2章

 三ヶ月前――吸血鬼が街を襲う事件が起こった。

 天城たちの情報統制により、一般には知られていないが、隼はそれに巻き込まれた。

 というより会ってしまった。

 その場は、無事に逃げることが出来た。

 やっとのことで逃れたというのに、あれよあれよという内にその渦中、しかもど真ん中にいた。

 その不幸を何度呪ったことか……。

 この事件から吸血鬼調査隊を通し、波美と仲良くなれたことは、ほんの僅かな収穫だ。

 いや、唯一かもしれない。

 吸血鬼の目的は天城家だった。

 より強いエネルギーを、天狗の血に求めたのだ。

 まず天城家に使役する、妖怪の子孫たちを狙った。

 これを黙って見過ごせるはずがない。

 天城家の跡取り娘の椎葉が出てきた。

 つまり見事に策略にはまったわけだ。

 それで、椎葉に引き込まれる形で、吸血鬼と戦うことになってしまったのである。

 それ以来、妖怪絡みの事件が起きると、何故か椎葉から召集が掛かるようになってしまった。

 手伝う義理はないのだが、なし崩し的に付き合っている。

 こういう意味では、波美との吸血鬼調査隊と似ているが、椎葉の件には拒否権はなく、百パーセント本物が絡んでいる。

 当初は警戒し、距離を置いていたのだが、いつでも最後には、事件の中心に椎葉といて、解決に臨んでいた。

 ここ最近は、素直に参加する事で、早めに片をつけるようにしている。

 人の命を狙う妖怪との戦い。そこに至るまでの捜査と推理――。

 事件解決に必要な、且つ、大変なことベストスリーの内の、二位と三位だ。

 第一位は――。

「暇だ――」

 その言葉を聞くのは何度目だろう。

 隼はため息をついて、言葉を放った主を見た。

 主――椎葉は、座った目で見返してきた。

「何よ」

「こんな仕事、いくらでもしてきただろ?」

「ないわよ」

 椎葉はふんぞり返りながら言った。

 いつでも不機嫌な椎葉の相手――。

 これが、大変なこと第一位であった。

 日曜日に椎葉と待ち合わせた場所より、海側へ二キロメートルほど下っている。

 東京都下から流れる、別の川との合流地点だ。

 二人が隠れている橋を渡れば、隣の市だ。

 川から見えないように、橋脚の陰に並んで座っている。やる事といえば、犯人が来るのを待つだけだ。確かに地味で暇な作業だが、まだ座って十分も経っていない。

「いつもは、カラス天狗任せよ」

「じゃあ、今日もそうすれば良いじゃないか」

 椎葉は間抜けを見る目に、ため息まで付けた。

「おれと一緒に居たかったのか?」

 隼はおどけて言ったみたが、違うわよ――と素で返されて消沈した。

 だが隼絡みであるのは、察しがつく。

 いいとこ監視だな――隼はそう推測した。

 同情しそうになるが、そもそもは彼女の仕事だ。

 私立荻里女子学園の学年トップの秀才。学生モデルでもあり、天狗の血を引いた、天城家の跡取り娘だ。

 一度だけ彼女の一族に会ったことがある。祖父と父親と叔父さんだ。

 父親と叔父さんは人間に見えたが、祖父は絵に描いたような天狗であった。しかもでかかった。立てば三メートルを優に超している。

 彼らに吸血鬼の現在を説明してもらい、遠回しに天城家がその能力を得ようとしているから邪魔するな、と言われた。

 天狗の血を狙うアバターと、吸血鬼の力を狙う天城家――勝手に争ってろ、と隼は思った。

 だが、結果的に吸血鬼の能力を引き継いだのは隼だ。

 アバターだったという理由で、言うほど身体能力は上がっていない。

 しかし、隼を殺した者には吸血鬼能力が引き継がれる――このルールだけは生きているのだ。

 この噂は妖怪たちには知れ渡り、命を狙われる可能性が高くなってしまった。

 何という理不尽さ――。

 そういう意味で、椎葉たちは隼を手元に置いているのだろう。

 監視の任は、彼女自身が請け負ったようだ。

 ただ、隼はもう少し穿った物の見方をしている。

 吸血鬼の本家が力を取り戻しにくる――と。

 その可能性はかなり高い。

 なぜなら、アバターの目的は本体へのエネルギー供給だったから、分身が倒された事を知らないはずがないのだ。

 今度も勝てるとは限らない。

 その時、天城家は味方になってくれるのだろうか――。

 そう思いながら椎葉の横顔を眺めていると、不機嫌に顔を歪められた。

「仕事して」

 きっぱり言われた。

 味方は期待出来なさそうだ――と、いささか将来が不安になった。


 一時間が経った。

