仮初の平穏

 クロイたちが普段通りに昼食をとっていると、特選クラスの生徒たちが食堂に入ってくる様子が目に入った。以前とは違い、あからさまに周囲を威圧するような様子は見られない。精々が、周囲の一般クラスの生徒を睨みつける程度だ。


「特選クラスの人たち、あの決闘が終わってから随分大人しくなったね」

「たしかにね。表立って突っかかるようなのは減ったかも」


 こうなったのは、ダグラスの態度が豹変した影響が大きい。特選クラスの中でも大きな発言力がある彼が、全く一般クラスを攻撃しようとしなくなった。自然、取り巻きたちも手を出しにくくなっているようだ。


「こんな簡単に大人しくなるなら、始めからこうしておけば良かったのですわ。いいえ、まだ十分ではありませんね。クロイ君、特選クラスに片っ端から決闘を申し込みましょう! 全員倒して、誰も逆らえないようにして仕舞えばいいのですわ」

「この王女様、発想が物騒なんですけど……。大体、決闘なんてもう誰も受けないよ」


 クロイの言葉にはかまわず、シルビアは笑顔で言葉を続ける。


「そうだ、いい事を思いつきました! クロイ君、私と決闘をしましょう。私が勝ったら、貴方は生徒会に入る。どうです?」

「いや、その決闘俺にメリットないよね?」

「私が負けたら、何でもひとつ言うことを聞きますわ」

「冗談でもそういうこと言うの良くないからね!?」


 クロイの反応にシルビアは笑い声を漏らした。


「ふふっ、あながち冗談でもないんですけど……。ではまた明日。またお誘いに来ますわ」

「何度誘われても生徒会には入らないけどね……」

「またねー、シルビアさーん!」


 手を振り去っていくシルビアを見送り、クロイたちは午後の講義に向かった。講義の時間中、クロイは教師の話は聞き流し、別のことを考えていた。シルビアのことだ。シルビアの暗殺が計画されているかもしれない。そうネルンに聞いてから、クロイはずっとそのことが頭から離れなかった。


「今のところ問題はなさそうだけど……」


 クロイは使い魔にシルビアの周囲を監視させているが、まだ何も不審な動きは見られていない。それも当然か、とクロイは思う。そもそもこのトリコンコルディア魔法学校は世界最高峰の結界で囲われている。この結界は外からの攻撃を防ぐだけのものではない。正式に登録されている魔力波紋を持つ人間しか、出入りすることが出来ない仕組みにもなっている。そのため、この結界の内部は世界で一番安全な場所とも言われている。


「このまま何も起きない……ってわけにもいかないだろうなぁ……」


 ダグラスにかけられていた精神魔法の件もある。あれはおそらく、入学前に仕込まれていたものだ。高度な洗脳魔法をかけられた状態では学校の結界に感知され、中に入ることできない。しかし、あの程度の低級な精神魔法ならぎりぎり感知されない範囲だ。あの術式は、わざとその程度に調整してあった。学校の中でかけられたわけではないのは確かだ。

 そして、入学前から精神魔法まで仕込んでいるなら、もうそう遠く無い内に動き出すはずだ。それなのに、今のところさっぱり動きが見られない。一応、何かの機会を待っているのだろう、と推測はできるのだが……。


「しかし、一体何を待っているんだ……?」


 そんな身の入らない講義を終えた放課後。部活に向かうアヤを見送ると、残るはエマとクロイの二人きりだ。そんな帰り道、エマが心配そうな顔でクロイに問いかけた。


「ねえ、クロイくん。もしかして、何か心配事とかある?」

「いや……うん、実は少し。よくわかったね?」


 クロイは驚いていた。感情や考えていることを表に出さない技術は、スパイの基本だ。シルビアの件に関して、クロイは表に出さないよう、完璧に制御していたつもりだった。それなのに、ただの学生であるエマに見破られるとは。はっきり言って、想定外の事態だった。


「なんとなく、だけどね。わかるよ。だって、ずっとクロイくんのこと見てるんだもん」

「……そういうもん?」


 はにかむように笑うエマに、つられてクロイも少し笑う。

 

「ねえ、クロイくん。クロイくんが何を心配してるのかは知らないけど……でも、きっとクロイくんなら大丈夫だよ」

「え……そ、そうかな?」

「うん、だってクロイくんはすごいもん!」


 エマの言葉に根拠は無かったが、その笑顔だけでクロイには十分効果的だった。


「まあ、起きてもいないことをあれこれ心配してても仕方ないか……うん、ありがとうエマさん。なんだか元気出てきたよ!」

「本当!? よかった〜!」


 そうエマが大げさに言ったあと、二人は目を合わせ、そしてもう一度声を上げて笑った。



 □


 それからの数日間は、また何事もない平穏な日々が続いた。クロイは警戒を怠ることはなかったが、しかし心中も穏やかに日々を楽しんでいた。

 しかし、そんな日々もやがて予想外の形で終わりを迎える。仮初の平和に終わりを告げたのは、魔法生物学の講師の言葉だった。

 

「そろそろみんな座学ばかりにも飽きてきたことだろう。というわけで……来週はクラス合同校外実習を行う! みんな、野営と戦闘の準備をしっかりしておけよ!」


 教室中の生徒が驚きと喜びの声を上げる。そんな中、クロイだけは他の生徒と違う反応をしていた。


「……なるほどね。狙うならこれか」


 誰にともなく、クロイは真剣な口調で呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る