13,【曼荼羅】の神様の出迎え
おい見ろよ。あの子、すっげぇ可愛いぞ。
ん? ……うおっ、マジだ。けど可愛いっていうより綺麗系じゃね?
いやあの子は男の子でしょ。スーツとかカッコいいじゃん。隣の子の彼氏なのかな。
まだ子供だよ? 違うでしょ。
子供用のスーツ着てる、モデルなのかな? 確かめてみようよ。声掛けてみてさ。ね!
い、いやぁそれはちょっと……なぁ?
分かる。あんだけ顔面レベル高いと、もう見てるだけで満足しちまうって。
意気地なし。
でも気持ちは分かるかなー。わたしもちょっと……。
「……家具屋坂さん。なんか俺、見られてるんだけど」
先導する家具屋坂さんの背中を追い街中を歩いていると、通行人のほぼ全てが俺を見てくる。
未だ嘗てない経験に、企画のプレゼンをしている時とは別種の居心地の悪さを感じていた。
そんな俺の気分を知ってか知らずか、セーラー服姿の家具屋坂さんは振り向かずに軽く言う。
「さっさと慣れた方が身のためですよー? 先に言っときますけど【聖領域】使って周りの目から逃げちゃいけませんからねー」
「【聖領域】を発動し続けて天力の無駄遣いをするな、人目に触れて天力の回復を促せ――でしたね。前者は分かるんですけど、後者はどんな理屈なんですか?」
そう。今の俺は【聖領域】を使っていない。だからこうして東京の人達の視線に晒されている。
【聖領域】は人を含める生命全般、文明に含まれる機械全般の認識からズレる、完全犯罪を容易くしてしまう危険な結界である。これを使っていたなら人目に触れて居心地の悪さを覚えることもなかっただろうに……人目に触れて天力の回復を促すという、家具屋坂さんの言い分は今一よく分からないものだ。
俺が改めて疑義をただすと、なんてことのない薀蓄を語るように、俺の一歩前を歩く家具屋坂さんは答えてくれた。どうやら彼女は勿体ぶったりするタイプではないらしい。
「古来、伝承に残るような人外は、恐ろしく美しいか醜いかの二択でした。醜くなくとも一目で誰か分かる特徴を有していた、と言った方が正確かもしれませんね。ともかく、なんで人外はそうした姿をしていたのか? 答えは簡単です。不特定多数の心あるモノの恐怖や憧憬、好意や憎悪、嫌悪や友愛――どんな形であれ感情を向けられる、印象に残ることでマモを得られるからですよ」
「マモを? でもマモって魂のことですよね。大丈夫なんですか、それ」
「あ、そっからですか。マモっていうのはですね、常に生き物から垂れ流されてるものなんです。たとえるなら魂の老廃物として外部に漏れてる、みたいな感じですね。天使や悪魔、神性や妖怪みたいな人外は、そうしたものを回収して自分のために利用できるんです」
「うげ。……魂の老廃物って、やたら汚い表現やめてくれません? 気分悪くなるんですけど」
天使なら信仰、悪魔なら禁忌、そんな感情の老廃物を摂取してるんですね。なくても生きていけますが――家具屋坂さんの物言いはあけすけだ。理解しやすくはあるが、気分はよくない。
思わず呻いて、咎めるように言うと彼女は苦笑した。チラリと一瞬だけ振り返ってくる。
「アハハ、ごめんなさーい。けどこの場合、汚いのは人間の方なんですよ?」
「……そうなんですか?」
「はい。漏れ出ているマモは自然消滅しないんです。放置カマしてたら溜まりに溜まって【異界】ができちゃって、それはもうとんでもない大災害の切っ掛けになったりするんです。なので、定期的に大気中に散らばってるマモを回収する人がいないと皆が困っちゃいます」
「……異界とか災害とか、穏やかじゃない響きですね」
「でしょー? だから人を害獣認定して毛嫌いする神様もいるぐらいですよ。そんなわけでマモを有効活用できるなら、とことんやってくれた方が有り難いんです。花ちゃんさんの天力が回復していく仕組みは、ざっくり言うとそんな感じの慈善活動なわけですよ」
マジか。何気なく喋ってるけど、それってとんでもない裏話じゃんか。
「俺が人に見られることでマモを得られるのには、そんな理屈があったんですか」
「そです。花ちゃんさんって軽ぅく人間の域を超えた、とんでもない美人さんですからね。一目見るだけで大半の人は忘れられないと思いますよ」
「なるほど……納得はしましたけど、その美人っていうのはやめてもらえません?」
「えー? でも花ちゃんさんって少年でも少女でもないでしょ? 男でも女でもないなら、もう美人としか言えなくないです?」