 監視はローテーションとなっている。大枠ではその日の担当割りで、小枠では交代で休憩を取るための割り振りだ。

 一昨日、土手で椎葉と打ち合わせをし、今日を担当することになった。

 この二日間、カラス天狗たちには、川自体を注意深く見回るように、指示を出した。

 あの時、感じた視線。そして死体の位置。蛇のような姿という目撃情報。これらを統合すると、犯人は川を移動していると考えられたからだ。

 その指示のおかげで、カラス天狗たちは三度、川を泳ぐ影を捉えることができた。

 一回は遠果川の方だ。

 こちらは追跡も出来ないほどに、ぶっちぎりの速さで逃げられたらしい。

 残り二回はこの橋近辺で目撃された。

 どちらも夜の川に視界を奪われ、見失ったという。

 この報告から、影は橋が主な活動区域ではないか、という憶測が立てられた。

 ならばここで網を張ろう――隼は提案した。

 もし警戒に気付いていなければ、犯人はまた来るはずである。

 そこを捕まえる、というのが作戦だ。

 嫌々ながらも賛成した椎葉は、隼の足下で小さく丸まって、寝息を立てていた。

 落ちている枯れ葉で、鼻をくすぐってやろうかと企んだ時だ。

 川の流れとは違う音が聞こえた。

 微かだが、確実に近付いてくる。

 隼は腰を浮かせた。

 遠い街の光を重く跳ね返す以外、すぐそこの川原さえも、夜に溶けて見えなかった。

 吸血鬼の力なんか本当に無いな――誰ともなしに、隼はぼやいた。

 唯一頼りになる耳を駆使し、目からの情報を補足していく。

 アクリル板のような水面が揺らいだ。

 何かがいる――隼がそう認識した時に、顔のすぐ横に気配。

「何だと思う?」

 小声は椎葉だ。

 というか顔が近い。

 色々な驚きを呑み込んで、隼は平然とした声になるよう、努力した。

「犯人かどうかはともかく、人ではないと思う」

 椎葉は頷いた。どうやら彼女と意見が一致したようだ。

「人じゃないものに、うろちょろされても困るわね」

 椎葉は指を指揮棒のように動かした。

 かさ――と、微かに草音を鳴らして、影が四つ現れた。

 カラス天狗だ。

 いたのか――隼が思っている間に、椎葉が指示を出し終えた。

 カラス天狗たちはバズーカー砲のような筒を構えた。

「そんなもの使うのか?」

 ぎょっとして、隼は思わず訊いた。

「ワイヤー砲よ」

 椎葉の説明があったのは、カラス天狗たちが翼を広げて、飛び立った後であった。

 夜空へ浮かび上がる四つの黒点が、川の上空へ忍び寄る。

 川の中で標的は、その存在にまだ気付いていない。

 川面にゆるゆると波紋を作りながら、上流へ向かっている。

 椎葉が手を上げた。

 黒点が空で停止した。ホバリングしているのだろう。

 標的が橋を通り過ぎた――と同時に、椎葉が手を振り下ろした。

 バシュっと空気を打ち出したような音と、ワイヤーが着水した音が聞こえた。

 水面が乱れたが、目標を捕獲したようには見えない。

 目を凝らすが、波打つ川面が陰影で分かるだけだ。

 いや、揺れが大きくなってる――隼は気付いた。

「天城、皆を退避させろ!」

 忠告は遅かった。

 川から水が噴き上がった。

 鯨の潮のような奔流が、滞空しているカラス天狗を、次々と呑み込んだ。

 六連射で、四羽のカラス天狗は、全て落とされた。

 余剰分の水が橋の側面を打ち、細かな水滴となって周囲へ飛び散った。

 川岸にいた隼にも、激しく降り注ぐ。

「カラス天狗が!」

 豪雨を橋下で逃れた椎葉が叫んだ。それは隼に向かって放った言葉だ。

 その一言には、カラス天狗たちの救助と、目標の捕獲が含まれている。

「無茶言うな!」

 言いつつも、隼は川へ走った。足首までが水に浸る。

 一、二、三、四――カラス天狗が川面に浮かんでいるのを、確認した。

 羽根が濡れて飛べないようだが、全員無事だ。

 ワイヤーを打ち出した筒が上流へ流れていく。

 隼はもっと川へ入り込み、筒を掴んだ。すぐに抵抗が腕へ伝わる。ワイヤーが標的に絡んでいるのだ。力は思った以上にある。

 大物を吊り上げんとする釣り人のように、腰まで水に浸かりながらも耐えた。

 足に力を込め、反って体重を利用してみるが、少しずつ引きずられた。

「追跡部隊を召集するから、五分持ちこたえて!」

 椎葉が後ろで叫んだ。

「今から五分かよ――」

 隼は自信なく呟いた。

 力負けして、引きずられる幅が大きくなっていく。

 向こうは川の妖怪。水の中では圧倒的に有利だ。

 そう思うからこそ隼は踏ん張った。

 戦うなら地上だ――と。

