第8話 因果の家に、新風来る 3

 老医師、濱田の長男であり現在濱田クリニックの医院長を務める雄介医師が、秋葉と村瀬を案内した病室には「面会謝絶」というプレートが下がっている部屋であった。


 病室の扉を開ける前から、異様に重たい冷気が漂い出ている。

 さすがの村瀬の表情にも緊張で引き攣っていた。


 ドアを開けると、更に妖気と言うべきか、瘴気と言うべきか、病院という特殊な場所には絶対にあってはならないものが噴き出す。

 重い病などで身体が弱っている患者とっては、この病室の前を通るだけで、思わぬ霊障や障りを受け、突然病状が悪化し、死の危機に陥ってしまう場合もある。

 そのためこの通路は、患者は勿論、一般の見舞い客たちも通行止めとされている。


「秋ちゃんの指示で、例の患者を探し出してはみたが、うちの一族も少なからず能力があるので、この部屋には近寄れないで困っているんだ」

 患者の処置も終わっていないと雄介が気まずそうに頭を掻く。

「ですよねぇ~」

 秋葉はバツが悪そうに、何とも言えない苦笑を浮かべる。

 その原因を作ったのは、もちろん秋葉である。

 そこで仕方ないと言うように溜息を一つ吐き。


「一応、この瘴気が外に漏れないように、結界張っとくか」


 秋葉は言うと、個室全体を結界で覆うイメージを脳内で強く念じる。

 病室の四隅に大人の拳ほどの、不純物が一切含まれていない、純度百パーセントの水晶クリスタルを模した原石を置くイメージをし、人差し指と中指を重ね、刀剣の形を作り、その指先に強く念を込め、刀剣を気合を込め一気に振り上げ「バリヤー発動!」と叫ぶ。

 すると四隅に置かれた水晶が強い光りを発すると同時に、光は一本の線となり一直線に上昇する。まさに光の速さで疾走し天井に到達すると、そのまま天井の角に沿って四本の光が時計回りに走り、四つの光が重なった時点で、部屋全体が見えない壁で覆われる。

 

 その瞬間、キンっ! と空気全体が震え、一瞬でその場が神域のごとく清められる。

 病室内は勿論、外にだだ漏れだった瘴気が一瞬で浄化され、重たく淀んだいた空気は勿論、その場の全てが一片の穢れもない清浄なものにへと変化する。


 それに要した時間は、わずか一分足らずである。


 人間技とは思えない、迅速さと完璧さに雄介医院長が拍手を送る。


「さすが秋ちゃん、いつもながら完璧だねぇ~」

 満足そうに満面の笑みで言うと、病院内で使用可能な携帯を手に取り、看護師長に支持を出す。

「もう大丈夫だから、例の『面会謝絶』の病室へ来て。患者の処置を始めるよぉ~」

 と、まったく緊張感のない声と言葉で連絡を入れる。


 これが厳格で威厳に満ちた怖いじいちゃん先生の息子で、このクリニックの医院長かと疑いの目で見つめてしまうほど軽い性格だ。


 濱田のじいちゃんは秋葉の事を昔から「若様」と呼ぶが、雄介は秋葉が赤ん坊の時からずっと「秋ちゃん」と呼ぶ。


 そしてスキンシップがめちゃくちゃ半端ない。


 院長の指示で、恐々と機材を持って集まってきた看護師長と四人の看護師たちは、例の超マックスで怖い病室の前に来ると、薄暗くて重かった不気味な廊下が、同じ場所かと目を見張るほど明るく、キラキラしていて空気も澄み切っている。

 病院という場所は、常に生と死の狭間にある特殊な場所くうかんである。それが今は場違いなほど、ここはどこぞの「パワースポット」ですか? と問いたくなるほど超最適で気分がいい。

 看護師たちは思わず「信じられない」と口々に言い、興奮している。




 緊急搬送された患者の処置をしている間、外で待たされたていた秋葉と村瀬は、雄介から渡された患者を発見時の調査報告書ならび、その時の状況などを事細かく書かれた書類の束を渡され、二人は頭を寄せ合って読み込んだ。



