本当は最強のスパイだけどクビになったから普通の魔法学生

数奇ニシロ

最後の任務は学生生活

 部屋に入った途端、少年は分厚い紙束を乱暴に投げ渡された。同時に、女性の鋭い声も飛んで来る。


「すぐに読んでくれ。次の任務に必要な情報だ」

「せっかちですね、相変わらず」


 軽いため息をひとつ吐くと、少年はパラパラと高速でページをめくる。ものの数秒で最後のページまで到達すると、少年は即座に魔法を発動し、紙束に火を点けた。紙束はボッと激しい炎に包まれ、一瞬の内に燃え尽きる。残された燃えカスも、魔法によって細かく散り散りに飛んでいき、すぐに跡形も無く消え失せた。


「クロイ・スミス。15歳。平民。宿屋の長男として生まれる。庶民としてはまずまずの生活水準。平凡ながら愛のある家庭で、すくすくと不自由なく育つ。――これが次の任務で使う、俺の偽装経歴カバーですか」


 少年は何食わぬ顔で、今見たばかりの情報をスラスラと暗唱してみせる。燃やした紙束に書いてあった情報は、もう全て記憶し終わっている。スパイとして潜入するために用意される『カバー』と呼ばれる『偽の経歴』。生まれ育ちから趣味性癖まで、事細かに記された個人の情報。それらを瞬時に記憶し、存在しないに成りすます。一流のスパイには当たり前に求められる技能であり、少年もこれまでの任務で何度も実践してきたことだった。


「いや、偽装経歴カバーではない。その情報は、これからの君のだ」

「……は? それはどういう?」

「君はスパイをクビになり、ただの学生になる。そう言ったんだよ」

「な、何を言ってるんですか!? 俺の働きに不満でも?」


 返ってきた予想外の返答に、はじめて少年は動揺を示した。珍しく目を丸くする少年に、女性は優しく言葉を続ける。


「いいや、不満なんてあるわけがない。君は今まで、本当によく働いてくれたよ。国内不穏分子の排除。近隣諸国との情報戦。国際テロ組織との暗闘に、名無しネームレス事変。そして――。表に出ているモノも出ていないモノも、その功績は計り知れない。能力面で君ほど優秀なスパイはそういない。とりわけ、戦闘能力で君に敵う者はいないだろう」

「だったら……!」

「けれど。いや……だからこそ、だ」


 女性は首を大きく横に振った。その顔には、彼女が普段決して見せない表情が浮かんでいた。それは酷い苦痛を堪えているようにも、深い悲しみを抑えているようにも見える表情だった。

 

「後悔しているんだよ、私は。混迷した世界情勢の中、私達は君のような少年の力に頼らざるを得なかった。幾度も命の危険に晒し、辛い任務を引き受けさせた。平和のためと言いながら、君を犠牲にしてきた。真っ先に平和の恩恵を受けるべき、年端もいかない少年を……だ」

「でも、貴方について来たことを、俺は後悔していません。貴方のおかげで、俺は任務を遂行出来た。平和のために戦うことが出来た!」

「――さいわいにして」


 少年の声を遮り、女性は尚も言葉を続ける。既に彼女の心は決まっていた。少年の意見を聞きいれる気は、最初から無かった。


「世界は最悪の状況を脱し、安定期に入りつつある。全て、君の働きのおかげだ。だったら、君が真っ先にその平和を楽しむべきじゃないか? これまで犠牲にしてきた分、少しでも多くの青春を取り戻すべきだ。そうじゃないか?」


 女性の言葉には、少年にも計り知れない年月の重みがあった。彼女は見掛けだけなら、ごく若く見える。20代前半か、あるいは10代と見る人もいるかもしれない。だが、少年は知っていた。彼女が見かけ通りの年齢ではあり得ないことを。少年が物心つく頃から……いや、彼が生まれるずっと前から、彼女の外見が変わっていないということを。


「君に最後の任務を与える。スパイを辞めて、普通の学生として魔法学校に通いなさい。ただの『クロイ・スミス』として生きて、そして――幸せになりなさい」


 その声の響きで、少年は女性の決意が固いことを悟った。彼女がこうと決めれば、その決断を翻すことは出来ない。少年は芝居がかった動作で大きく天を仰ぐと、深く息を吐いて答えた。


「……わかりましたよ、師匠。貴方があくまで『任務』と言うなら、俺はそれを遂行するだけです」


 元より最高指導者グランドマスターである彼女が『任務』として与えた命令に、少年が逆らえるはずも無かった。彼女は、少年が罪悪感を抱くことなく組織を離れられるよう、あえて強制的な言い方を選んだ。彼女なりの不器用な優しさを、少年は正しく理解していた。


「でも、今さら学校に通う必要がありますか? 学校になんか通っても、俺にはもう学べることはありません。あらゆる国の言語、歴史、知識は頭に叩き込んであるし、魔法の技能だってそうです。俺はもう、あらゆる知識や技能を身につけています」

「なに、学校で学ぶことは知識や技能だけではないさ。それと、これはただのひとり言なんだが……」


 女性は意味ありげに声を潜めると、ニヤリと口角を上げながら続けた。


「魔法学校には君と同年代の少女が大勢通っている。当然、可愛い子もたくさんいるらしいぞ?」

「――行きます。いや、是非とも行かせてください!」


 今日一番の大きな声で、少年は力強く叫んだ。優秀なスパイと言えども、彼も一人の、お年頃の少年だった。

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