

 帰ったと思っていた社員がまだいた。

 嵯峨野小路健太郎。大和の二つ下で、仕事は出来るが、プライベートは頼りなく、トラブルがある度に大和に愚痴りに来る。だが憎めない男だ。

 「一本だけ、な?」

 「まあ、いいですけど。まだ仕事ですか? 手伝いましょうか?」

 「いや、これから来客があるんだよ、19時に。仕事じゃなくて、私用で」

 「え? 誰ですか?」

 「……晃大の友達。ほら、この前カラオケに行った時に、いただろ? 男前な奴」

 「ああ、あの人ですか。すごくいい人じゃないですか。晃大君を送ってあげてたし。そういえば、遊園地にも行ったって聞きましたよ。嬉しそうに話してくれました」

 「そこなんだよ。昔の高校の同級生が何の用なのか、アキにべったりとくっついている。おかしくねぇか?」

 「そうですか? いいじゃないですか。顔良し、性格良しの善人マンなんて、最高じゃないですか。俺なんか、学生時代の友達に借金肩代わりさせられてるんですよ? 二回も!」

 「お前はお人好しすぎるんだよ」

 「あ、もしかして晃大君も、その友達に何か狙われてたりして? 財産とかマルチとか……うわっ、心配になってきた」

 「俺も初めはそれを疑った。でも違うっぽいんだよな」

 「まあ、でも、俺が言うのもなんですけど、友達っていっても、やっぱり所詮他人ですからね〜。都合が悪くなればフェードアウトし放題ですから」

 「それを含めて話をする必要があると思っている……」

 「まあ、何の話かよく分かりませんが、俺も、晃大君が心配なんで、ちゃんと話してくださいよ。ずるずるが一番体に毒ですからね」

 「分かってる。かわいそうだけど、いつまで続くかわからない付き合いなら、余計な傷を増やす前に、深入りしないようにしてもらうしかないからな」

 大和は煙草を携帯灰皿に詰め込み、腕時計を見た。

 18時45分。

 「そろそろですね。俺、下でイケメン出迎えますよ」

 「いいって。帰れよ」

 「大丈夫です、暇なんで。でも、ここでいいんですか? 応接室のほうが良くないですか?」

 「あんな堅苦しいところで話すの、あいつも緊張するだろ。いいんだよ、オフィスの方が気楽で」

 「なるほど。じゃあ、連れてきますね〜」



 ベース機器、1階ロビーの横にあるカフェで、誠は一人でコーヒーを飲んでいた。

 定時で仕事が終わってからこのカフェで待機し、約束の時間まではあと20分ある。

 北園商店までは徒歩数分の距離だから、まだ時間に余裕があった。

 誠は、ガラス窓に自身の姿を映して、着こなしのチェックをする。

 和馬に、まずは身なりを整えるのが何より大事だと指南を受け、一番似合っているスーツを着てきた。

 それから、言われるままに、髪をいつもよりも丁寧にセットして、靴も磨き上げた質の良い物を履き、少し傷んでいた鞄もこの機に新調した。

 眉も意識して整え、前の晩は和馬に誕生日にもらったパックで、肌質も完璧にしてある。

 腕時計を見ると、18時45分。

 「そろそろ出るか……」

 立ち上がった誠は姿勢を正し、北園商店へ向かった。

 一歩一歩、近づくにつれ緊張感が増し、体がガチガチに強張ってくる。

 涼しげな表情はいつもと変わらないが、心の中は、大和との対面に熱いものを感じていた。

 大和を説得できれば、晃大と堂々と会える。

 そう繰り返し思いながら、いよいよ北園商店のビルの前に立った。

 ビル正面のガラス扉の前で、落ち着くためにと大きく息を吸う。

 人の気配はないが、照明が点いていることで、ドアノブに手をかけた。

 「……ん?」

 しかし、ドアは開かない。

 もう一度押して引っ張ってみたが、やはり動かなかった。

 と、その時、ビルの脇から、社員らしき若い男が出てきて、誠に声をかけてきた。

 「あの、晃大君のお友達さん?」

 「はい」

 「こっちこっち。大和さん上で待ってるから、行こうか」

 誠は急ぎ足で男に近づくと、一礼し「こんばんは」と挨拶した。

 「こんばんは。俺、嵯峨野小路健太郎って言います。名前長いでしょ? 大和さんには健って呼ばれてます。覚えてる? 俺ね、カラオケの時に居たんだよ。君は目立ってたから俺は覚えてたけどね。いや、それにしても今日も凄いね、君のオーラ」