 石動の家には、はるか昔から裏で動く警察関係者や、ヤバい事にも命がけで首を突っ込んで調査する調査員や裏の裏まで嗅ぎまわる探偵なども多く抱えていた。

 この者たちは当然石動の一族の人間、または石動の息のかかった者たちである。


 それらの協力を仰ぐべく秋葉から指示が出された場合、表立って顔が外に出ない裏の警察や捜査員が迅速に動く時、石動本家にまつわる老人たちは、決して口を挟まない。と言うより挟むことが出来なかった。が、その情報は即座に全ての石動家に届き、その情報は全ての当主、つまり老人たちの耳にも届く。


 老人たちは苦虫を百匹以上口に含み、ギリギリと歯ですり潰し、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを抱えながら、必ずこの言葉を口にする。

「たかが妾のガキが……」と。


 現在石動一族の中で最強クラスの能力者は秋葉ただ一人である。

 老人たちは自分の家で抱えている、一応最強能力者を送り込み、秋葉と村瀬を亡き者にしようとしたが、秋葉はその刺客たちを余裕の体で、軽く人差し指でピンッと弾いただけで終わりであった。

 一応最強能力者と名乗っている者たちの命までは取られないが、その能力者たちが皆口を揃えてこう言い……もとい、喚いてうのていで逃げ出す始末でだった。彼らは、もう二度と秋葉と村瀬に歯向かう勇気も自身も何もかも喪失し、

「あいつらは化け物だ! 人間じゃねぇ!!」

 と捨て台詞を残して逃げ出し、石動の元へは帰ってこなかったのだ。


 そして今現在も石動の家には強い能力を持ち、表立って何代目最強能力者と呼べる者は一人として生まれない。

 生まれたとしても一般の人よりは勘が鋭く霊能者の真似事ができる程度の力しか持たぬ者しか存在しないのだ。


石動本家には、一応直系として二人の息子がいるが、能力者としては情けないほど凡人に毛が生えた程の力しかない。

 本来なら当主である父親の憲竜が他界した時点で、石動の当主となるべくは実の息子である「竜也りゅうや」か「竜樹りゅうき」のどちらかが後継者として、石動の当主を継承するのが掟であるが、彼らには日本全国に存在する石動の頂点に立ち一族を束ねるという強固な意志も気概もなければ、その責任に耐えられる精神力もない。

 軽薄で出来そこないの洟垂はなたれ小僧に、石動家の家紋は任せられない。そのため今現在本家の当主として一族を束ねているのは、祖父の竜厳りゅうげんであった。


 つまり、秋葉は妾腹しょうふくの子供であるがゆえに、本家で村瀬と共に秋葉を受け入れることは、旧家としての石動のプライドが許さず、だからといって追い出すことも出来ず、新たに本宅と違わぬほどの立派な離れを建て、二人にその離れで暮らすよう命じたのだった。


 何の因果か、妾の子供が遠い過去に最強能力者と呼ばれ名をはせた開祖の血を強く受け継ぎ、人知を超えた能力が備わっていた。

 それは石動の一族が何よりも一番欲していたモノだ。

 竜厳は一族の存亡を守るため、秋葉の能力を簡単に手放すことはできなかった。

 竜厳の姑息で腹黒い心が囁く。


――秋葉がいる限り、石動の家は安泰だ、と――


 だが逆に、天才的な頭脳のを持っている村瀬と、日本全土を簡単に壊滅させられる能力者の秋葉に逆らうことは絶対にしてはならないと石動の老人たちを含め、全ての者たちは、二人が好き勝手に動くことに対し、完全に見て見ぬふりをし、暗黙の了解としたのだった。