「………」
花ちゃんさんってのもやめてほしいんだが。まあ……呼び方に困るってんで仮称として使われてるのは分かるから、わざわざツッコミはしないけどさ。
でも、そうだよな。俺……男でも女でもねぇのか。おまけに名前すらない。
名前、名前ねぇ。新しく自分の名前を考えないといけないのか? 嫌だな、それをすると本格的に人外になるみたいで。もうなってるけど、自分で認めるみたいでなんか嫌だ。
これは未練なのか? 割り切ったつもりなんだが、良さげな名前も思いつかないしな……暫くは花ちゃんさん呼ばわりも許容しておいた方が良さそうだ。今後は『フィフキエル』なんて名前で通す気はないし、通称に関しては一応真剣に考慮しておこう。
「………」
懐に突っ込んでるヌイグルミは、相変わらず沈黙している。コイツは俺が継承したらしい知識の図書館だから、電源を切ってる状態のままでいるのは望ましくないだろう。
けどネックがある。コイツがフィフキエルの人格を再現してることだ。今のままだと、家具屋坂さんとの話を聞かれると関係が拗れかねない。ヌイグルミ――フィフをさっさと起こさないと、騙されてしまう危険性があるのは分かるし、早急に手を打っておこう。
具体的には全面的に俺の味方をしてくれるように――いや現時点で絶対に信じられる存在のはずなんだが、再現されてる人格が面倒なんだ。フィフと話してて、なんか愛着も湧いてるし人格を歪めたくなくなってる。性格をそのままに、俺が『フィフキエル』だと勘違いしてる状態を是正したいというのが本音だ。難しいだろうが、トライしないで諦められるものでもなかった。
(やっぱ……『言霊』で調整するのがベストなんだろうな)
願いを叶える能力を、俺は『言霊』と称することにしている。実際の言霊とは全然違うが、言葉に出した方がコントロールしやすいから似たような感じになってるんだ。
この『言霊』を使うなら言葉には細心の注意を払わないと、フィフがバグる可能性が出てくるだろう。プログラミングをミスってフィフに悪影響が出てしまったら堪らない。今から用いる言葉を慎重に吟味して、いい感じに調整できるように考えておこう。
そうして自身の裡に埋没し、意図的に周囲からの視線を無視する。
後はもう、家具屋坂さんが案内してくれる先に着くまで、口を開くことはなかった。
† † † † † † † †
「着きましたよ。アタシが先に入って話通して来ますんで、花ちゃんさんはちょっと待っててくださーい」
「あぁ、はい」
俺は歌舞伎町のある新宿区から渋谷区まで歩き、三階建てのアパート前まで来ていた。
アパート名はシニヤス荘。
寂れていて、人が住んでいそうな雰囲気はない。……そりゃそうだ、シニヤス荘なんて不吉な名前のアパートに、誰が住みたいと思う。字と発音を変えたら『死にやすそう』なんだぞ? 正直俺も嫌な名前だと思ったぐらいだ。今の状況的に俺には全く笑えない。
俺を置いてシニヤス荘の一階にある部屋に、ノックもせず入って行った家具屋坂さんを待つことにはしたが、ホントに大丈夫なのか? という疑問が生じてしまっていた。こんなボロアパートを根城にしてるような組織なんか聞いたこともないぞ。
この疑問もすぐに晴れるはず。無理にでもそう思ってからフィフを取り出して、ここに来るまでに考えていた台詞を舌に乗せた。
「『フィフは現行の人格をそのままに、俺の状況と状態を誤解なく理解しろ。その上で全ての面に於いて俺を最優先の対象にして、絶対に裏切らない味方として受け答えするんだ』」
洗脳みたいで気が引けるが、もともとが俺の被造物である。俺とフィフの立ち位置を誤認されたままだと困るし、せっかく気兼ねなく相談できる相手なのだから仕方のない措置だろう。
悪いなと呟いて、起きろと命じた。
すると天力をほんの微かに消費した感覚と共に、手の上でフィフがひょっこりと起き上がる。
途端に不機嫌そうな顔になっていた。感覚的なものだが、俺がここに来るまでの記憶もフィードバックされているのだろう。むっつりとした顔で睨みつけられてしまう。
「……あなた、人間なの? フィフキエルじゃなかったのね?」
「ああ、そうだよ」
「ふーん……わたくしもとんでもない勘違いをしていたものね。けどあなたもあなたよ。わたくしが勘違いしていたのなんてすぐ察したでしょうに、なんで放置したの? すぐ情報を共有してくれてたら、わたくしも馬鹿みたいな振る舞いをせずに済んだのに」
