第8話 バイシャジャの地

 ドラゴエルもそうだったが、エリシアとメイナードが辿り着いた土地もまた、真円に近い形をしていた。

 例えるなら、直径一キロメートルを超える巨大なクッキーが大地からわずかに浮かんでいる、という感じだ。これでもドラゴエルと比べると遙かに小さい。

 そのクッキーの上には草原や森、丘、小川などがある。

 可愛らしい花も咲いており、その蜜を吸いに蝶が舞い降りる。


 美しい光景を見てエリシアは素直に「なんて幻想的な景色でしょうか」と思いつつ、同時に「あの花には滋養強壮の効果があるから、採取して乾燥させなきゃ!」と職業病的な考えも巡らせた。


「エリシア。お昼ご飯にしよう!」


 と、メイナードの声が聞こえた。

 見るべきところは多いが、そう広くない土地だ。

 大声で呼びかければ、互いの意思の疎通は容易い。

 というわけでエリシアは家へと向かう。


 ここにはかつて国があった。エリシアの御先祖様が暮らしていた国だ。

 何百年も前にドラゴエルに滅ぼされてしまった。

 国の名は『バイシャジャ』だったらしい。精霊アルラウネの声がそう教えてくれた。

 長い年月が経ち、過去の姿はもう分からない。

 それでも石造りの建物が、いくつか痕跡をとどめていた。


 屋根がとんがり帽子の形をした小さな家は、その中でも特に損傷が小さかった。

 二人はそれを住居にした。


 エリシアとしてはもともと住んでいた家と似たような大きさなので、実に落ち着く。しかしメイナードはお城暮らしの王子様だった。こんな狭い家で大丈夫か、とエリシアは心配したが、それは杞憂だった。


「俺は留学中、エリシアの家より狭い集合住宅アパートメントで一人暮らししていたんだ。別に不自由は感じなかった。どうやら俺は庶民派の王子らしい」


 そう冗談めかしてメイナードは言ったが、一緒に暮らして分かった。

 彼の生活能力は、エリシアより遙かに上だった。


 なんと剣で木を切り、ベッドやテーブルといった家具を自作してしまったではないか。

 しかも釘を使わず、木の形を工夫してパズルのように填め込んで組み立てた。

 使ってみたが強度に問題なし。


「どこでこんなスキルを身につけたんですか?」


「俺は王子だけど、ご存じの通り疎まれていたからね。わざとボロボロの家具を与えられたんだ。なら自分で作ってやろうと」


 それと、家そのものの修繕も進めていた。

 なにせ損傷が小さいといっても、何百年も放置された建物だ。隙間風が入り込むし、雨漏りだってする。


「聖都の集合住宅アパートメントが安い代わりに酷くてね。大家に苦情を入れたら、自分で直せと。それで本当に直したんだよ」


 この人、本当に王子か? とエリシアは首を傾げた。

 とはいえ、家具作りや家の修復スキルは単純に「頼もしい」の一言で片付けられる。

 しかしメイナードは料理まで上手だった。




「今日はキジを仕留めたから香草焼きにしてみた」


 家に帰るとメイナードの笑顔とともに、香ばしい匂いが出迎えてくれた。

 野鳥を捕まえて食べる。それはいい。しかし、そこらに生えている草を味付けに使うという発想がエリシアにはなかった。

 エリシアにとって草とは、薬の材料になるか否かの二つである。


 二人でドラゴエルを脱出してから約一ヶ月。

 彼の手料理を何度も食べたが、どれも美味しかった。


 たまにエリシアも料理を振る舞っても、食材を切って焼くか煮るかしかない。レパートリーが絶望的に少なかった。

 これが町中なら調味料が手に入るので、まだやりようがある。

 しかしメイナードは、このなにもない状況で、以前ハンバーグを作ってみせた。

 脱帽である。

 今日出てきたキジの香草焼きだって――。


「ほっぺが落ちそうなくらい美味しいです!」


「よかった。エリシアのその笑顔が見られると思うと、作りがいがあるよ」


 女なのに男より料理が下手で悔しい、という思いは早々に捨てた。

 大人しく「美味しい美味しい」と食べたほうが、お互い幸せになれる。


「こないだドラゴエルに寄ったとき、調理器具をいくつか回収できたのがよかった。次はどこか生きてる町に行って、食材や調味料を仕入れたいね」


 モンスターの襲撃を受けたらしいドラゴエルは、生き残りが誰もおらず、建物も倒壊し、それは悲惨な状況だった。

 その状況でも金属製のフライパンやスプーンなどは原形をとどめていた。

 だが陶器の類いは残骸しか見つからない。

 布製品もズタズタだったり血まみれだったりして、とても拾ってくる気になれなかった。

 よって現状、生活必需品がまるで足りていないのだ。


「そうですね。葉っぱを敷き詰めただけのベッドをそろそろ卒業したいですし。野菜の種を買って畑を作れば自給自足できますね」


「それはいい。なにを育てるか楽しみだ」


「植物の管理は任せてください」


 お互い得意分野が違う。

 エリシアはメイナードのように家具を作れないし料理もできないが、彼は薬草を育てたりポーションを作ったりはできない。

 助け合って生きていけるのだから、むしろいいことだろう。


 それにしても、二人の生活が始まって一ヶ月。

 幸せこの上ないが、そろそろ刺激が欲しくなってきた。

 その意味でも、町を目指すというのは素晴らしいアイデアに思える。


 だが、刺激は向こうからやってきた。

 エリシアとメイナードが食器を洗っているとき、巨大な魔力の持ち主が二人、このバイシャジャの地に侵入してきたのである。

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