第6話

 将来、警察官になることが当然であると思っていた。

 両親に言われていたからというのもひとつの理由ではあるが、自分の意思もその中には少なからず含まれていたと思う。ただ自然と警察官になるという流れになっているだけで、そう勝手に思っているのは俺たち自身だ。周りが言っているからそうする。信じて疑わないほどに、俺たち姉弟は『警察官になる』という将来を確信していた。


 羽衣が中学に上がった頃、彼女の心は段々と壊れていった。

 原因はクラス内での陰湿ないじめだった。

 親が警察だから下手に触れないでおこう、触れてしまえばどうなるか分からないぞ、とクラスメイトたちは羽衣を腫れ物扱いした。こうして徐々に羽衣はクラス内で孤立していったのだ。


 羽衣はその頃から中学三年生の春まで不登校になった。たまに保健室登校の日もあったけれど、午前中だけ登校して午後は自室に引きこもるということもあった。当時は「勉強しなくていいなんてずるい」と思っていた俺だが、今考えてみれば羽衣は勉強がしたくてもできなかった心身状態だったのだと理解できる。


 彼女が再び立ち上がることができたのは、アニメと出逢ったことにある。


 昔から見ていたような子供向けの教育アニメではなく、深夜帯にやっているようなライトノベル系のアニメだ。

 アニメの世界は自分の世界とは異なる。当たり前だ。海外や異世界、時空を超えて未来を超えて。そんな『自由』な世界に羽衣は憧れた。やがてその憧れは、羽衣がなりたいと願ったキャラクターになれる『コスプレ』へと変化していったのだ。当時の羽衣の、アニメへの心酔度を思い出すと身震いしてしまう。それほどまでに俺はこの頃の羽衣のことが苦手だった。

 コスプレイヤーとしてキャラクターになりきることで彼女は『自分ではない誰か』になることができた。羽衣にとっての『自分ではない誰か』はいつだって自由なのだ。たとえ偽物の自由であったとしても羽衣には必要な自由だった。


 ***


 羽衣は、家からそこまで遠くない公園のすべり台の先端に座り込んでいた。『早く退けよ!』と言いたくなったが、塞ぎ込んでいた羽衣に言うのは気が引けた。

 俺は羽衣の目の前に立つ。だが、分かっていたことだが羽衣の顔が上がることはなかった。


「……おい、帰るぞ姉貴」

「…………嫌だ……」

「なんだよ嫌だって。駄々だだっ子か、いい年した大人が」

「……まだ未成年だもん。……子供だもん」


(……めんっっっどくせぇ……‼ なんだこいつ!)


 聞く耳を持たない子供のように羽衣は拗ねる。幼児退行とまではいかないがかなりそれに近い状態にはあるのだろう。益々めんどくさい。


「だもんじゃない! ほら帰るんだよ!」

「やだやだやだ! 帰らないったら帰らない!」

「わがまま言うな⁉ 俺はな、母さんに頼まれたんだよ! だから絶対に連れて帰るんだよ!」

「そこでお母さん出すのずるいわ!」

「それに!」


 俺はその後に言おうと思った言葉を、一度飲み込んだ。

 俺たちは家族だ。姉弟だ。でも、そこまで仲が良くなかった。俺たちは同盟を経て、多少は仲良くなれたはずだ。それを俺は自覚していた。


「……それに……俺たちは『同盟』を結んだ仲だろ。ひとりで悩むな……羽衣」


 俺は羽衣と同じ目線にしゃがんで諭す。羽衣はやっと顔を上げ俺を見た。涙で目元が赤くパンパンになっている。俺は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。


「…………笑うな愚弟っ」

「笑ってねえだろ、未遂だ」

「笑おうとしたのを認めたな⁉ 今完全に認めたな!」


 羽衣が俺の頭をポコポコと殴り始めた。うっとうしいので早々にポコポコ攻撃を手で止める。

 細い、小さな、か弱い腕だ。

 小さい頃は嫌々ながらも引いて一緒に帰ってくれた姉の手が。

 あの頃は大きく思えた彼女の手が。

 どうしてだか、今はとても小さく見えてしまう。


(あの頃も、特別仲は悪くなかったのにな)


 いつからか俺たちには心の溝ができてしまったんだ。

 でも今は、それを埋められる。


「触んな、変態愚弟めっ」

「あ、バカ、暴れんな!」


 かくして羽衣の家出は未遂に終わったのだった。

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