12,選択肢
「……にわかには信じ難い話ですね」
ことりとテーブルに茶碗を置いて、家具屋坂刀娘さんは難しい顔で確認してきた。
「あなたは元々この部屋の住人で、天使フィフキエルにマモを食べられた。しかし目を覚ましたら今の姿へと変化していて、なんやかんやで今に至ると」
「『なんやかんや』で端折らないでくれます? それに話したことに嘘なんか混じってませんよ」
ソファーに腰掛けて、ちょこんと座っている家具屋坂さんは疑いの目を俺に向ける。だがそんな目で見られても、一から十まで全て話したのだ。嘘は一つも吐いていない。
一応、面倒な茶々を入れられたくないので、今はフィフキエルの電源は落としてある。電源なんて気の利いたものはないが、寝てろと言ったらストンと転がりただのヌイグルミになっていた。たぶん俺から供給される
俺が招かれざる客であるところの家具屋坂さんに対して、包み隠さず真実を全て話したのは、彼女が本物の退魔師らしく、国営組織に属しているらしいということを信じたからだ。家具屋坂さんの話が本当か判じようはないものの、何もかもを疑っていたらキリがない。事態を好転させたい俺としては、何かの切っ掛けになってくれたら嬉しいなと思ってのことだ。
あと自分の家にこんな若い女の子がいるせいで、恐怖にも似た緊張感を覚え従順になってしまっているのかもしれない。流石にそんなことはないと思いたいが、社会人としての護身の心得が、俺に不必要なまでの警戒心を持たせてしまっている可能性はある。
家具屋坂さんはテーブルの上に転がるフィフキエルをちらりと一瞥して、それから俺を見た。
「別に疑ってないですよ。アタシから見ても貴方は天使フィフキエルにしか見えませんし? 『なぜか誰も彼もが貴方をフィフキエルだと誤認する』っていう話も本当なんでしょ。実際こうしてお話してみると、貴方が天使フィフキエルだとは思えないですもん」
聞いてた人物像と全然違います、と家具屋坂さんは言う。その口ぶりに俺は釣られた。
「家具屋坂さんってフィフキエルを知ってるんです?」
「知ってますよ? というかこの業界でフィフキエルとその下僕達を知らないなんて、もぐりもいいとこですし。天使として外部に露出することが多くて、日本でも有名ですもん、アレ」
「へぇ。なら……ゴスペルって奴も知ってるんですか」
「勿論。【超人】ゴスペル・マザーラント――上位者の加護なくして魔を屠る、品種改良の到達点。アタシの知る限りだとある意味フィフキエルより有名なんじゃないですかね」
「……品種改良?」
何やら不穏な響きを無視できず、聞き返すと家具屋坂さんは僅かに嫌な顔をした。
話が脇道に逸れるのを嫌がっている。すぐに表情は戻したが、髪の毛の先を弄り出した仕草に内心は現れていた。退魔師であろうと少女は少女、まだまだ
「【救世教団】のマザーラント一族は代々、天使フィフキエルに仕えることが多かったらしいです。でも天使フィフキエルは貴い自分に仕える人間が、ただの人間なのは相応しくないって言って、マザーラント一族を1000年掛けて改造してきたんですって。そして現代に生まれたのが最高傑作のゴスペル・マザーラント。【曙光】の大悪魔メギニトスを相手に、天使フィフキエルと二人掛かりで渡り合った武勇伝は【輝夜】でも知り渡ってますよ」
ほう、と感心する。なるほどなぁ、あの転職したそうな奴は、そんなに凄い奴だったんだな。
もう大悪魔と渡り合ったっていう字面からして凄さが伝わるし、それを聞くとゴスペルのところから逃げたのは失敗だったかなと内省してしまった。
あのまま素直に保護されていても良かったんじゃないか? でもなぁ、なんか胡散臭かったし、逃げて正解だった気もする。社畜先輩味を感じたあのガンギマリの目、明らかにヤバかった。
「まあそれはどうでもいいとしてですね、貴方がフィフキエルじゃないっていうのには納得してます。信じ難いって言ったのは、実はアタシ見てたんです。貴方があの悪魔を殺したところ」
「……マジです?」