 互いのテリトリーへ引き込む綱引きは、ふいに終わりを告げる。

 抵抗が喪失したのだ。

 ワイヤーが外れたのかと思ったが、違う。

 水の流れに乗って、気配がスピードを上げて接近している。

 方向を変えたか――隼は自分より下流を見る。

 標的の直進コースに、カラス天狗らしき影がいた。飛び立とうとしているが、やっと翼を水面へ上げられたくらいだ。

 隼は水へ飛び込み、そのカラス天狗まで泳いでいった。

 身長一メートル足らずの身体を確保した時、すぐ背後に水圧を感じた。

 振り向きざま、隼は水の中で足を振り上げる。

 接近する目標に足裏が接触――その刹那、それを踏み台にして、水上へ飛び上がった。

 カラス天狗を抱えたまま、水面上を宙返り――目標と交差するように、再び川へ落ちた。

 不時着直後、上下不覚になったが、幸い水面へ上がることが出来た。

 空気を求め、川から立ち上がる。腕の中のカラス天狗も無事のようだ。

 二羽のカラス天狗が羽音を立てて近付いてきた。

 腕で咳き込んでいるカラス天狗を、彼らへ引き渡した。

「袖篠、あいつが沈むわ!」

 椎葉が岸の奥から叫んだ。

 はあ――?

 言葉の意味を考える間もなく、隼は橋へ振り向いた。

 橋脚の辺り、カラス天狗の影が滞空して教えている。

 ワイヤーの筒が、水流に力なく揺れていた。

「おいおい、嘘だろ!」

 隼に踏み台にされ、目標はバランスを崩した。そして橋脚にぶつかり、そのまま沈んでいく――そんな想像を重ねた時点で、隼は再び川へ飛び込んだ。

 筒をウキのように目印とし、泳いで近付いた。筒を掴んだ――ところまでは良かった。重みに負け、一緒に水中へ引きずり込まれてしまった。

 あれだけ川の中に入らないようにしていたのに、隼はあっけなく、濁った水の虜囚になっていた。

 視界は不良だが、隼の持つ筒からワイヤーが、薄っすらと見える細長い影へ繋がっている。

 その大きさは三メートル強――沈みながら流されていた。

 川の合流地点は流れが急だ。

 とてもじゃないが、抑えきれない。

 ワイヤーを持って、水上を目指しても、この体重差。重みに負けて、どんどんと引きずられていく。

 水を一足かくごとに、二足分沈んでいっているのだ。

 どうする――どうする――隼は考えた。

 アイディアは浮かぶが、次々に水泡のように消えていった。

 そして、アイディアが尽きる前に空気が尽きた。


 川の抵抗が肌から消えていた。

 呼吸ができる。

 背中に当たるのは、護岸のコンクリートだ。どうやら岸にたどり着いたようだ。

 目を開けると、夜空が目に映る――と思ったが、実際には覗き込む人の姿が見えた。

 人じゃない――。

 瞳のない赤い目が隼を認めた。

 少し身体を離した。

 隼は上半身を起こす。

 水辺から少しだけ身体を覗かせているのは、例の『標的』だろう。

 助けようとした相手に助けられた――というか。

「ありがとう。助かったよ」

 隼は素直に礼を言った。

 鱗の頬が緩んだようだ。

 少し困っている風にも見える。

 尖った耳と、硬質した髪が束となって数十本の棘になっている。水へ浸かっている下半身は蛇の姿だ。上半身にも鱗が見えるが、それ以外は人の肌をしているようだ。何より、胸の膨らみを覆っているのは水着のブラだ。

 妖怪体でありながら、かなり人間くさい。

 二メートルもない距離にいて、逃げもしない。

 声を掛けられるのを待っているようでもある。

 何を言おうか――迷っているうちに、遠くから隼の名を呼ぶ声がした。

 椎葉だ。

 探しに来たらしい。

 よく見ると、ここは椎葉と待機していた場所とは、反対の岸のようだ。

 半人半蛇の妖怪は、逃げるように川へと飛び込んだ。

 流れに乗って速度を増し、気配が遠ざかっていく。

 幾つかの飛行隊の影が、空を追尾して行った。

 恐らく椎葉が言っていた追跡部隊だ。

 ふう――と隼は再び倒れこんだ。

 実感はないが、九死に一生を得たのだ。

 安堵の時間に浸るくらいは、許されるであろう。

 自分を甘やかしつつも、思考は事件へ向いている。

 今のが犯人か――自問する。

 それは違う。

 初めに椎葉と確認した通りだ。

 妖怪が去った川下へ、視線だけを動かす。

 犯罪を起こすような、闇の部分が感じられなかった。

 勘に勘を重ねただけだが、隼は確信した。

「彼女は犯人じゃない――」

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