 健太郎は「おお〜」と唸りながら、誠を上から下まで眺め回した後、

 「あ、ここ段差あるから気をつけて」

 と、言い、ビル横の社員通用口に案内する。

 階段を登りながら、健太郎はにこにこと笑って言った。

 「大和さんね、めちゃくちゃブラコンだけど、悪い人じゃないから、気楽にして。優しいからさ」

 「はい。ありがとうございます」

 健太郎の気安さに、誠の張り詰めていた気持ちも緩み、少し余裕が出てきた。

 先に立った健太郎が、二階のオフィスのドアを開けると、大和がデスクから立ち上がり、誠を出迎えた。

 おもむろに、右手を差し出し、

 「お久しぶりです。北園です」

 とにこやかに挨拶をする。

 誠もその手を握り、

 「ご無沙汰しています。今日はお忙しい中、突然の申し出にもかかわらず機会を作って頂き、感謝しています」

 と、緊張気味に返した。

 大和は、健太郎に何か飲み物を持ってくるように頼むと、窓から三番目のデスクの椅子を引き、誠に腰をかけるように促した。

 そしてその隣のデスクの椅子を同じように引き、お互い向き合うようにして座った。

 「君の座っているその席は、晃大のなんだ」

 優しげな声で、大和が誠の座っている席を指す。

 「そう、なんですか……」

 こんな時なのに、少しでも晃大に近づきたくて、デスクに片手を添え、温もりを探してしまう。

 晃大はここで、毎日様々なことを思う中で、時々は自分のことも思い出してくれていただろうかと、図々しくも考えてしまい、心から彼に飢えているのだと痛感した。

 大和は晃大のデスクを眺めながら続けた。

 「晃大は入社してからずっと、その席で仕事をしている。俺は、朝から寝るまで一緒で、いつもあいつのことを見続けてきた。初めは仕事がうまく出来ずに悩んでいたようだが、今はこの会社になくてはならない存在になった。いつか晃大に言われたことがあって、「この会社が無くなったら一緒に働けなくなるから、頑張って」と。あいつに頼りにされるのは嬉しい。でも、時々思っていた。生涯あいつの頼れる存在であり続けることは出来るのか、俺が突然いなくなったら、どうなるだろうとね」

 大和は腕組みをし、少し黙った。

 そこへ健太郎がお茶を持ってきた。

 二人それぞれのデスクへ置き、

 「じゃあ、俺、先に帰りますね」

 と言い、出て行った。

 大和は、そのお茶を渋い顔で一口飲み込み、話を続けた。

 「君は、晃大のことをまだ良く分かっていない。あいつは、のめり込むと見境がなくなる。俺の時は、俺の恋人に対してがそうだった。俺を取られると思い、体を壊すほど心を病んだ。もちろん悪気はない。ただ愛情が欲しいだけなんだ。だが、その特別な愛を俺や友情にも求めてしまう。今の君への気持ちがそうだ」

 「それでも私は……」

 黙って聞いていた誠が、口を開いた。

 「私は、彼を一人にしてはいけない、不安と孤独に晒してはいけないと思っています」

 「では、君は生涯を晃大のために過ごせるのか。この先、結婚で家庭を持つこともあり得るのに。君がこの先、晃大との関係が希薄になって、あいつが寂しさを抱えながら一人になるよりは、今のうちに孤独に慣れたほうが、まだましじゃないのか。それに、晃大もいずれ恋人が出来たら、家庭を持ちたいと願うだろう」