「マジです。聞いた話だと貴方は今の貴方になってまだ24時間も経過していません。それなのにすんなり自分の力を使いこなしちゃってるじゃないですか。金色に変身したりしてますし」
「あぁ、アレですか。スイッチのON-OFFみたいなもんですよ。今はOFFですが、気合入れたらああなるって感覚でやっちゃってましたけど……凄いんですか、アレ?」
「率直に言って凄すぎますね。アレを見たせいで、貴方が元人間だっていうのに説得力がなくなってますよ。何が凄いって一般人だった貴方が、ああも躊躇なく悪魔を惨殺したのも凄いです」
惨殺したと聞いて、あれは仕方ないじゃんと思う。やりたくてやったわけではない。天力に余裕がない状態だったのだから、殴る以外にあの悪魔を始末する方法がなかったのだ。
家具屋坂さんは探るように俺を見ていて、若干いたたまれなくなる。髪の毛の先を弄っていたからか、ちらりと黒髪の一房に黄色いメッシュが入れられているのが目に映った。
お洒落だな。オジサン、髪を染めたことないから素直に羨ましく感じるよ。ハゲは遺伝するって聞いて、若い頃から頭皮へのダメージを気にしてたから、憧れるだけでやらなかったんだよな。
家具屋坂さんは髪の毛を弄るのをやめて、膝に手を置くと俺を見据えた。真剣な目だ。
「で、貴方は結局どうするんですか?」
「どう、とは?」
「天使として【教団】に帰るのか、それとも一人で生きていくのか、ってことです。組織人的にはなるはやで【教団】に帰ってほしいなって思いますけど」
「あの? 俺の中身がフィフキエルじゃないってバレると殺されるって話しましたよね?」
したはずだ。絶対にした。なのに帰れって、俺に死ねと? ゴスペルから聞いた話を全面的に信じるわけじゃないが、実際に見た他の天使の雰囲気からして、フィフキエルの中身が俺だってバレると、ろくな目に合わないのは確定的に明らかな気がしていた。
なので【教団】とかいう所に帰る選択肢は最初からない。そういう意図を込めて家具屋坂さんの目を見つめると、彼女は微かに赤面して目を逸らした。
「……組織人的にはって言いましたよね?」
「ええ、そうですね」
「ぶっちゃけちゃうと、今の貴方は日本にとってメチャクチャ迷惑な火種なんです。なんのこっちゃと思うでしょうから説明しますと、どう取り繕ったところで貴方は天使なわけですよ」
「………」
「知ってます? ヨーロッパは【教団】の天使が支配してるんですけど、日本にはたくさんの神様が実在してます。日本の支配者は日本の神様なんです」
「……マジで言ってます?」
「マジです。不敬を承知で言わせてもらうと、神様とは言っても強さは大したことないのが大半ですけどね。おまけに支配者っていうのは名義だけで、【高天原】から出て来ることも稀です。けど日本がそういう神様の国であるのは確かで、外国の天使が暮らす分には普通に見て見ぬふりをしてくれるでしょうけど、天使は違いますよね? いや、違うんですよ。たぶん。絶対」
日本に神様が実在する。
俺が密かに衝撃を受けているのに、家具屋坂さんは待ったは無しだとばかりに話を進めた。
「天使って我こそが正義なり! って感じなんです。おまけに仲間意識がとんでもなく強い。プラスして使命こそが全てに優先されるってタイプ。貴方が帰りたくないって言っても、普通に貴方を連れ戻そうとしますよ? 絶対に。そして貴方が嫌がれば、まあ実力行使ですよね。するとどうなります? 貴方が嫌がって抵抗したら、この国が戦場になっちゃうんですよ。それはダメです、【輝夜】と【教団】の間で戦争が始まっちゃいます」
「せ、戦争……!? そ、そこまで大事になるんですか……!?」
「十中八九、なりますね。だから日本から出て行ってくれ、って遠からず要求されると思いますよ。ただでさえ【曙光】とかいう不埒者が不法滞在してるんです、それを駆除する為に、下請けもいいとこなアタシ達【曼荼羅】まで駆り出されてるんですから」
「…………」
想像を遥かに絶した未来予想に絶句していると、家具屋坂さんが疲れたように嘆息する。
戦争。
俺が、日本にいたら、戦争になる……? マジで?
