福を掴む
みちづきシモン
福を掴む
日本には古来より八百万の神がいるとされている。その中に古くから海の神、市場の神として信仰を集めてきた、恵比寿様という神様がいる。
今は商売繁盛を祈願する人も多いのではないだろうか。七福神と結びついて福の神として司る恵比寿様。
関西では、「えべっさん」とも呼ばれ、親しまれている。
十日戎という言葉を知っているだろうか? 関西人なら聞いたことのある人、知っている人も多いだろう。
毎年西宮神社で、一月九日と、十日と、十一日の三日間行われ、九日は宵えびす、十日は本えびす、十一日は残り福と呼ばれている。
西宮神社では一月九日深夜から全ての門を閉ざし静寂の時間を過ごす、居籠りのあと、十日四時から祭典を執行し、来たる朝六時表大門が開かれると、門前に待ち構えていた人が一斉に駆け出す「開門神事福男選び」というものが開催される。
そこで最初に本殿にたどり着いた人がその年の福男になる(女性の場合もあり、福女になるそう)恒例の行事である。
僕は一月十日朝五時五十分、西宮神社の閉じられた表大門にいた。離れた場所では少し前に籍を入れたばかりのお嫁さんが見守っていた。人の波に埋もれ、少しでも前に、有利な場所を取ろうともがいていた。
彼女と結婚式の予定を組んだ時、福男選びの事が話題に上がった。
「神様からも祝福されたいなぁ」
彼女の一言が、僕を奮い立たせた。僕も出てみたい。彼女は少しだけ反対した。僕は屈強な男ではない。走るのが遅いわけではないが、別段速いわけでもない。あれよあれよと押され揉まれ怪我をする可能性もある。それでも僕自身も、神様からも祝福されたかった。
僕は西宮神社にお参りし、ルートを確認した。表大門から入り直進、右に曲がって真っ直ぐ行って左に曲がり右手に本殿がある。
最初の直進してる時にあまり角に寄らない方が曲がりやすいかもしれない。そして左に曲がる時、真ん中あたりを走り、本殿に着くといいかもしれない。
勿論これらは想像だ。初めて参加するんだから、どんな感じなのかなんて予想しかできない。
ただ走るだけなら確実に一番になれない。調べたら三位までは福男になれるらしいが、どうせなら一位がいい。考えた結果、門の前に一番前に立つこと、最短ルートを確保すること、後は全力疾走。
色々シミュレーションを行いその日を迎えたのだ。九日に参加者の中から抽選受付が開始され、始まる前に、前列か後列かの抽選がされる。運良く前列の切符を手に入れた僕は、まず第一関門を突破した。
五分前、やや押されたような気がする。きっと皆待ちきれないんだろう。三分前、鼓動が高鳴る。一分前、覚悟を決めた。太鼓の合図が鳴る。門が開かれ一斉にスタートした。実は上手く場所を取れず、表大門の右端前に立っていたので、直進後曲がる場所で、左足を軸足に直角にくらい曲がる。何とか上手くいった。右端にいたためそのままギリギリまで直進できた。ある意味幸をなした。そして左に曲がり、本殿へ駆け抜けゴールした。約二百三十メートルあるらしい道を駆け抜けた。
僕は一位で駆け抜けた。自分でも信じられなかった。僕ともう二人は福男として祝福された。周りを探すと妻の姿があった。笑顔で拍手してくれている。本当に嬉しかった。
しっかりした服装で走ったので逆に汗をかいていた僕は、副賞のえべっさんの木像を抱えて、妻と本えびすを楽しんだ。縁起物の福笹や熊手を買い、帰路に着いた。
結婚式の打ち合わせは順調に進んだ。これも福男効果だろうか? 僕らは和装で結婚式を挙げることにし、親族へのおもてなしを考える神前式のできるを神社を選んでいた。
神前式の挙式を選んだ理由は、やはり「神様からも祝福されたい」からだった。
そう、僕らは祝福されたかったんだ、恵比寿様に。だからこそ西宮神社で挙式をあげることを選んだし、福男選びの話が出たのはそのためで、僕は駆け抜けた。
僕は親の店を継いだばかりの新米商売人。まだまだ駆け出しだ。バイトで来ていた彼女に告白した僕は、オーケーをもらった瞬間喜んだものだ。そして交際してるうちに益々好きになり、結婚を申し込んだ。あっさり承諾され、夫婦となった僕らの結婚。
晴れ舞台は神様に祝福されたい。それも商売繁盛の神様恵比寿様に祝福され、この先もお金に困ることなく平穏な生活を送ることが出来たらきっといい。
家と家を結ぶ考えに基づいた神前式という結婚式は、僕らの親族にもぴったりだった。
和菓子屋の息子の僕と洋菓子店の店長の娘だった彼女の家族は、和と洋で別れただけで、息はピッタリだった。挨拶に向かった時も喜ばれた。
僕らの家族を結ぶ式としてはきっと最適だった。
だが、福男選びの話が出てきた時、僕には一抹の不安が出たんだ。
彼女の名前は福美という。名前に福があるのだ。だが僕の名前には福はなかった。和也、嫌いな名前ではなかったが、もし福男に選ばれたら、一年間福男として生きられる。たった一年でも福を持ちたかった。そんな理由でやと思うかもしれないが、僕には大問題だった。