 「いえ、今が孤独であれば、今の時点で癒さなければ、意味がありません。彼が家庭を持ちたいと思う気持ちをも、逃してしまうかもしれません」

 「だが、晃大は君との関係は断とうと決めた。自分の孤独は自ら癒さなければ、繰り返すだけだと分かったからじゃないのか?」

 「それは、彼なりに気を使った結果だと思います。そして、身を引くのが一番だと決めたから……。彼は、自身が動かなければ、傷つくことはないと知っています。でも、なぜ悲しいのか、それは、傷ついても欲しいものがあるからです」

 誠と大和は、真正面でじりじりと見合っている。

 胸の中に煮えたぎる熱を持ちながらも、冷静な面持ちで対峙する二人は、それぞれの誇りをかけていた。

 大和は子供の頃からずっと間近で接してきた愛情、そして誠は、これから晃大と生涯を共に歩もうとする情熱で、お互いが一歩も譲らない。

 ほんの少しの間があり、先にため息をついて、苛立ちを見せたのは大和だった。

 「何故そこまで、ただの昔の同級生にこだわる。共に酒を飲み、昔を懐かしみ、今を語り合えれば、それでいいじゃないか。それが俺の知っている友情のあり方なんだが……。過剰な干渉は、君の自己満足のためじゃないのか?」

 「助けたい、幸せになってほしい、ただ、それだけです。人に触れて、触れられるようになって欲しいんです。私は、その手伝いがしたい。生意気なことを言いますが、あなたが他人だった奥さんを思う気持ち、その気持ちと何も変わらないと思います。仮にあなたに将来何かが起こった時、孤独を味わうかもしれないから、今のうちに孤独に慣れろと言いますか? あなたなら、孤独が襲ってきても、それを上回る、愛された記憶を作るような生活をする。そうですよね? 実際、そうして晃大君を守ってきた」

 「あいつをどんなに大切に愛おしんでも、俺に触れることはなかった。これほど長い時間をかけても無理だったんだ。他人に触れることは、不可能に近い」

 「あなたは、この先晃大君に恋人ができたらと、おっしゃいましたが、今はまだそこまで想像が出来ないから動けないだけで、触れることができるようになれば、気持ちが芽生えると思います。確かに、今は方法がわかりません。ですが、ただ待つよりは、前に進みたい。どうか、私に任せていただけませんか? 必ず今よりも幸せにします」

 そう言い切り、真っ直ぐに大和を見る目は、揺るぎない自信に満ちている。

 「参ったな……」

 (必ず今よりも幸せにって……まるでプロポーズの言葉じゃないか)

 大和は、数ヶ月前、美晴の両親の前で膝をつき宣言したことを思い出していた。

 確かに、誠の言い分は一理ある。考え方は違うが、絶対に間違いとも言い切れない。

 それに、きちんとした身なりで、礼儀も正しい。何より晃大が心から慕っている誠を、変わった酔狂者とも思えなかった。

 この男は、ただの真面目で、一本気なだけなのかもしれない。

 「……軽い人助けの気分では、君も晃大も潰れてしまう。後で後悔しないだろうな? 君のために言うんだ。人の一生は限られている。時間は戻らないぞ?」

 「分かっています」

 「晃大の愛情の飢え方は、あいつ自身の体に影響を及ぼすほど深い。そして、底なしに求めてくる。それでも受け入れられるか?」

 「彼が求めるなら、それを叶えます。もし彼が私の助けを必要としなければ、そこで私の役目は終わりだと考えています」

 (覚悟はあるらしい。だったら……)

 大和はこの憎らしい小生意気な男に、少し賭けてみようと考えた。

 立ちがった大和は、

 「……分かりました。晃大をよろしくお願いします」

 深々と頭を下げた。

 「ありがとうございます」

 誠は大和から晃大の住所を受け取ると、すぐに階段を駆け下り、愛しい人の元へ急いだ。

 

