萬屋やんごとなき 請負サービス 2

 青子は長い髪を無造作にゴムで後ろに一つに束ね、最低でも六時間は寝ないと体がもたないとグチグチと文句を言いながら、出された朝食はしっかりと食べている。


 その姿は、二十代後半だというのに、貸し与えた部屋着姿そのままで、どこから見てもただのオバサンである。


 朝食を食べている場所は、ゆうに二十人は座れる、宴会の場に使われるようなだだっ広い和室の中央に置かれた、和式テーブルである。

 青子の隣には、だいぶ体力もつき体調が良くなった明里が呆れたように、眠いだの疲れたとか怠いと言いながら、口に運ぶ箸が止まらない青子の食欲の凄さに、ポカンと口を開けたまま見つめている。


(それだけ食欲があれば、絶対に大丈夫だ)と、秋葉、村瀬、そして明里の心の声がシンクロして訴える。


「昨日、言っただろう」

「昨日じゃなくて、今日よ。それもたったの一時間前ッ」

 と言って、前に座る秋葉のお皿に手つかずで残っている、美味しいだし巻き卵を箸で突き刺して奪い取ると、そのまま口に運んで頬張る。

 秋葉たち二人を睨む目は、「絶対に許さないからね!」と訴えている。


 秋葉と村瀬が疲れたようにため息を吐いて、青子の執念深さに、二人はアイコンタクトで(こいつを怒らせたら、一生、根に持たれそうだ。これからは気をつけよう)と、小さく頷き合うのだった。


 食後、四人は部屋を移動した。

 明里の体調を心配する秋葉たちは、無理せず部屋で休みなさいと声をかけたが、明里はチラリと青子に視線を送り、

「青子お姉ちゃんが秋葉さんや村瀬さんに、どんなムチャブリ発言をするか分からないから……」

 と言う。

「そんなことないわよ。寝不足は女性のお肌の天敵よッ。わたしは当然のことを言ったまでよ」と、年下の明里に言い訳をする青子に対し、思わず出た言葉が「情けない」であった。素直で真面目な明里へと男二人は視線を移動させる。

(本当に明里ちゃんは、ええ子やなぁ~)と、心の中で手を合わせ、可愛い女神さまを崇めるように、涙ながらに「有難やぁ~」と、心の中で合わせた手を擦り合わせて拝んだ。


 四人がいる部屋は、青子と濱田医師が話をした洋室である。

 今日は初夏の清々しく空は晴れ渡り、全開に開かれた窓から、気持ちの良い風が入ってくる。

 今日は気温が高いので、四人の前には冷えた麦茶が出されていた。


 まず最初に口を開いたのは村瀬であった。

 彼は常に冷静で、大切な話を進めるのには最適な人物である。

 もし、この役を秋葉にやらせたら、相手が青子だけに、下手をすればこの部屋が一瞬でプロレスのリングと化すのは必至である。


「今日の午後一に、明里ちゃんの友人であり、同じく生き霊と接触したであろう「谷山早苗」ちゃんの家へ向かいます」

 

 早苗の名前が出てきた時点で明里は縋るように村瀬を見る。

 大きく見張られた瞳から大粒の涙が溢れそうであった。口には出さなかったが、それだけ心配していたのであろう。

 その彼女に対し、村瀬と秋葉が「絶対に助けるから、大丈夫」と言うように頷いて見せる。


 しかし青子も明里も「生き霊」を飛ばしていた張本人が、既に死亡していることは伝えていない。


「それから青子さん」

「何よッ」

 改めて名前を呼ばれると、つい戦闘モードに入ってしまい、口調が強くなる青子の悪い癖だが、その態度にもまったく怯まず、落ち着いた口調で続ける村瀬を秋葉は改めて凄いと思いと感心し、心の中でエールの拍手を送っていた。


「これから我々は『萬屋やんごとなき 請負サービス』の同じチームです」

「あのさぁ~、一言いってもいい?」

「はい、何でしょう」

「そのネーミング、何とかならないの? ダサすぎて恥ずかしい」

 何をーッ! と怒って立ち上がる秋葉を手で制し、村瀬はとんでもないことを言い出した。

「まったくです。それには私も同感です」

「村瀬ッ、てめえぇッ!」

 悔しそうな秋葉を見て、青子は水を得た魚のように、不敵な笑みを浮かべる。


「しかし、その名にもちゃんとした意味があります」

「そんなの、あったのか?」と、六つのまなこが同時に村瀬に集中する。

 ここからが村瀬の本領発揮である。


「萬屋」とは、何人なんびとも手が出すことが出来ないやっかいな珍事や現象の全ての処理を我々が請け負って解決すると言う意味があります。

 と落ち着いた口調で言う。それも警察関係の全ての部署も・医学者・科学者などがお手上げになった案件。そして「日本を代表する」または「国宝級」と呼ばれる有名な神社仏閣の宮司や神主、または住職や僧侶などでも手に負えない奇怪な案件です、と。