で、でもだ、俺は……嫌だ。死にたくない。殺されたくない。
対面のソファーに座っていた俺は、両手で顔を覆った。
「……俺、死にたくないです」
「ん……」
「……人間に戻りたい。俺の元の体は無事なんです、なんとか戻ることって出来ないんですか?」
「んー……まあ、はい。期待させちゃったら酷なんで、はっきり言いますね」
家具屋坂さんは言いづらそうだった。それだけで答えを察するが、聞かずにはいられない。
「貴方はダムにいっぱいまで溜まった水を、小さなコップに溢さず全部注ぎ込められますか?」
「………」
「無理ですよね。今の貴方のマモと肉体はそれほどのものなんですよ。『花房藤太』っていう人間の肉体に、貴方のマモの断片でも入れたなら、目を覚まして生活していけるでしょうけど……今ここにいる貴方の存在が消えるわけじゃありません。別人として『花房藤太』が独立して動き出すのを、貴方は許容できますか? キッツいですよ、それ」
「………」
残酷だなぁ、と俺は乾いた笑いを溢すしかなかった。
つまり『花房藤太』は人間として活動を再開できるが、それは今の俺っていう自我の入ってない別人だということ。早い話クローンとかドッペルゲンガーを自分で作っているようなものだ。
しかもそのクローンが、本来の自分として生きていくのだ。マジでキツい。想像しただけで嫌悪感が半端なかった。家具屋坂さんはホントに、ばっさりと俺の期待を切りやがったんだな。
通りで彼女は俺の名前を聞いても『貴方』としか呼ばないわけだ。俺がフィフキエルじゃないなら、元の人間として生きていけないと知っている以上、今の俺は名無しの権兵衛でしかない。
落ち込む俺に家具屋坂さんは同情したのか、気の毒そうに言う。
「――ここからは個人的な話になるんですけど」
そう前置きをした彼女の顔に、俯けていた顔を上げて視線を向けた。
「魂は日本人なんですし、
「……何が目的なんですか? 俺ってメッチャ迷惑な火種なんでしょ」
「よかった、考える頭は残ってましたか」
救いの女神にすら見える提案だが、素直に飛びつけるほど能天気にはなれない。家具屋坂さんは俺が訊ねると、微笑みながら話してくれた。
「アタシが貴方の境遇に同情したってのはあります。けどそれ以上にですね、貴方っていう力は魅力的なんですよ」
「……つまり?」
「万年人手不足の【曼荼羅】的に、上級天使の力が手に入るなら手に入れたいわけです。ウチに来てくれるなら、そりゃ働いてはもらいますけど、とりあえず破滅まっしぐらなルートからは外れられると思いますよ? アタシの独断ですし、ウチの神様が貴方を受け入れるかはまだ決まってませんけど、ひとまずバイトの面接にでも行くと思って来るだけ来てみません?」
上手いなと、密かに感心する。家具屋坂さんは話の持って行き方が上手い。
一通り混乱してばかりの一日だったから、お前は詰んでるんだよと暗に伝えられても絶望はしていない。しかし深刻な気分になったのは確かだ。そうなると状況的に、家具屋坂さんの提案を蹴る理由が今の俺には全くないのである。将来はいいセールスマンになれるぞ。
そんなことを思いながら即答はせず熟考する。相手に話のペースを握られ、一方的に与えられた情報を鵜呑みにして判断をしているようじゃ、実績を求められるサラリーマンは務まらない。
割と重要な分岐点だ。騙されている可能性もなきにしも非ずだが、疑うばかりじゃ埒が明かないのも事実ではある。八方塞がりで行くべき道が見えないなら……乗ってみるのも悪くないだろう。
「そういえば」
家具屋坂さんがなんのけなしに、なんてことはない話を振ってきた。
「貴方はどうしてアタシみたいな年下に、敬語で話してくれるんです? もっとラフに話してくれてもアタシは気にしないですよ?」
「……まあ、俺も学生の頃と、新社会人だった頃は年下に敬語なんか使ってませんでしたけどね」
苦笑する。苦笑して、懐かしい体験を口にした。特に隠すようなことでもない。
「会社の先輩が後輩に偉そうにしてたんです。俺も知らずの内にそれに倣って、一年後入社してきた後輩に偉そうに接してました。んで、ある時俺の先輩が俺の後輩に偉そうに接してるのを見てですね、ふと思っちゃったんですよ」
「なんて思ったんです?」
絶妙な間の相槌だなぁ。口が滑らかになっちまう。
「あ、こいつダセェな、って。その先輩って仕事が出来ない奴でしてね、歳のことでしか偉ぶれない奴だったんですよ。……ダセェなって思ったらもうダメでした、そいつと同類になりたくないし同類だと思われたくない。だから年の差で態度を変えるのは改めようって思って、相手が誰だろうと敬語で話すようになりました。タメ口で話すのは仲の良い奴だけですよ」
「……そうなんですか。なんというか、真面目で難儀な人ですね」
「はは。人のふり見て我がふり直せって奴です。俺の座右の銘ですよ」
言いながら思い出す。そういやぁ昔は、ダセェことが嫌だったなぁって。
……うん、そうだな。ダセェのは、嫌だなぁ。
ウジウジするのはダサい。どうせ何をどう考えても煮詰まるだけなんだし、ここは行動あるのみだ。
「行きます。家具屋坂さんのとこ、案内してください」
腹を括って、俺はそう言った。
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