彼女と共に福を持って挙式をあげたい。勿論、福男に選ばれなくても挙式はあげるつもりはしていたが、どうせなら福男に選ばれて結婚式をあげたかった。
それだけ必死だったのが恵比寿様にも伝わったのかもしれない。僕は福男になれた。
そして今日、彼女と挙式をあげた。厳かな雰囲気で本殿で行われた。恵比寿様に祝福されている感じがしてとても嬉しかった。彼女は白無垢に身を包み、とても綺麗だった。お神酒を夫婦で飲む三献の儀などを行う時は緊張した。全ての儀を終え退場し、披露宴会場へと向かう。
披露宴では彼女は色打掛に着替えていた。こちらもとても綺麗だ。僕はずっと紋付羽織袴だ。
和食コースでの食事で、食事が運ばれてからも緊張していた僕は、彼女に小突かれた。
「もっと楽しまなあかんで。私たちは今祝福されているんやから」
前を見ると、僕の父親が何かを抱えていた。えべっさんの木像だ。
そうだ。僕は今年福男なんだ。もっと堂々として、この場を楽しまないと。えべっさんに笑われる。そう思った僕は、彼女に微笑んだ。
「ありがとな」
彼女もにっこり笑って食事を続ける。父親はえべっさんの木像を掲げて笑顔で言った。
「我々一同に恵比寿様の加護がありますように!商売繁盛を願って!和也と福美さんの結婚を祝福するで!」
そうして披露宴も終わり挙式を終えた僕らは、改めて夫婦の誓いを立て終えた。
「あの子ら、どないなるやろなぁ?」
恵比寿様はそうやって見下ろしている。祝福を受けた子らが、必ず幸せになるとは限らない。商売繁盛しても幸せになれるかは彼ら次第。彼らのこの先は、苦労もあり失敗もあり、そうやって幸せに向かっていくのだ。神のみぞ知るという言葉がある。だが、未来は神様にもわからないものなのだ。それでも今日、彼らは誓いを立てた。夫婦になる誓いを。今日の日を忘れなければ大丈夫だろう。晴れ舞台を終えた彼らは西宮神社から離れていく。またお参りに来た時に、少しずつ運をわけてやろう。来年もまたおいで。
そして時が経ち。
私は名前に福という言葉がある。そして、今日は夫のお葬式。
黒一色で喪にふくす私たちは、かつて走り抜けた彼を火葬場へと見送る。
彼は歳を取ってからも走る人だった。努力を止めない人だった。
あの日手にした栄光に縋っているのかと思う人もいる。でも、私は違う。彼はきっと、神様の祝福を受けた以上は商売を止めてはいけないと思っていたのだろう。
息子が商売を継いでからも、その歩みを止めなかった。口を出すという意味ではない。ただ宣伝の足を止めなかったのだ。
無茶が祟ったわけではない。ただ、そういう運命だったのかもしれない。彼は倒れた。
倒れてからの彼はとにかく喋った。まるで倒れても商人だと言わんばかりの彼は、息子を自慢げに皆に語る。
息子は、彼と同じように、「開門神事福男選び」で、福男に選ばれた。それが誇らしいのか、彼は何度も恵比寿様のご利益があると語っている。
私にとっては、神様は小さな手助けしかしないだろうと思う存在だ。実際に福を呼ぶのはそこにいる人々だろう。
それでも、願い続ける彼の気持ちは、私にもわかる。祝福されたら嬉しいという気持ちはとてもわかる。だからこそ……。
彼がもし、祝福されているのであれば、恵比寿様の元へと行って欲しいと願う。彼はきっと恵比寿様に会いたいだろうと思うから。
骨が残り、骨壷に入れていく私達。息子はずっと泣いている。大好きな父親が亡くなったから。私は息子を抱き寄せ一粒の涙を流した。
「お父さんのようにあなたが店を支え、誰かに繋げていくのよ」
息子は頷き、固く決意したようだった。
お葬式自体は、初めてではない。私達も歳をとった。だから様々な人とお別れしてきた。その時彼が言った言葉が忘れられない。
「死別も出会いと同じく、大切にしないといけない。そうでないと亡くなった人に失礼だ」
亡くなった人の最後の『晴れ舞台』なのだ。
そこから先、亡くなった人は何も成さない。ただ残るのみ。だからこそ、どんな形でもいい、小さくてもいい、最後にお別れをして見送るのだ。
私もいつかそちらへ行くわ。そう想い、彼を墓にいれた。
ある時、彼の墓に立っていた時、風が吹いた。その爽やかな風は、私に何かを語りかけているようにも感じる。
息子が、寒いからと私の手を引き帰るように言う。私は共に帰ろうとし、ふと思ったことを口にした。
「あなた、恵比寿様には会えましたか?」
息子が怪訝な顔をしてみてくる。なんでもないわと言ってその場を後にする。
墓の方から、会えたよ、そう彼が言った気がした。
えべっさんの力を借りて、少しだけ福美と会話出来た。後は、彼女がこちら側へ来た時、僕は彼女と手を繋いで息子や孫達、子孫の繁栄を見守るだけ。
ずっとずっと、祖先達と、子孫の栄光を見守るのみ。
福を掴む みちづきシモン @simon1987
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