3章
隼の住む天日部市の外れ、市境といっていい位置に私立聖泉女子高等学校はある。
開校して十年足らずという若い学校だが、生徒の評判は良く、成績も優秀らしい。
椎葉から連絡を受け、放課後の待ち合わせに指定されたのが、ここであった。
その時に学校の情報も聞いた。
「あんたには縁のない場所だろうから、感謝しなさいよ」
そこまで恩着せがましく言われる筋合いもない。
だが、こういう用事でもなければ、近くにさえ来ることがないのも確かだ。
しかし――だ。
約束の時間を、三十分は優に過ぎている。
正門からほど近いところに、児童遊園があったのが幸いした。
ただでさえ制服男子は目立つ。
復縁を迫るストーカーに見られかねない。
すぐに人目に耐え切れず、公園内に逃げ込んだ。
それから三十分、端のベンチに小じんまりと座っていると、騒々しい声が聞こえてきた。
「まさかな……」
隼は小さく呟いた。
嫌な予感というものは的中する。
公園の入り口近くに黒山の人だかりが出来ていた。きゃあきゃあと歓声を上げながら、取り囲んでいるのは、そこの女子校の生徒だ。
セーラー襟のブレザーが下校するのを何度も見ている。
恐らく中心にいるのは――。
「ごめんね、そろそろ行かないと」
椎葉の声がする。
これは裏の声だ。
いや、表か――?
隼に言わせれば、本性を隠すための嘘は表だと思っている。
だからあの椎葉は、表の椎葉だ。
ええええ――と、遠慮なく不満を洩らす女子たちに、困惑の笑顔を見せる椎葉が垣間見えた。
表の笑顔だ。
「約束に遅れちゃうから」
もう遅刻だけどな――。
取り巻く一人が隼に気付いた。
「もしかして、あの人と……?」
全員の視線が突き刺さる。
値踏みは一瞬、すぐに天下の高校生モデルもたいしたことないな――という目付きに変わる。
女子の恐ろしさを痛感した。
「ええ、遠い親戚なの」
一番恐ろしい女子が、平然と言った。
ああ、やっぱり彼氏じゃなくただの親戚か――という空気に、素早く切り替わる。
軽くけなされたようだ。
挨拶が済んだようで、椎葉が輪から抜け出て、歩み寄ってくる。
隣に座らず、見下ろす位置で立った。
「どうしてこんな所に?」
「遅刻だぞ」
問いに対する答えも兼ねた、見事な責め言葉のチョイスだ――隼は自画自賛した。
「小さい男ね」
椎葉も一言で返してきた。
色々な意味を内包した言葉に、隼は打ちのめされた。
「もうそろそろ出てくるわよ」
椎葉を見上げると、女子校の正門を見ていた。
「誰が? というより何でここに?」
「あの晩に会った『濡女』が、そこの高校に通ってるの」
なるほど――隼は納得した。
あの時の追跡部隊が、任務を全うしたのだろう。
何の妖怪かまで、特定できているのだ。
濡女――。
常に髪の毛が濡れていることから名前がついた、半人半蛇の妖怪だ。
蛇の部分が三百メートルあると記した文献もある。
隼が会った姿は、かなり人間らしさが残っていた。
「じゃあ、どうして捕まえないんだ?」
椎葉がバカを見る目で見下ろしてきた。
その意味は分からない。
「君が言ったんでしょ。彼女は犯人じゃないって」
「確かに言ったけど……」
そこまで意見が尊重されているとは思わなかった。
「刑罰が重いからね、冤罪で裁いて、平気でいられるほど、厚顔無恥じゃないわ」
遅刻した上に待たせた相手をこけおろす事は出来るのにな――隼は密かに思った。
ささやかな反撃だ。
椎葉が冷たい表情で睥睨している。
おう――隼は慄いて、素早く話題を切り替えた。
というより元に戻した。
「犯人じゃないなら、おれたちがここにいる理由は何だ?」
「放っておけないでしょ。妖怪体になれるってことは、血が濃いんだから」
妖怪と人間の間で子を生すと、世代を経るごとに妖怪の血は薄れていく。人間という種族の血は濃いのだろう。
早い世代から、人間そのものでしかなくなる。
しかし、異形の血が出る者もいる。
特殊能力のみが引き継がれる場合もあれば、妖怪性が現れる場合もある。
前者は隼であり、後者が今待っている子のことだ。
「誰かと違って正当な血筋なんでしょ」
話を逸らしたはずだが、まだ攻撃対象のままであった。
隼は袖引き小僧という妖怪の子孫だ。
その血は薄く、妖怪体になれるほどではない。
そもそも袖引き小僧の妖怪体とは何なのか。