 我々には時間があっても無いも同然です。

 緊急の依頼があれは、早朝だろうと深夜であろうと関係はありません。

 それが依頼者の命がかかっていればなおの事です。

 そして「やんごとなき」とは、言葉通り誰にも話せない事柄や現象のすべてです。

 その内容については、青子さんのご想像に任せます。

 村瀬がすました顔で言って用意された冷たい麦茶を一口飲むと同時に、青子の顔面が火を噴いたように真っ赤になり、ボンッと頭が噴火した。



「……………―—――ッ!」

 青子はテーブルに顔を押し付けたまま微動だもしない。村瀬の説明の中にかなりのダメージを受けるモノがあったようで、立ち直るのに十分以上かかった。

 突如、バネ仕掛けの人形のように顔を跳ね上げる青子。その唐突なびっくり人形の動作に驚いて、三人は笑えるほど絶妙なタイミングで、ソファーから飛び上がった。

 秋葉などは、口に含んで飲み込もうとしていた麦茶を、目の前の青子に向けて盛大に噴き出し、明里は反射的にコップを投げ落とし、パリーンと音を立てて割れてしまい床に麦茶の水たまりを作る。村瀬に至っては、初めて見る人間の奇怪な反応に恐怖すら覚えた。


 三人が無言で青子を見つめる中、秋葉がブチまけた麦茶を拭きとろうともせず、ぽたぽたと麦茶の雫が長い髪から落ちている。

 ある意味で、「生き霊」よりも恐ろしい光景であった。


 青子の恐ろしく据わった目で村瀬と秋葉を見つめ……もとい、ギロリと睨み付けて、一言こう言った。


「でっ、今回の依頼は?」

「さっ、最優先事項の依頼です」

 村瀬の答えに、青子は無言で立ち上がると「シャワー浴びて、目を覚ましてくる」と言って、静かに部屋から出て行った。





 午後の一時過ぎ、一般的には昼食が終わっている時間だ。


 村瀬は白の高級セダンを、児童公園の側の有料駐車場に停めた。


 谷山早苗の家は、駐車場から少し離れた住宅街にあった。


 外から見ても、早苗の家周辺だけが影を落としたように異様に暗い。


 ピンポーンっと村瀬が止める間もなく秋葉がインターホンを押してしまう。


 少し間があり、インターホンのマイクから、疲れたような男性の声が「誰だ」とぶっきらぼうに問う。その問いに素直に応える秋葉。

「お忙しい所、すみません」

 これは、初めて伺う家、または人物に対して言う、一番最初の「挨拶言」だと村瀬から教わったものだ。

 だが、返ってきた返事は、更に面倒くさそうにぶっきらぼうなものだった。

「押し売りは断る。他をあたってくれ」

「押し売りではない。『萬屋やんごとなき 請負サービス』だ」

「——ッ! 貴様、馬鹿にしているのかッ! なんだその変な名前はぁ!」

「あんたの所の娘を助けに来た」

 しばらく間が開いて「また、金目当てのクズ霊能者まがいの者かッ!!」と憎々し気に怒声が飛び出す。そんな家主の気持ちを更に逆なでるように秋葉はクソ真面目に応える「俺はクズ霊能者などではない。神だ」と返すと、更に激怒した主人が「貴様ッ、ふざけるのもいい加減にしろ、警察を呼ぶぞ!」と耳が痛くなるほどの大声と一緒に、たぶん傍には早苗の母親がいるのだろう。