 

 北園商店から数分先の、築浅で小規模の建物が、メモに書かれていた住所だった。

 道路から見えるマンションの1階、メモに書かれた部屋には明かりがついている。

 誠はさっそく建物の裏に回り、106号室の玄関チャイムを押した。

 しかし、反応がない。

 二度目を押すと、晃大が俯いたまま扉を開けた。

 ドアの隙間から久しぶりに見る顔は、血の気が薄く、体はすっかり痩せていた。

 すぐさま抱きしめたい衝動に駆られるが、拳を握り堪え、至って冷静に努める。

 「迎えに来た。一緒に帰ろう」

 誠が一言いうと、晃大は顔を伏せたまま、

 「入って」

 か細い声で、誠を招き入れた。

 玄関から入ってすぐ、小ぶりなキッチンが見えた。だが使用している形跡がなく、そこから数歩行けば、まだ段ボールが積んだままの殺風景な部屋にベッドがぽつんと置いてあった。

 一ヶ月近くも住んでいるのに、まるで生活感がなかった。

 「僕は、ここで寝てるんだ」

 晃大は誠を見ずに、ベットを指差した。

 「そうか……」

 「誰もいないから、安心して眠れると思ってたんだ。でも、眠れないんだ。誰も僕に触れることがないのに、なんで眠れないんだろう……」

 誠はたまらなくなり、晃大の側に近寄った。

 だが晃大はそのまま動かずに、ベッドに視線を落とし、うつろな声で続けた。

 「事件の後、誠と再会して、初めはどうして構ってくるのだろうって思った。でも、一緒にいて楽しくなってくると、今度は、離れるのが怖くなった。正直、後からの方が辛かった。もし放り出されたらと考えてしまうから。距離を置くことを決めてからは、元に戻るだけだと思ってた。なのに、誠と一緒にいた時間が忘れられなくなってる」

 晃大は、一呼吸置くと、誠の目をじっと見据えた。

 「苦しい……なんで優しくなんかしたんだよ。知らない方が良かった、こんな気持ち」

 悲しげなその声に、誠は心を込めて思いを伝えた。

 「ほんとうにそうだよな。俺は分かってなかった。辛い思いをさせてごめん。でも、晃大の苦しみを取り去りたかったんだ」

 初めて聞く、誠の辛そうな声に、晃大の心は大きく揺れていた。

 自分だけではない、誠も苦しんでいた。

 しかも、こうなってしまったのは、誰でもない自分が一方的に関係を断ち切ってしまったためだったのに……。

 晃大は混乱し呼吸が荒くなった。

 「だって、こんなに大切に思ってるんだよ! なのに、全然抱きしめることができないんだ。触れたいのに、こんなに触れられたいのに、無理なんだ」

 堪えきれなくなった晃大が、崩れるように膝をつき泣き出した。

 誠は膝をおり、肩を震わせている彼を慰めた。

 「この先どうなるか、どこまでいけるか俺も分からない。でも、過去の辛い経験が晃大を苦しめていても、これからの日々を、一緒に記憶に残すことが出来れば、きっとそれを思い出して生きていけると思う。俺にその手助けをさせて欲しい」

 「誠の人生を僕のために使うなんて、そんなこと絶対にできないよ」

 「いいや、俺の人生は、晃大のためにある」

 その言葉に、晃大は不可解な面持ちで、誠を見上げた。

 「実は、晃大のことは、高校の頃から気になっていた。体に困難な症状があると知ってからは、何とか力になれないかと考えていた。今の仕事も、その思いが強かったから、医療関係の職に就いたんだ。晃大と再び出会い、運命と感じた。そして、まだ苦しんでいると知って、助けたいと思った」