文献で調べても、人間の子供の姿で描かれているのだから、妖怪体と人間体の区別がないようにも思える。
「妖怪体になりすぎると、血が強まっていく。そうなると、人間体とどちらが本体か、わからなくなり、そうしているうちに、完全に妖怪となる」
椎葉は少し物憂げな表情を浮かべた。
彼女の周りでそんな人がいたのだろうか――隼はそう感じた。
「天城、お前――」
「そうなったら女子が一人減り、袖篠に彼女ができる可能性が、また低くなってしまう」
「おれに彼女が出来ない理由はそれか!?」
椎葉がけらけら笑う。
さっきの蔭はない。
「心配して損した」
「なに?」
「そういえば、お前も妖怪体になれるのか?」
隼必殺の話題替え。
「見たい?」
笑顔でそう言った。
怖い。作戦失敗。
「今、鼻の高さを想像したでしょ」
してない。
それは完全に濡れ衣だ。
彼女のコンプレックスに触れられるほど、命知らずではない。
「え――……と……」
隼の反応を見て椎葉がまた笑う。
からかっているらしいが、笑えない。
今度の笑いは、数秒で収まった。
「袖篠、来たわ」
椎葉が真顔で言った。視線を追う。
公園の出入り口の先――校門から、女子高生が一人出てきた。
「行くわよ」
隼は立ち上がると、歩きだした椎葉の後に続いた。
公園を横断する。
椎葉が入ってきた方の入り口だ。
濡女だという女子と、そこで交差する速度だ。
「あたしが話しかけるからね」
「まかせるよ」
元々隼はそのつもりだ。
声をかけて変に警戒されたら、地味に落ち込んでしまう。
公園の植樹と植樹で切り取られた歩道の風景を、彼女は普通に歩いている。足取りは弾み、その表情に暗さはない。
とても妖怪体になれるほど、異形の血が濃いようにも見えなかった。
スケール感からいうと、背が高い。
恐らく隼より大きい。
黒くしっとりとした長い髪は、スキップにも跳ねないほどの重量感がある。
目鼻には切れ長のイメージがあり、じっと見ていると、あの晩の濡女の顔が重なる。
確かにあの子で間違いないようだ――隼は確信を持った。
その時、ふと彼女は顔を上げた。
目が合ってしまった。口が『あ』の形で開かれた。
やばい、凝視しすぎた――?
隼は慌てて顔を逸らした。
時既に遅し、視界の端で彼女が走り出していた。
「袖篠、追うよ」
椎葉はそう言ったが、走りかけた姿勢で止まった。
見ると、濡女であろう少女が、公園へ入ってきた。
息急き切って、隼たちの方へ。満面の笑みは椎葉の横を通り過ぎた。
え――と思っている間に、隼の前で止まった。
「先日はありがとうございました」
息が整うより先に、彼女は言った。
意外と幼い声は、見た目とギャップがあった。
そのイメージ補正に気を取られ、返事が遅れた。
「あの……命を助けてもらいました」
覚えてないと思われたらしく、補足された。
「大丈夫、覚えてるよ」
何が大丈夫かよく分からないが、そう返した。
それでも彼女には通じたらしく、花が咲きそうなほど破顔された。
「なら話は早いわね」
椎葉が声をかけたが、彼女はちらと見ただけですぐに、隼へ向き直った。
「私は
「おれは袖篠隼。でそっちの子が――」
「もしよろしければ、駅前のファストフードでお話しませんか?」
濡女であろう子――媛香はそう言うと、隼に微笑んだ。
ここまであからさまにやられると隼でも分かる。
媛香は椎葉を無視するつもりらしい。
媛香の肩越しに椎葉の顔が見える。その表情は零下まで冷えきっていて、怖い。
身震いを抑え、用事を済ませることにした。
「せっかくだけど、おれたちは君に用があるんだ」
「ですからお話を――」
「用があるのは、おれと、そこの天城椎葉の二人なんだ」
媛香は不愉快そうに眉をしかめた。
「どういう関係ですの?」
「仕事のパートナーだ」
椎葉が火種を投じるような表情を浮かべたので、隼は先に言い切った。
「仕事……?」
媛香は訊き返してきた。
ま、それが当然の反応だ。
隼の隣で上機嫌な媛香と、数歩遅れてついてくる椎葉の、殺気にも似た視線を感じながら、駅前まで歩いた。
天国と地獄だなんて、簡単に比喩できない。
媛香のスキンシップも、手放しで天国だとは感じられずにいた。
高校男子として、有るまじき感想だ。
相手が妖怪だからか――?