 この漫才のようなやり取りに、噴き出して笑う声が聞こえた。

 村瀬は慌てて秋葉を後方へと移動させ、弁解する。


「申し訳ありません、我々は吉川明里ちゃんからの依頼で、谷山さん宅の早苗ちゃんを助けてくれと頼まれまして」

 明里の名を聞いた母親が「やめろ。相手にするなッ」と止める父親を押しのけて玄関ドアを開けて飛び出してきた。

「あっ、明里ちゃんの……」

「はい」

 本当の依頼主は、この超常現象を作り出した水原玲子であるが、今はその名を出さない方が良いと判断して、村瀬は嘘をついた。


「明里ちゃんは……大丈夫なの?」

「はい。一時は危ない所でしたが、今は完全に結界に守られた我らの家で、少しずつですが元気を取り戻しています」

「う……うちの、うちの娘も、娘も助けて頂けるのですか?」

「そのために来たのですから」


 母親は村瀬のスーツに縋って、号泣した。

 娘の、早苗の様子がおかしくなってから医者に診てもらったが、勧められたのは精神科の病院であった。

 大切な娘を精神科へ連れて行くのは憚られ、名のある有名な寺に相談へ行ったり、神社へも行った。とある神社の宮司は早苗を一目視ただけでさじを投げた。

「娘さんは『大神様』でもなければ救えない」と。

 早苗は自身で全身をブランケットで包み込み、誰にも気づかれぬよう隠れ、うわ言の様に「あ、あいつに見つかったら、殺される。殺される。怖い怖い怖いよう」とうわ言を繰り返しては、ガタガタと震えているだけだったのだ。

 それからは、まさに坂を下り落ちるように手当たり次第に縋りついてしまった。

 その中には、「霊能者」を名乗る者もいた。

 本当に能力ちからがある霊能者は、玄関に招き入れられた瞬間に、悲鳴を上げて逃げて行き、金だけが目当ての偽物霊能者は、適当に上手いことを言って、早苗の部屋で意味の解らない呪文のような言葉を繰り返し、「もう大丈夫です」と高額な金を請求してきた。その霊能者の後ろでは更に悲鳴を上げて暴れる娘など気にも留めずにだ。


 彼らには絶望しかなかった。

 そんな一家をあざ笑うように、この様なたぐいの者たちは、どこで早苗の情報を聞きつけたのか詐欺まがいの輩が次々とやって来ては、金を請求してくるという悪循環が後を絶たない状態だったのだ。


 もう、誰のことも信用できなかった。すべてが嘘に聞こえてしまい、疑心暗鬼に取り憑かれていた。


 だから、この珍妙な三人組など、今までで最悪に信用できない輩たちであった。

 それでも早苗の会社で仲良くなった友人である明里の名を出された瞬間、谷山家を苦しめていたすべての現況が一瞬で吹き飛んだ。


 玄関から飛び出してきた母親の顔が、最後の救いが来てくれたと、輝いていた。


 村瀬が話せばこんなに簡単に事が進むのだ。青子は憎たらしい生意気なガキんちょの秋葉に向かって、勝ち誇ったようにキヒヒッと口元を隠して意地悪そうに笑った。

 むくれた秋葉の頬が悔しそうに膨れている。


「本当に大丈夫なんだろうな。終わってみれば何も出来ず、大金だけせしめていくんじゃないだろうな」

「うちは依頼者からお気持ちだけ頂くこともありますが、基本、お金は請求しませんし、頂きません」

「たっ、ただほど怖いものはないと言うぞ」

 父親の目は、完全に疑っている。

「そうですね。だからこそ『お気持ち』だけ頂いております」

 村瀬の後ろにいる濃いグレーのパンツスーツ姿の女性と、高校生くらいの少年にもチラリと視線を向け、一瞬、心が揺らいだが、

「本当に、信じていいんだな」

「はい。娘さんを、早苗さんを救えなかった時には、警察でもどこにでも通報して下さい」


 観念したように父親は、分かったと一言いい、三人を招き入れた。


 最初に家の中に入ったのは秋葉だ。

 彼の指示で青子が家の奥まで入っていく。

 青子には視る事も感じる事も出来ないが、彼女が足を進める度に、室内に凝っていた闇が逃げるように避けていく。

 秋葉と村瀬には、はっきりとその闇の正体が見えていたし、それらが放つ音もしっかりと聞こえていた。

 一階の部屋全体には、ハエほどの大きさの墨で描いたような真っ黒な羽虫が壁や天井、食器棚やキッチン、テーブルに出されたままのカットされたリンゴなどにも、それらは隙間なく真っ黒にたかっている。

 それを平気で食べていた両親の体も気になるが、この光景が青子に視えていたなら悲鳴を上げて逃げ出していたであろう。

 羽虫たちは青子から自然に放たれる「光の能力」に触れる前にブーンブーンと重たく嫌な羽音を立てて逃げていく。その羽音は、酷く癇に障り最低な気分にさせる。


 山谷家の住人にも、この異様な光景も見えていないし、何も聞こえていないようで助かった。


 この光景を直視していた村瀬が秋葉に耳打ちをする。

「これは水原玲子の呪いの残滓、というか……」

「違うよ。玲子の呪いの影響は数パーセントはあるだろうが、これほど酷い影響はないはずだ」

 と言って、秋葉の視線が二階へ繋がる階段に向けられた。

 つられるように村瀬も二階へ視線を向ける。


 谷山夫妻が「なんか、部屋が明るくなった気がする」と言ってキッチン内を見回している。いつ頃からだろうか、昼間の明るい内から、家中の照明を全て点けていないと、家の中全体が薄暗くて、気も重くなってしまっていた。


