第7話 因果の家に、新風来る 2

猪突猛進ちょとつもうしん」とは、よく言ったものだ。

 芹澤青子は、自分では行動力があり、ただ流されるだけの人間ではない。と自負していたが、石動いするぎ秋葉や村瀬に言わせると、ただの考えなしの無鉄砲で、まさに一度走り――もとい、暴走又は突進しだしたら「猪」のごとく止まらない――止まれないのだ。

 青子が張り切れば張り切るほど巨大な岩石にでも激突しなければ止まることを知らない、何とも厄介な性格だ。


 だからこそ吉川明里は濱田医師の提案、というより命令に対し、酷く心配していた。

 濱田医師は、孫同然の秋葉にこう宣言をする。

 光の能力者である青子を、秋葉の「護符」として傍に置けと。


「大丈夫だから」と、言い訳にしか聞こえない言葉を青子が何度も繰り返し口にすればするほど、その度に明里から「青子お姉ちゃんの『大丈夫』は、いつも口ばっかしで、絶対に信用できない!」

 と的確に的を得た正論を、その度に何度も繰り返しぶちまける。

 どちらが年上で、人生の先輩なのか分からなくなる。


 二人が真面目に言い合えば合うほど、はた目には漫才バトルにしか見えない。


「ち、違いない。だからアホ子は、アホ子なんだ」

 と青子を指さし、ゲラゲラと腹を抱えて大爆笑する秋葉の横で、今度は村瀬が、

「し、しっ……失礼ですよ、あっ……秋葉……」

 村瀬は秋葉を窘めるように真っ当な事を口にしようとするが、笑いのツボに入ってしまったようで、村瀬はヒクヒクと全身を細かく震わせ、表情が崩れる直前にバッと両手で顔を隠す。根本的に根が正直な村瀬は耐えきれずに思い切り噴き出す直前、くるりと青子に背を向け、大爆笑した。


 この二人は青子の破天荒で大の負けず嫌いの性格をよく知っている。そのため妥協という言葉を知らないのかと呆れるほどだ。

 そのため、オカルト関係の会社の面接を片っ端から受けまくり、その全てが徒労に終わるという辛酸を舐めまくってきたというのに、彼女の辞書には「諦める」という言葉はないようだ。


 そして二人は笑いすぎで腹筋が千切れるように痛み、転げまわる。

 その姿を濱田のじいちゃん先生が、ものすごーく残念なモノをでも見るように、ブリザードよりも冷たい目で白々と見つめ、

「済まないねぇ。この二人は時々、どーしようもなく馬鹿になるので」

「い、いえ…………」


 冷静を装う青子の返事は、爆発寸前の怒りで震えている。彼女も自分の感情には素直な性格なので、眉と口の端をヒクヒクさせていた。


 優しく人の好い濱田医師が傍にいなければ、本来の青子は感情に任せ、笑い転げる秋葉の胸ぐらを掴んで拡声器も真っつ青に、大音量の声で「てっめぇーらっ! いい加減にしろっ!!」と怒鳴りつけていた。

 そして二人に手加減なしの平手打ちの往復ビンタを頬が真っ赤く腫れ上がるまで食らわせ、鳩尾にめり込むほど強力な膝蹴りをお見舞いし、最後にひっくり返って悶絶している二人の背中にこれでもかと足蹴りを何度も叩き込み、踏みつける。

 二人がどんなに許してと、泣こうが喚こうが、容赦なく気が済むまで叩き込むであろうと、妄想に耽っている時、襖ごしに控えめな「よろしいでしょうか?」と問う女性の声が聞こえ、応じたのは、濱田医師だった。


「どうしたね?」


 静かに開かれた襖から、白い割ぽう着姿のおばさんが両手をついてお辞儀をする。

「ただ今、濱田クリニックの院長先生よりお電話があり、若様に『見つかった』とだけ言えば、その意味は伝わるからと……」

 暗号めいた言葉の意味をはかりかね困惑する彼女に、素早く反応したのは秋葉と村瀬だった。

「じぃちゃん。ちょっと濱田クリニックに行ってくる」

「ああ、行ってこい。お前たちはいない方が、静かでよい」

「へいへい」

「すみません…………」

 秋葉の傍若無人ぼうじゃくぶじんな態度に対し、恐縮して何度も頭を下げる村瀬。

 さっさと行けと、犬でも追い払うようにシッシッと手で払う仕種をするが、二人はまったく気にする様子もなく、どたどたと客間を出て行った。


「まったく今の若者は、落ち着きが無くて困るのうぉ~」

 その言葉に青子は噴き出してしまったが、あんなに明るく笑う秋葉を初めて見たことに、改めて驚いていた。


 まだ完全に体力が戻っていない明里は、気づいた時にはよく眠っていた。

 はだけてしまった布団をそっと肩まで掛け直したのは、優しいお手伝いのおばさんだ。

「彼女を起こさぬように、部屋を移動するかの」

 濱田医師の言葉に、心配そうに視線を一瞬だけ明里に向けた青子に「大丈夫ですよ。青子様がお戻りになるまで、わたくしがお傍におりますから」と、優しい笑顔を見せるお手伝いさんに「お願いします」と丁寧にお辞儀をして、濱田医師と一緒に客間を後にした。




 濱田医師と向かった部屋は、陽当たりのよい洋風の造りの居間だった。

 この屋敷は、訪れた人々を心から歓迎する、優しい心遣いで満たされている。

 実に心地よいと、青子は日々感じている。


 濱田医師は一人掛けのソファーに腰を下ろし、青子には正面の大きな四人掛けのソファーを勧めた。時間をおかず、直ぐに若いお手伝いさんが、上品な和菓子を数種類を載せた漆塗りの上品な盆は、見る者の目を楽しませてくれる。