隼はその仮説を振り払った。
今まで何人も女性の妖怪たちに会ったが、異性を感じなかったわけではない。
『常に発情しています』宣言に、隼は自滅し、一人で落ち込んだ。
駅までまた一悶着。
どこの店にするか――だ。
ここのチョコパイが旨いとか、そっちの店のクラムチャウダーが絶品だとか。
結局、隼がコーヒーのみのフランチャイズ店を選んだ。
「あたしは紅茶派なのに」
「私も」
妙なところで連携を見せて、隼を辟易させた。
文句を言いながらも、二人はケーキも注文した。
なぜか隼が払うことになった。
先日のパフェと合わせ、今月のお小遣いは完全に赤字だ。
隼は一番安いコーヒーにした。
二人が待つテーブルへ向かう。四人掛けの席で、斜めに座る女子二人。
どちらの隣に座るべきか――。
ここは考えるまでもなく、椎葉の隣で媛香の正面だ。
席に着くと二人に『え?』って顔をされた。
同音異義のようだが、これでは正解が分からない。
というか、何をしてもそんな反応になるだろう。隼は小さくため息をついた。
「今度はあたしがおごるわよ」
余りにがっかりして見えたのか、椎葉が小さく耳元で言った。
その勘違いも不本意であった。
しかし、それを言い直す気力が、隼にはなかった。
よろしく――とだけ返した。
媛香がミルクレープを一口頬張って、嬉しそうな顔を浮かべた。
波美を思い出した。
巨大パフェを食べていた彼女の顔が、ほとんど見えなかったのが悔やまれる。
ま、次があるさ――と思った時、何かが引っかかった。
『次』……?
究極のスウィーツを作る約束を思い出した。
血の気が引く。
本当にさあっと引き潮のような音が、聞こえた気がする。
「大丈夫?」
媛香が顔をのぞき込んできた。
「そんなに金欠だったなんて……」
椎葉が残念なものを見る目で言った。
いやいや、そんなレベルの話じゃないから――とは言えなかった。
「大丈夫だ――」
九割の強がりと一割のプライドで、場を収めた。
二人の女子高生は、十割の同情心でこの話題を終わらせてくれた。
情けなくて、泣きたくなるのを堪える。
事件の早期解決が、問題打破の糸口なのだ――と、隼は本題へと入った。
「おれたちが普通の人間じゃないのは分かる?」
媛香は驚きに目を丸くした。実に表情が豊かな女の子である。
「おれはマイナーな妖怪だけど袖引き小僧、天城は天狗の血を引いている」
「へえ~~、天狗ね~~」
媛香の視線は、天城の鼻を見ている。天城も気付いている。
一触即発の空気だ。
隼は流すように言葉を続けた。
「実はあの河原で、二人の男性が血液を失って死ぬ、という事件が起こってるんだ」
「私じゃありませんよ」
隼は頷いた。
問いつめるためではない。
「本当かどうか、その身体に訊いてみようってことになってるの」
椎葉は真顔で言った。
媛香が腰を浮かせた。
「冗談だって――。天城得意の冗談だって――」
隼は必死に媛香を宥めた。
眉間に皺を寄せ、椎葉をじっとりと睨みながら、媛香は座り直した。
「あなた嫌いですわ」
「奇遇ね。あたしもそう思ってたわ」
恐い恐い――隼は一刻も早く、ここから逃げたくなった。
「天城、頼むから話をさせてくれ」
「どうせ妖怪体をとり続ければ、人間に戻れなくなる。そうなったら、あたしたちの管轄だ。どう扱おうと構わなくなるんだよ」
「そうならないように、教育するのも今日の目的でしょ」
「あたしは、あんたのように誰にでも優しくするつもりはない。目的は同じでも手段は相容れないんだから」
「でも今は一緒でしょ。事件の解決は、みんなのためじゃないか」
「そうだけど――」
「それに、おれは、天城が悪いことしてるところは見たくない――」
椎葉が、はあ? の表情で固まった。
勢いで言ってしまったが、本心だ。
椎葉はシビアで、クールにミッションを遂行するタイプである。だが、必要以上に冷血にはなってほしくなかった。彼女の本質的な優しさを、隼は知っているからだ。
椎葉は甘ちゃんね、と言いながら、顔を背けてしまった。
「甘いのは認めるよ」
気付くと、媛香がストローをくわえたまま、隼を凝視していた。
「お二人は本当に、仕事のパートナーですか?」
「そうだけど……」
よく見れば、媛香の頬が膨れている。
隼は切り出す言葉を見失った。
よし――椎葉が気合いを入れるように言うと、向き直った。
「これからは事務的にいくわ」
反省した結果なのだろう。
隼は苦笑を浮かべて、よろしく頼む、と言った。