「村瀬、お前はご両親と一緒にここにいて、あのうるさい連中から守れ」

「はい」

「アホ子。お前は俺と一緒に二階へ来い」

「何よ、偉そうーに」

 ぶつぶつ言いながらも、青子は秋葉に指示されたように一緒に二階へと上がっていく。

 その様子を見ていた谷山夫妻は、三人の上下関係に首を捻る。

 このチームを仕切っているは一番年長者である彼ではないのかと、まさか、あの高校生の小生意気なクソガキなのか? と。そしてその視線がそのまま村瀬に向けられ、無言で答えを求められる。

「信じられないでしょうが、そのぉ~、うちのボスは彼なんで」

 と、一番紳士的で頼りになるこの男性がチームのリーダーだと思い込んでいたので、夫妻の顔が突如として不安なものになる。

「あの……自分を『神』だと名乗っていた少年が?」

「あれは、笑える冗談ではないの?」

 詰め寄る夫妻を前にして、村瀬は冷や汗をかきながら、何とかこの状況を誤魔化せないかと後ろ頭に手をやり、必死に考えた末に出た言葉が「ですよねぇ~」だった。



 軽い足取りで最初に秋葉が二階に上がり、ついで青子が続いた。

 二階の階段上に到達した時、その空間全体は黒い羽虫で覆われているように、一筋の光の気配も感じ取れない暗闇であった。

「アホ子、お前が先に行け。腹に力を込めて体全体から光を放つイメージをするんだ」

「うん。でもなぜ?」

「いいから俺が言った通りにしろ。そうすればお前にも分かる」

 そうは言われてもという疑問が頭を支配して、まったくイメージが沸かない。

「なんかさー。イメージができる呪文とか魔法の言葉とかないの?」

「あるかそんなモン!。何でもいいんだよ。例えばピカピカ光れーとか、光ビームとか、光の光源とか」

 真面目に言っている秋葉の顔をガン見し、青子は何とも言えない顔で。

「あんたさぁ~、それ、自分で言っていて、恥ずかしくない?」

「バカヤローッ!! お前が分からないとか言うからだッ!!」

 本気で怒る秋葉に、笑いながらごめん、ごめんと謝る青子。

 赤面して恥ずかしがっている姿は、年相応で好印象だ。


「それなら……一丁、やってみますか」

 と青子は気合を入れ、瞼を閉じて意識を腹に集中させる。秋葉が言った言葉の中で一番気に入ったモノを思い浮かべる。すると腹を中心に豆粒大ほど小さかった光の粒が、青子の魔法の言葉「光の光源よ、最大限で発動ッ!」と叫ぶと、青子を中心にまばゆく神々しい光が放射線状に一気に広がっていく。

 その力に、さすがの秋葉も舌を巻いた。

 二階全体を覆っていた黒い羽虫たちが、最後の断末魔のようにブーンブーンと耳が痛くなるほど響き、秋葉はたまらず両耳を押さえる。次の瞬間には羽虫たちは綺麗さっぱり消滅し、二階全体が一瞬で闇から解放され、本来あるべき陽の光が戻り、嘘のように陽光で一杯になる。