 話は戻るが――。


 調査報告書を読み終え、この病室に入院している人物は、明里の部屋に現れた「化け物」そのものだったと知り、村瀬の顔が蒼白になる。


 村瀬の脳内では、ぐるぐると色々な情報や思考が空回りして、今にも爆発しそうであった。


――明里ちゃんの部屋にいたのは本物の化け物で、生きた人間ではなかったはずだ。

 いや、人間と呼べるモノでは、絶対になかった。

 なのに今、人様がお世話になる病院に入院? って、どういう事ぉぉぉっ!?―――――


 頭を抱えて唸っている村瀬に秋葉が、

「何をさっきから唸っている。トイレなら向こうだぞ」

「そんな訳ないでしょう! あの恐ろしい化け物がの正体は人間なんですか!? でもあれは絶対に生きた人間ではない恐ろしい化け物そのものだった」

 パニクッて、騒ぎ立てる村瀬。

 普段は常に冷静沈着で憎たらしいほどポーカーフェイスのイケメンが、どんなに恐ろしくて厄介な依頼をされても何食わぬ顔で、秋葉と共に全てをこなしてきた彼である。

 例の化け物が実際に生きた人間として存在していたという事実に対し、場数を踏んできた村瀬でも、受け入れる事が出来ないでいるようである。


「ああ、あれか。あれは心身ともにイカレてしまった人間が飛ばした『生き霊』だ」

「いっ、『生き霊』って、あんな婆さんが? あんな今にも死にそうな婆さんが『生き霊』なんて飛ばせるわけないでしょう!?」

 村瀬の言いたいことは分かる。常識的に考えて有り得ないのは十分に理解わかるが…………。それをどう説明すれば良いか考えたあげく、出した答えがこうであった。


「個室で寝ている瀕死の婆さんは、信じられないだろうが、三十代前半のまだ若い女の人だ」

「はあぁぁぁぁぁっ!?」


「病院では静かにしてください」

 看護師長に注意されて、慌てて口を手の平で隠す村瀬に、最初に病室を出てきた医院長の雄介が、村瀬に同情して微苦笑する。

「このリアクションが、普通だでまともだよ。秋葉ぁ~」と、心の中で疲れたようにぼそりと呟く。

 雄介自身も、秋葉に言われるまで、あの姿を見た第一印象は「九十歳以上の、瀕死で、今にも死にそうな婆さん以外にしか、マジで見えなかった…………」である。

 

 雄介医院長は、村瀬を慰める様に、彼の肩をポンポンと叩いた。

「もう病室に入ってもいいが、短い時間で済ませてくれよ」

「了解。いつも厄介事を頼んで済まない」

「いいや。こっちも色々と助けてもらっているからな」

 と笑って答える医院長と看護師たちが病室から離れていくのと入れ替わり、秋葉と村瀬が入室する。


 初めて人として対面した彼女は、酸素マスクをしていて、色々な点滴の管と計器の配線に繋がれている。彼女の心臓の動きを表す機械から、ピッ、ピッ、ピッという音が、一応規則正しく聞こえるが、それは酷く弱々しく、いつ心臓が止まってもおかしくない状態だった。


 ベットで眠っている彼女は、明里の部屋で見た恐ろしく醜い「生き霊」ほどは不気味ではなかったが、姿はほぼ一緒であった。

 長い髪はぼさぼさの蓬髪ほうはつで、顔色は死人のように土気色をしていて、肌に至っては、水から打ち上げられ、カラカラに干からびた魚のようにボロボロで、所々皮膚が剥がれて、干からびた魚の鱗のように見える。唇もガサガサに乾ききりあちこちが裂けて血が滲んでいた。

 例えるなら、ガリガリに痩せこけた「生きているミイラ」だった。

 この姿の彼女を、三十代初めの若い女性だと言っても、信じる者はいないだろう。

 

 まだ人としての人生経験が浅い秋葉には、ここまで自分を痛めつけ、心も身体も傷つき見えない血の涙を流し続け、最後には己の恨み辛みや憎しみに捕らわれ自分自身が「呪い」と化してしまった女性の心は理解できなかった。それでも生き霊を飛ばし続けてしまうほど、彼女の心は常に誰かを憎んでいないと生きていられないほど苦しかったのだろうか…………。


 秋葉の心が、切なく痛んだ。


 報告書には、彼女の名前は「水原玲子」とあった。

 大学卒業後、現在のプログラミングの会社に入社したのが十年ほど前だと、書類には記載されていた。


 新入社員として会社に就職した水原玲子は、とても美しい娘であった。

 職場の朝礼で紹介された時、会社の男性社員たちは「今年の新人は、大当たりだ」などと言って、浮足立っていた。

 男性たちは、二人入社してきた新人のうち、玲子だけを特別扱いした。

 このような、一日中パソコンのモニターとキーボードを高速で叩き続けるプログラミング関係の会社で働く男性は、全てではないだろうが、人とのコミュニケーションが上手く取れず、内気で根暗な性格の人間が多いという。だが仕事に関しては無言で黙々とこなし、会社にとっては文句も言わず使いやすい人材だというが、その他の事にはうだつの上がらない、オタク体質の者が多いという。