「……ごめんなさい」
「いいわよ別に。所詮わたくしはあなたの使い魔みたいなものだし。けどわたくしに相談しないで、あの小娘にほいほいついて行ったことに関しては文句を言わせて。あなた、馬鹿なの?」
「んっ……だ、ダメだったか?」
「ダメじゃないけど、馬鹿をしているわ。あの小娘が未熟なだけなのか、わざとそうしたのかは判断に困るところだけど、少なくとも無知な人間が一人で決断していい場面じゃない。反省して」
「……俺、なんかやらかしてるのか?」
意味深に匂わされると気になる。新人時代に知らない内にヘマをして、尻拭いをしてくれた先輩に後から嫌味を言われた時の嫌な思い出が蘇った。フィフは呼吸なんかしてないのに嘆息する。
「やらかしてるから叱ってるのよ。天力の回復を優先するのはいいけど、このタイミングで人目に触れるべきじゃなかったわ」
「……なんでだ? 素人質問で恐縮なんだけど、俺にとってMPの回復は最優先にするべきだろ。護身のための最大の武器なんだ、ちんたら自然回復を待つのはナンセンスだと思うぞ」
「だからタイミングが悪いって言ってるのよ。あなた、自分がどこに狙われてるか理解しているの? 今は敵意を持たれてないけど、あなたがフィフキエルじゃないってバレたら【教団】は殺しに掛かってくるのよね? ついでにあの雑魚悪魔が近場にいた以上、東京には【曙光】の勢力が進出してるのは確定。【教団】に帰るものと思ってたから何も言わなかったけど、あなたは【教団】と【曙光】二つの組織の手が及ぶ範囲で姿を晒したのよ。自殺したいの?」
「そんなわけないだろ。……でも家具屋坂さんがいる【曼荼羅】なら匿ってもらえるって……」
「ばか。このおバカ! いい? もしあの小娘が善意の第三者なら構わないけど、そうでない可能性は考慮してないの? もしも意図して姿を晒されていたら、いえ、意図してなかったとしても、あなたは【曼荼羅】とかいう名前も聞いたことがないような弱小に縋るしか道がなくなるの。退路を潰されたってこと! それぐらい理解しなさい!」
「……ま、マジ?」
「マジよ!」
言われて家具屋坂さんの態度を思い返す。が、特に怪しいところはなかったように思えた。
けど敢えて難癖をつけるなら、なんか押しが強かった気はする。
ガリガリと頭を掻いた。こりゃあ、あれだ。今の俺は新人時代のように社会のマナーとかルールを全く把握してない、どこに出しても恥ずかしい未熟者らしい。今までの経験がまるで通用しない業界に、いきなり転職したようなものだ。そう考えると確かに軽率だった。
となると本格的に頼りになる知恵袋、フィフの存在が手放せないだろう。もっとしっかり相談しておくべきだったと強く反省した。
「ごめん。次からはちゃんと相談する。やっちまったもんは仕方ないから、とりあえずこのまま行こうと思うんだけど、どうだ?」
「ここまで来たらどうしようもないわよ。どうせエンエルの奴が本気であなたを探しだしたら、単独だと隠れきれるとも思えないし……もうなるようにしかならないわ。……先に言っておくけどあなたの『言霊』で、遠くに逃げたら時間を稼げるなんて思ってるなら、そんな甘い考えは捨てておきなさい。天力の残滓を辿って、秒も掛けずに追跡できる奴なんて割といるんだから」
「分かった。安易に逃げられるとは思わないでおく」
こうして叱られるとつくづく自分の間抜けさを痛感させられる。フィフの警告を心に刻んで、同じ過ちを犯さないように覚えておこう。
しかし、こうも真正面から叱られるのなんて何時ぶりだ? 意外と悪い気はしない。きちんと俺のことを考えてくれての叱責だからだろうか。
馬鹿の考え休むに似たり、だ。今の俺は業界のド素人なんだ、下手に頭を使うより先に、分かる奴に頼る姿勢をもう一度意識し直そう。
そう決めて、気を引き締め直す。
すると家具屋坂さんが入って行った部屋のドアが、勢いよく開け放たれた。
「おーっ。オマエが刀娘の言ってた元人間の天使ね? よく来たわ、あたしが歓迎したげるぞ!」
――まずは家具屋坂さんが本当に善意の女の子だったのか、そして【曼荼羅】が俺をどうするつもりなのか、慎重に見極めよう。
シニヤス荘から飛び出してきた赤い短髪の子供を見て、内心そう呟いた。
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