椎葉は、この世に存在する妖怪の血族の話と、血の濃さで妖怪体になれる人がいること、濃すぎるからこそ元に戻れなくなる可能性を説明した。
「あまりなるな――ってことですわね」
「いつから力に気付いたの?」
「気付いたら――かな」
「鳥が飛ぶことを、遺伝子で知っているように、人じゃない能力は、自然に理解しているものよ」
椎葉が補足した。
「あの身体になれたのは、つい最近のことですわ」
「いつもあの川で――?」
媛香は頷いた。
「あの辺りは暗いから、人目につかなくていいの」
「犯人に心当たりはない?」
隼はダメもとで訊いてみた。
「もしかしたら――」
媛香は考え込みながら言った。
「あるの?」
媛香が頷いた。
「木曜日――いえ水曜日の夜でしたわ。もっと河口の方で影を……。同種族かなとも思いましたけど、声をかける方が危険と思って、隠れましたの」
「賢明だったね」
へへ~~と媛香が照れ笑いをした。
一番目の犠牲者は、木曜日の夕方に発見、そして通報されている。
犯行は前の日未明。つまり水曜日の夜だ。発見場所も河口寄り――確かに一致する。
「それが犯人の可能性はある」
椎葉にそう言ったが、彼女は難しい顔をしたままだ。
事務的に接するんじゃなかったのか――隼は口の中で言った。
ちゃんと聞こえたようだ。
椎葉が目だけで睨んできた。
「そうだ、私が案内しますわ」
「それは良いアイディアだ」
「せっかくだけど、遠慮するわ」
隼と椎葉が同時に答えてた。
椎葉は相変わらず厳しい表情だ。
「とにかく、あなたは妖怪体になるのを止めて、あの辺りにも近付かないように」
ぴしゃりと言い切った。
媛香が目で、隼に助けを求めてきた。
確かに現実的な結論ではある。
「意地悪で言ってるんじゃないよ」
「そうかしら――」
「本当の妖怪になったら、天城家は見過ごせなくなる。もし天狗一族が出てきたら、おれでは手が出せない」
媛香がちらりと椎葉を見た。
椎葉は難しい顔で、目を瞑っている。
「犯人探しは危険だから、おれたちに任せるんだ」
椎葉が言ったことを補足して諭したつもりだ。
さすがに媛香も分かったであろう。
じゃあ――と媛香は、電話番号を記したメモを隼に手渡した。
代わりに何故か、隼の家の電話番号も要求された。
事件について何か思い出したら連絡するから――と言われれば、教えないわけにはいかない。
番号を交換し終え、取り調べというか、会談は終わった。
媛香と別れ、椎葉と帰路についた。
ずっとだんまりを決め込んでいた椎葉が口を開いた。
「あの娘が犯人に心当たりがあると思ってる?」
「あるって言ってたじゃないか」
椎葉の眉間の皺が深くなった。
「電話番号まで教えて、どういうつもり?」
「事件の情報を教えてもらえるならって思って――」
椎葉は、横目で隼を見た――というか、睨んだ。
「千濡さんが嘘をついてるってこと? 何のために?」
椎葉の表情が呆れに変わった。
「たとえば、あんたを味方に引き込むため――とかね」
半分笑いながら、椎葉は冗談めかして言ったが、隼はあり得ると頷いた。
「そうか、天城との対立を回避するためか」
椎葉の笑いが固まった。
固まりがほぐれると、次にはため息を盛大に漏らした。
「『片思いの君』一筋なんだ」
「なんかすごいダメ人間みたいな言い方だな」
「あの娘には近付かない方が、『片思いの君』と面倒くさいことにならないで済むわよ」
妙な忠告を残し、椎葉は分かれ道を曲がって行った。
屋敷のある山の方へと背中が歩み去っていく。
椎葉は意味のないことは言わない。
忠告は無視できない。
とはいえ、媛香と波美に接点があるとも思えなかった。
それよりも波美を『片思いの君』と呼ぶのは勘弁してほしい。隼は切に思った。
叶わない恋だと強調されているようで悲し過ぎた。
ついでに波美との約束を思い出した……。
何故か戦慄を覚え、隼は飛ぶように帰った。
その日は菓子作りの研究に没頭するつもりであった――……ができなかった。
媛香から電話があったからだ。
事件のことで思い出したことがある――と。
こう言われてしまえば、会わないわけにはいかない。
結局その日の夜に約束をしてしまった。
研究も断念した。確かにこんなことが続けば、波美と上手くいかなくなる可能性がある。
上手くいっていたかは棚上げで、自重自重と思いつつ、河原へ向けて、隼は家を出た。
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