第3話

 若狭悠わかさゆう。それが俺の名前だ。

 警察家系に生まれて早十七年。現在高校二年生。趣味カメラ。年子の姉がいるが、そこまで仲は良くもなく悪くもない。ただ同じ家にいて、食事時間だけ同じ空間にいるだけの『』。いるけどいない。そんな感覚だ。

 そんなことって、思春期には当たり前。それも年子で異性同士ならなおさらではないだろうか? 世の中にはシスコン・ブラコンという言葉があるが、うちは該当しない。


 ……話が逸れてしまった。そう。俺には年子の今年大学受験を控える姉の羽衣ういがいる。小さい頃はまだ一緒になって遊んでいた記憶が薄っすらとあるけれど、今は大学に向けての勉強に追われているのか朝にリビングで会うほかに接触する機会がない。

 家族の中でも、同じ高校に通う中でも、彼女とはある種の疎遠状態にあった。


 それ、なのに——


「——なんっで、お前があのイベントにいたのよ‼」

「それは羽衣だって同じだろ! なんであんな恰好……!」

「はあ⁉ そんなの個人の勝手でしょ⁉」

「だったら俺だって行くのは勝手だろ‼」


 現在俺たちは共に通う高校の渡り廊下で言い争っていた。内容はいたって姉弟喧嘩だ。


「そもそも悠、アニメ嫌いじゃない」

「アニメな」


 俺は別にアニメが好きなわけではなかった。そこはどうしても否定したい自分がいる。むしろ、アニメは苦手だった。


「コスプレだって、悠にとっては同じようなものでしょ」

「違うよ。……てか羽衣はそれ言うなよ。仮にも、誇りを持ってレイヤーとして活動してるんだろ」

「それは……!」


 羽衣は図星を突かれたのか黙ってしまった。なんだよ、急に黙るなよ。これじゃあはたから見れば俺が羽衣をいじめているみたいじゃないか。俺は「くそっ」と小さく舌打ちして羽衣から視線を逸らした。羽衣は羽衣で気まずそうにしている。

 そこで五限目が始まる予鈴が鳴った。


「……次、移動教室だから戻るわ。羽衣も遅れないように、な」

「……この話は帰ってからしましょう」


 そうして俺たちの喧嘩は第一ラウンドを終了した。


 ***


 帰宅時間になり、俺が校門を出ようとしたとき、パッタリと羽衣と会った。


「よ、愚弟」

「……なんで」

「今日部活ないから。さ、帰って喧嘩の続き続き!」


 ……なんか、楽しんでないか? と突っ込みたくなったが、それを呟いた瞬間に第二ラウンドが始まってしまうような気がして、俺は喉から出てしまいそうになったその言葉をぐっと飲み込んだ。


 家に帰るまでの時間はどちらも会話をすることはなかった。話すことなんてない。話をしようにも、何を話せばいいのか分からないし、今何かを話そうとすれば絶対に喧嘩になってしまうことは容易に想像ができた。だからお互いに話さなかった。

 二人で帰宅したことで、母さんに「珍しいわね」と微笑まれた。俺たちは顔を見合わせた。

 俺は羽衣の部屋に招かれた(招かれたくなかったが仕方がない)。一息吐くと羽衣から話を切り出した。


「それで? どうして我が愚弟殿はあのコスプレイベントにいたのかしら?」

「俺はカメラの勉強の為にそういうイベントに参加してるだけだ。そういうオネエサマはどうなんだ? てかいつからやってるんだよ、コスプレ」

「高校入ってすぐの頃からよ。ちょうどSNSを使ってもいいって父さんに言われてから、始めたわ」

「……え」

「もともとやろうとは思ってたのよ。深夜アニメを見始めた頃からね。でも、こういう世界って一歩間違えれば危ないじゃない? 高校生になったし大丈夫かなと思って始めたらファンがつくようになって、次第に名前が売れちゃって……」


 今に至るわ、と羽衣が恥ずかしそうに語る。

 SNS上で羽衣は中学の頃に激ハマりしていたアニメのヒロインである『プリュム』を名乗っている。総フォロワー数は一万人を超え、コスプレイヤーとしての歴は三年と少し短いものの彼女を支持するファンは多い。最近は続編の『プリュム・ルル』も好評で、『プリュム』の周知度は高まるばかりだ。

 それに、羽衣の過去を知る俺としては、このコスプレイヤーとしての姿が本来の姉なのだろうと今なら言える。


「悠に見つかったのは誤算だった……ていうか、お前の趣味を知らなかった私の落ち度ね……。ああ、ほんと最悪」

「そんなの俺の勝手だろっ……うぐっ!」


 俺は思わず声を張ってしまい、瞬間羽衣の手によって口元を見事に塞がれた。


「ちょっと! 下に聞こえるでしょ! 静かにしてよバカ!」

「羽衣の方がうるさいだろ! って、ああもう……!」


 この時間は、ちょうど母さんが一階のリビングで好きなテレビを見ながら夕飯を作り始めている頃だ。ドタバタと騒いでいるのがバレたのか、母さんの「どうしたのー?」という少し心配の色が差した声が下から聞こえてきた。俺たちは「なんでもない!」と答えるので精一杯だった。


「とりあえず、このことはお母さんたちには内緒よ」

「ああ……知られたら何言われるか……」


 お堅い家系の出である両親が、俺たちの趣味を知ったら——特に、羽衣の趣味を知ったらどうなるか、恐すぎてもはや想像したくない。母さんにいたっては卒倒してしまうのではないかという懸念まである。

 そうだ、今日のところは停戦協定を結ぼうではないか。

 羽衣も同じ考えのようで目を合わせたとき同じように頷いた。


「……同盟を結ぼう」

「同盟? なんのだよ」

「『嘘』の同盟よ。私たちにもう一つの顔があることをお母さんたちにバレないように嘘をくの」

「絶対バレるぞ」

「そこはなんとかするのよ。悠だってカメラの趣味がアニメキャラのいやらしい姿を撮るものだってバレてもいいの?」

「そんな性欲にまみれたような写真撮ってねえよ! た、多少は残ってるけども……!」

「撮ってるじゃない。私だってコスプレ姿を親に知られたらとんでもなく怒られることくらい目に見えてる。だから共犯者として同盟を結ぶの。どう? いい話だとは思わない?」


 これは、自分の趣味を守るための同盟だ。

 俺はひとつ大きく溜め息を吐いて、あまり両親に嘘をつくということに乗り気ではなかったがやむを得ない状況にいることを理解していたので、仕方なく羽衣の手を取った。


 そうして今日、羽衣と俺の『嘘同盟』が締結したのである。

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