 「……僕は、初めから同情されているんだと、分かってた。それでも友達として付き合うことが出来るのが嬉しくて、それでもいいやって……でも、途中から……僕は……」

 晃大は、そこまで言いかけて、黙ってしまった。

 「一緒に暮らそう……」

 誠の言葉に、晃大は首を振った。

 「……だめだよ」

 「晃大が好きなんだよ」

 「僕だって好きだよ」

 「俺の好きっていうのは、大好きだっていう意味だよ」

 「僕も大好き」

 「違う、そうじゃなくて、ほんとうの好きっていうこと」

 「だから僕もほんとに好きなんだって」

 「……晃大の好きは、俺が親友だから?」

 「う、うん……そう、だけど……」

 言えない本心を隠すことが、誠のためになると信じ、言葉を濁す。

 その戸惑うような様子に、誠は、苦しげな顔で告げた。

 「違うんだ。俺のは、そういう好きじゃないんだよ」

 「どういうこと?」

 そして覚悟を決めた。

 もし、気持ちを伝えて、晃大が動揺したり拒絶されたら、この感情とは別れよう。

 彼の体の治癒のみに専念して、親友としてその未来を共に出来ればそれでいいじゃないか。

 元々、それを目的に近づいたのだから、また一から始めるだけだ。

 ただ、最後に、この気持ちを伝えるわがままを許して欲しい。

 それから晃大を真っ直ぐに見つめて、堂々と言葉にした。

 「愛してる」

 その瞬間、晃大の表情は固まり、何度も瞬きを繰り返した。

 「あ、愛してるって……誠も?」

 「もしかして、晃大、俺のこと……!?」

 「そうだよ、僕も愛してるんだ……!」

 「親友としてじゃなくて、恋人として? ほんとうに?」

 「信じられない……こんなことって、あるんだね……」

 体の強張りが溶けて、ふっと笑い出した晃大に続き、誠も笑い出す。

 二人はひとしきり笑い合うと、次に訪れた静寂の中、真剣な眼差して見つめ合った。

 「俺は本気だから。ずっと隣にいる。晃大がこの先誰かに出会って、その人と人生を共にしたいと思うまで、一緒にいるから。だからそれまでは……」

 「この先出会う誰かじゃなくて、誠がいい。ううん、誠じゃないと意味がない」

 晃大は、頬についた涙の跡を手で拭った。

 誠の目は真っ直ぐで、いつも偽りがない。

 愛していると言ってくれたのも、同情や不憫の類いではなく、本気のものだった。

 もう、委ねてもいいのかもしれない。

 一人で立っているのは、すでに限界なのだから。

 手を差し出す誠の、

 「一緒に帰ろう?」

 その包み込むような笑顔の前に、大きく頷いた。



 次の日の朝、誠はベッドから起き上がると、隣に寝ている晃大におはようと声をかけた。

 起きた晃大はよく眠れたと、大きなあくびをする。

 二人で朝食を作り、笑いながら食べて、仕事へ行くためにスーツに着替えた。

 一度は消えてしまったと思っていた時間が再び戻ったことに、晃大はまだ夢の中にいるのではないかと信じられない気持ちでいた。

 ソファに座り、テレビのお天気コーナを見ていた晃大が、ぼそっと言った。

 「まだ実感がないんだけど、僕は誠の恋人なんだよね?」

 「そうだよ」

 コーヒーを煎れながら、誠はにっこりと答える。

 こうして二人で過ごす時間も親友の頃と全く同じで、違いといえば、誠を見ている間、心の中がずっと騒がしいことだ。

 以前は誠を見ている時、人馴れしていないせいで恥ずかしく、視線を逸らすことがあったが、今は彼から目を離せなくなっている。

 元に戻ったのはではなく、確実に関係は変化していると感じていた。

 そして、誠を愛していると認識した時から、ずっと頭の中にあったあのことを確かめたくなった。

 「じゃあさ、いつか、おはようの……あれ、する?」

 「あれって?」

 誠は、カップにコーヒーを注いで、テーブルに置き、ソファに座る。

 晃大の質問の答えは分かったが、ちょっとした意地悪で知らないふりをした。