 青子は思わず「すごッ」と叫んでいた。

 真っ暗闇で何も見えなかった二階の廊下には二つの部屋が並んで部屋があったのだ。

「こ、これが、わたしの能力…………?」

「そうだ。神から与えられた、お前だけの『光の能力』だ」

「マジで、す、すごッ」

 秋葉は青子の単純さに呆れながら、一番奥の部屋へと向かう。

 奥の部屋の扉を開けると、室内は照明も灯されず漆黒の闇だった。

 部屋全体の空気は重力を持っているのではと思うほど湿っていて重く、濃い瘴気で溢れていた。

 その状況は、青子にも見えている。

「もう一回、あれをやった方がいい?」

 秋葉にもう一度「光の能力」を使った方がいいかと尋ねたのだ。しかし秋葉は、

「必要ない。これはこの部屋の住人の心の闇だ」

「へっ、どういうこと?」


 秋葉はずかずかと部屋の隅にあるベッドへと進み、人の形に丸まっているブランケットを引き剝がす。

 ケットの中には、明里と同年代の女の子がいて、彼女はガリガリに痩せて、何日も食事も水分も摂っていない状態だ。

 まるであの日の明里のようで、青子の心が酷く痛んだ。


 秋葉は彼女の前に膝をついて、そっと微笑み「早苗ちゃんだね」と声をかける。

 落ち窪んだ目は、恐怖で揺らぎ、心を病んだ者特有の目をしていた。

「何をそんなに怯える。もう水原玲子はこの世にはいない」

 玲子の名を聞いたとたん、早苗は引き裂かれるような悲鳴を上げた。

「うっ、嘘だ! ほら、そこにいて、あたしを睨んでいる。怖いよう、怖いよう」と何度も叫ぶ。

「怖くない。君が見ているモノは全て君が作り出した幻覚だ」

 嘘だ。嘘だと何度も繰り返し、体をさらに小さくして、丸める。

「この部屋は真っ暗か?」

「真っ暗だよ。あいつがあたしを闇に連れて行こうとしているだ」

 今だって、あいつはそこであたしを見てる。と叫んでは悲鳴のように声を上げて泣いている。この娘も明里と同様に恐怖のあまり、心身共に弱り切り壊れる寸前だ。

 そんな彼女の髪を撫でて、顔の前にざんばらに乱れ落ちていた髪をかき上げてやる。彼女は無言で「助けて」と繰り返し秋葉に縋り、助けを求めている。

「大丈夫だ。ここなら怖くないだろう」

 秋葉が優しく彼女の涙でガサガサに痛んだ頬にそっと触れる。

 すると信じられない現象が視界全体に広がっていた。真っ暗闇だった部屋全体が、キラキラと輝く世界へと変貌していた。

 それを目にした青子も驚愕する。

 自分は、幻を視ているのか、それともこの世界は秋葉が創り出した幻覚なのか?

 

 真っ暗闇の部屋全体が、別次元と入れ替わったように、全てが目もくらむほどまぶしく、見たことのない輝く美しい童話の世界のような風景が永遠と、どこまでも広がっている。


「ねぇ、秋葉……、ここは、どこなの……」

 青子が、目の前に広がる別世界の現状を理解できず、震えながら訊ねた。


 上空に広がる澄み渡った空も、世界全体に存在する空気もすべてが信じられないほど清々しく、一点の穢れもない。周囲に咲き誇る花々も、立派にそびえ立つ輝く木々も見たことのないモノばかりで、美しい花々の上を戯れるように飛んでいる不思議な色合いの蝶々や、可愛くさえずる小鳥たちやその他の動物たちも見たことのない姿をしていて、見慣れたものとは違っていていた。

 その全ての色彩は黄金色が基準で、その濃淡によって様々な彩色いろとなっている。


 まさに夢のよな世界で、例えて言うなら「天国」? であった。


「ここは、神々がおわす、高天原たかまがはらだ」

「そ、それって……天国ってこと……?」

 震えの止まらない声で、青子が問う。

「まあ、そうだな。今のこの此岸しがんでは生きられない。もう少し心身がしっかりと魂に定着しないとね、すべてのバランスが壊れて存在自体が消えてしまう」


 早苗が幼子のようにキョロキョロと興味深く周囲を見渡し、手を叩いて喜んでいる。

「ここなら怖くないだろう」

「うん」

「いい子だ」

 秋葉に向ける笑顔は、恐怖も不安もない、純粋無垢な笑顔だった。


 部屋の前で固まっている両親に、村瀬が分かりやすいように説明をした。


 この部屋だけ現世とは切り離された空間で、早苗ちゃんが現世に生活に耐えられるようになったら、いつでも帰ってこれると。


 すると幼子のようにはしゃぐ早苗の前に美しい女神が出現した。

「女神様、お手数をおかけする」

「よいよい。そなたの生みの親である高於ノ御神には、色々と世話になっておるからな。秋葉よ、そなたも息災でおるか?」

「はい」

 女神は愛おしそうに秋葉に触れ、何か言いたそうであったが、早苗の生みの親たちがいるので、その先の言葉は飲み込んだ。




 早苗が此岸、つまり人間界でも心身共に元気に生きていけるようになったら、直ぐに知らせると女神は秋葉に伝えたその一瞬後に、部屋全体に広がっていた黄金色に輝く不思議な世界は完全に消え失せ、秋葉と青子と村瀬、そして早苗の両親だけを残して、すべては元の世界に戻っていた。


 その時、糸が切れた人形がくずおれる軽い音がした。

 青子の足元には、目を開いたままの秋葉が力なく、壊れた人形のように転がっていた。









 





 

 


 

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