いざ魔法学校へ

 乗合馬車を乗り継いで進むこと数日。少年――クロイ・スミスはようやく目的地に到着しつつあった。魔法を使えばもっと速く移動する事も出来たのだが、彼はもう普通の庶民ということになっている。あえて庶民らしい手段で移動した結果、それなりに時間がかかってしまった。

 しかし、時間をかけて辿り着いた甲斐はあった。最後の丘を越えた瞬間、クロイの目に飛び込んできたのは予想外の絶景だった。


「これがトリコンコルディア魔法学校、ですか」

「ああ、君も新入生かい? 初めて見た子は、みんな驚くんだよ」


 ケラケラと笑う馬車の御者の言葉も、クロイの耳にはもうあまり入っていなかった。


「……すごい」


 クロイの眼前には、見渡す限りの広大な湖が広がっていた。しかし、彼の視線は湖の中心部に釘付けにされている。そこにあるのは、光輝く半球に覆われた巨大な城。その城がクロイがこれから入学する、トリコンコルディア魔法学校の校舎だった。城を覆っている光の半球ドームは、外部からの攻撃や侵入者を防ぐ結界らしい。クロイも知識としては存在を知っていたが、実際に目にすると、その幻想的な輝きに目を奪われた。


「そうだ、君も新入生なら知ってるかな? どうも今年は、例年より新入生が多いって噂だよ」

「そうなんですか?」

「英雄様が魔王を倒して下さったからだろうね。平和な世の中になって、多くの人が子供を学校に送り出す余裕が出てきた。ありがたい話だよ」

「……なるほど」


 そんなところにまで影響が出ているのか、とクロイは内心で呟いた。「世界は安定期に向かっている」という師匠の言葉も、あながち嘘では無いらしい。

 トリコンコルディア魔法学校の入学年齢は、厳密に15歳と決まっているわけではない。そもそも何歳で魔法適正が見出されるかは、運や個人差が大きい。その上、家庭の事情や、今回のように世界情勢の影響で入学する時期をズラす例もある。数歳前後する程度なら、特に珍しい事ではない。


「しかも、今年は有望な新入生が何人かいるらしい。魔王を倒した英雄様みたいな大魔法使い様が、その中から出てくるかも知れないな? 精々負けないように、少年も頑張らないとな!」

「はっ、ははは。はいそうですねガンバリマース……」


 目の前のいかにも平凡な見た目の少年が、その本人だなんて、何も知らない御者は想像すらしていない。無理もないが、おかげでクロイは苦笑を隠すのに苦労した。


「ここまで来れば、あとは湖を渡って学校に入るだけだ。渡しの船は、その辺を探せばすぐ見つかるはずだが……必要なら舟まで案内しようか?」

「いえ、ここまでで大丈夫です。あとは自分でなんとかしますから」

「そうかい? じゃあ、道中お気をつけて。学校、頑張んなよー!」

「はいっ、どうもありがとうございました!」


 気の良い御者と別れの言葉を交わし、クロイは馬車が去って行くのを手を振って見送った。すっかり馬車の影が見えなくなると、彼は湖の岸辺沿いをのんびりと歩き始める。

 

「渡しの舟はすぐ見つかるはず、って言ってたけど……」


 しばらく歩き続けるものの、クロイは目的の舟を見つけることが出来なかった。船着き場はいくつか見かけたものの、そのどれにも舟は着いておらず、近くに人影もない。どうやら、ここらの舟は残らず出払ってしまっているらしい。


「うーん、タイミングが悪かったか?」


 舟で渡るのは諦めて、他の方法で学校へ向かうべきだろうか? そう考え始めた頃、クロイの優れた聴覚が、不意に遠方の声を捉えた。


「そんなっ、困ります!」


 悲鳴にも近い、泣き叫ぶ様な少女の声。前方から聞こえたその声の調子に、クロイは眉をひそめる。


「……何事だ?」


 そう口にするのと、ほぼ同時。流れるように魔力を脚に込め、力強く地面を蹴る。優れたスパイは魔力強化によって自身の身体能力を何十倍にも跳ね上げる。普通に歩けば数十分はかかる距離をわずか数歩でと、遠目に声の主と思しき人影を発見。すかさず横っ飛びに物陰に飛び込みつつ、無詠唱で静音魔法を発動。音が消えた瞬間、地面に脚を突き立てて無理矢理に勢いを殺し切る。


「どうにか、どうにかならないんですか!?」

「うーん……そう言われてもねぇ……」


 どうやら、声の主は誰かと会話しているようだ。こちらの動きは気取られていない。音も無く物陰を渡り歩きながら、クロイは二人の様子を伺う。声の主である少女は、泣きじゃくりながら大人に何かを言い募っている。だが、大人の方は対応に困っているようだ。

 そこまで見て取ったところで、クロイは大体の事情を察した。たしかに少女は困っているのだろうが、それは自分なら解決できる問題でもある。瞬時にそう判断を下すと、クロイは迷う事なく次の行動を開始した。


「あのー、どうかされたんですかぁ?」


 いかにも今、偶然通りがかった。そんな雰囲気で物陰から歩み出つつ、クロイは何食わぬ顔で二人に話しかけた。

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