 されど彼らも男である。新卒で、十九歳という若さと美貌を持つ彼女は、あっと言う間に男たちの憧れの的てき存在となり、ゲーム内で二次元世界の可愛い女の子としか疑似恋愛をしたことがない男たちは、若くて生きているの女の子に夢中になは、そんなに時間はかからなかった。我先にと彼女を食事に誘ったり、誕生日でもないのに高価なプレゼントを手渡してきたり、中には旅行に誘う者もいた。


 水原玲子は、男たちに囲まれた、光り輝くお姫様であった。


 彼女もそこそこ素敵な男性や、三十~四十過ぎのおじ様たちにちやほやされるのは気分が良い。その中で滝沢というイケメンの二十歳後半の男性には、本気で憧れを抱いていた。少し不満だったのは、滝沢という紳士的でイケメンの男性は、少しも玲子にはなびかなかったのだ。好きな相手でもいるのかと、情報収集をしてみたが、そういう特別な女性はいないという事だったが。


 その二年後、もう一人の同期入社のが突然会社を辞めてしまった。

 玲子だけが蝶よ花よと男性陣に可愛がられ、同期入社の彼女に対しての扱いは、対照的に素っ気ないものだった。

 それが面白くなかったのか、もしかしたらある男性社員が言っていたが、彼女が告白した男性に思い切り振られたのが原因なのかもしれないというものではあったが。

 辞めるという彼女を引き留める者は、特に男性陣の中には、一人もいなかった。


 玲子はかなり、有頂天になり過ぎていたのかも知れない。


 翌年の春に、同じく大卒の新しい新人の女の子が入社してきた。

 その娘は、玲子ほど美人でもないし、どちらかと言えば凡人より少しは綺麗な娘にしか見えなかった。

 つまり、美人でもなければブスでもない「普通」程度のレベルだった。


 だが、玲子にすり寄り群がってきていた男どもは、目新しい若い女子に興味を持ち、彼女を取り囲んで「大学はどこを出たの?」とか、「どこに住んでいるの?」とか、「良かったら一緒にランちしない?」と、男たちはその新人に群がり少しでも彼女の気持ちを自分に向けさせようと躍起になる始末だった。


 玲子のことは、遠い過去の存在と忘れてしまい、その態度は素っ気ない。

 男という生き物は常に目新しい|女の子にしか興味がないようだ。

 それが例えブスであっても、どこにでもいるただの凡人でもだ…………。


 だが、その女子は玲子と違って「男の扱い」というものを良く熟知しているようで、言葉巧みに彼らをその気にさせるのが、とても上手かった。

 言い方を変えれば彼女は男を手玉に取るのが非常に上手く、ある意味でとても「場数を踏んでいる」高級キャバレーで働くキャバ嬢で例えるなら、常に№1の地位を維持している「男殺し」のプロフェショナルのようであった。


 その時玲子は初めて、一人辞めていった、今では名前も顔さえ思い出せない同期の女子の事を思う。


 男たちは新人の田村朱美あけみの言いなりで、そのうち玲子の事など見向きもしなくなっていた。


 一人辞めていった彼女も、こんなに惨めで悔しくて憎くて悲しい思いで去っていったのだろうか。


 玲子が愕然とし、こんなにも怒りを覚えたのは、田村朱美のあの一言だった。


「あの……、ここが分からないのですが?」

 と問うと、男たちは玲子に「君も会社に入社して三年だろう。自分で調べて覚えろよ」と言われた。

 それを聞いていた朱美が厭らしい笑顔を浮かべ「ボケるには早いよ、オ・バ・さん」という、故意に悪意を込めた心無い言葉。

 その言い方に男たちは、まるで玲子をバカにするように声を上げて笑い、「そんなことを言ったら可哀そうだよ」と言いながら、男たも朱美と同じ顔をしていた。




 この時、生まれて初めて「憎悪」という強い感情が生まれた。

 その憎悪が呪いに変化するのに、時間はかからなかった。



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