 「あれだよ、だから……分からない?」

 「あー、分かった。これ……?」

 二人の間にあるクマを避け、誠は晃大に体を寄せた。顔を近づけ唇の手前で、止める。

 「……こういうこと?」

 「そ、そう……これ……」

 「今、したいなら、するけど?」

 その唇は、ほんの少し体を動かせば触れそうなくらいの距離で、待っている。

 息をするだけで触れそうで、ずっと触れかった唇が目の前にあるのが、現実なのにどこか儚い夢のように感じて、不思議な緊張感に包まれる。

 愛しさで高鳴る鼓動に身を任せて、このままキスが出来たら、どれほど満たされるのだろうか。

 しかし、それと同時に、真逆の恐怖心に心の中を勝手にかき回され、結局、体を動かせずに固まってしまう。

 晃大は辛そうに瞳を閉じた。

 「ちょっと……やっぱり怖い……ごめん。自分から言ったくせに、出来なくて……」

 晃大が体を仰け反り気味にして答え、誠はスッと身を引いた。

 「そういうことしたいって思ってくれるだけで、俺は幸せ」

 コーヒーカップを晃大に渡して、誠は嬉しそうに笑った。

 飲みながら気持ちが落ち着いた頃、晃大は、まだ誠に聞きたいことが沢山あり、どれから質問しようかと考えていた。

 まずは、昨日のことだ。

 「僕の部屋、よく分かったね。後をつけた……とか?」

 「違うよ、そんなことしない」

 「だよね。誠はそんなこそこそしないよね。じゃあ、どうやって……?」

 すると、誠はスーツのポケットから、一枚のメモを手渡した。

 「あ、これ、大和の字だ」

 「そう。大和さんに、住所をもらった」

 「え? 大和と会ったの? 何で? もしかして、呼び出された?」

 穏やかだった晃大の顔が、みるみる青ざめていく。

 「違うよ。俺が大和さんに会って、俺の話を聞いてくれるように頼んだ。大和さんはきちんと話を聞いてくれて、それで、晃大と会うことを了承してくれた。つまり俺らは、公認になったっていうわけだ」

 「信じられない……あの大和が……。じゃあ、もう言い訳しなくていいんだ。一緒に住むことも、認めてくれたんだ?」

 「そうだよ。だから、ここから堂々と出勤して、帰りは俺と帰る。むしろ、これからは一緒にいないと、心配するんじゃないかな?」

 「ここに来ることも、一緒に暮らすことも、これから言わないといけないと思ってたから、よかった……」

 心から安心した晃大は、ソファの背に寄りかかり、安堵の息をつく。

 「でも、何て説得したの? 大和がよくO Kしたね」

 「色々と伝えたけど、最後は、晃大のことを「必ず今よりも、幸せにします」って言った」

 それを聞いた晃大の目に、一気に涙が溢れた。

 「……僕、これから仕事なんだよ?」

 「あー、ごめんごめん、今タオル持ってくる」

 誠の後ろ姿を、晃大は涙でぼんやりとした目で追う。

 (あの背中に飛び込んで行けたら、いいのに……)

 晃大の心の中にはまだ、幸せと不安が混在している。

 だが、誠ならきっと、不安を一つずつ消すことに協力してくれるはずだ。

 軽く湿らせたタオルを受け取った晃大は、顔を拭いた後、思いっきり笑ってみせた。

 「時間だね、そろそろ出ようか!」

 「あ、外は少し寒いと思う。俺の薄手のコート貸すから着ていけば?」

 「サイズ合わないと思うけど?」

 「袖めくればなんとかなるよ」

 「……じゃあ、借りる!」

 コートはやはり大きめで、着たらロングコートになってしまったが、誠に包まれている気がして、嬉しくなった。

 玄関の鍵をかけて、二人で出勤する。

 並んで歩くだけで、幸せが溢れ出す。

 「うわっ、ほんとだ、ちょっと寒いね」

 晃大はぶかぶかのコートごと自身を抱きしめ、誠の他愛もない話を聞きながら、駅までの道を楽しそうに歩いていった。

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