 飲み物は言うまでもなく、緑茶だった。


「若い人には、お茶よりもコーヒーとか紅茶が良かったかな?」

「いえ、大丈夫です」と言ってから、青子はクスクスと思い出し笑いをする。

 濱田医師は、手作りの水羊羹ようかんを載せた皿を一つ取り、何が可笑しいのかと、少し不思議そうに前に座る青子を見やった。


「前にですね、秋葉がイチゴの高そうなケーキをバクバクと飢えた子供のように、むさぼり食べていた時があって、村瀬さんに注意されていたことを思い出して。石動の家では洋菓子は禁止だからと言って、村瀬さんの分も食べていたのを思い出して……つい」

「そうだねぇ。ここのご当主は意味のない事にこだわっていて、秋葉も勿論だが、本宅に住む片親だけ血の繋がりがある兄たちにも菓子や食生活も生活習慣や、服装やファッションに至っても、現代風のお洒落で派手なものは、厳しくに禁止している」

 まったくもって、時代錯誤さくごもいい所だ。馬鹿げた年寄りが己の威厳を頑なに誇示しているようにしか、わたしには思えん。と濱田医師は溜め息交じりに言った。


 多彩な情報が溢れているこの時代に、年寄りの古い習慣が若い者たちには全く理解できないだろうし、受け入れるのは、更に辛い思いを強いられることだろう、と。


 青子はその言葉に対し、何も応えられなかった。


 そこで濱田医師は場の空気を換えるように、こう青子に問う。


「さて、何から話を聞きたいかね?」

 全てを……と言うのなら、一日では終わらんぞ。と悪戯っぽく笑ってもせる。


 青子は口元に人差し指を持っていて、真剣に考える。

 彼らとは、そんなに頻繁に会っているわけではないが、秋葉という人間は、十八歳とは思えぬほど大人びていて、マジで可愛くない。


 さらに精緻せいちに作られた完璧な能面のごとく美しい白いおもてには、喜怒哀楽と言う感情が存在しないかのようだった。

 これはあくまでも青子個人の主観であるが、秋葉の場合は故意に自分から「無表情」「無感情」というものを作っているのではないように思えてならなかった。

 どんなに演技が上手い役者でも、あそこまで完璧な演技ができるものなのだろうかと、訝しむほどだ。


 あれでは、完全・完璧に作られた、人形ドールだ。


 先ほどの、村瀬と一緒に笑い転げる姿こそ、十八歳という年相応の心の動きであり、反応だと思う。

 何が秋葉にそうさせるのか好奇心にあがなえず、青子は一番最初は、秋葉の生い立ちについて聞いてみたかった。


「秋葉の事を知りたいです。先ほどあいつが言っていた『俺は死体で生まれた、ゾンビだ』って言葉も気になるし……」

「君は、本当に優しい女性ひとだね」

「そんなことないです」

 青子は真っ赤になって、「違う」と顔の前で手の平を大きく振った。


「違わないよ。あの子が、秋葉が心から信頼し頼りにしているのは、たった一人の家族である、村瀬だけなんだよ」

 と、少しうつむき加減で言った。

「普段のあの子は、本当に可愛くないだろう?」と、少し困ったように言う。

 

「えっ、ええ……」青子も困り顔で答える。


 濱田医師は、可愛い孫を心配するように、優しいおじいちゃんの顔で言う。

「その秋葉が、村瀬以外の人間の前で、あんなに楽しそうに声を上げて笑う姿など見たことがないんだよ。それだけ君には心を許していると、いうことだ」

「あいつは年下のくせに、態度はでかいし、憎まれ口は容赦なく、年上相手でもかまわずブチかますしで……」

 と言いながら、これまで秋葉と繰り返しブチかましてきた壮絶な舌戦を思い出し、年甲斐もなく振り上げた握りこぶしを、怒りでフルフルと震わせる。


 そういう飾り気のない、正直で真正面から向かってくる君は、穢れた汚泥のような世界で生きてきた彼らには、君は信用できると確信を持てたのだろう。家の恥をさらすようだが、あの子の周りには、常に警戒しなければならない人間たちが大勢いる。

 石動家は、はるか昔から多くの能力者を輩出してきた一族だ。

 だが、時代とともに能力者の血は薄れ、良くないモノも混ざり合い、純粋に人々の幸せのため、国家や正義のために、それらを脅かす脅威に、己の命をかけて能力ちからを使う者も

は激減し、いつしか石動の者たちは、能力に値する、山のように積まれた巨額の金のためにしか、動かなくなった。


 石動の能力者が世に出た時代には、大自然をも操るほど強力な力を持つ者もいた。

 だが、心が汚れれば、能力も落ちていく。その意味が分かるかね? と問われ、青子は正直に分からないと答えた。


 己たちが得た能力を「損得」だけで行使すれば、やがて終わりが来る。

「世のために、人のために」と心血を注いで戦う者は、子孫を残す前に死んでいく。

 そのため、生き残るのは、狡猾で欲にまみれ己のことしか考えぬ、穢れた者たちだけだ。

「現在、生き残っている石動の能力者はのほとんどは、少しばかり感が鋭い程度で、ただの凡人と変わらん。そのため石動の親族たちは、こぞって秋葉を手中に取り囲もうと躍起になっているんだ」


 それほど秋葉の力は、異質で強大だ。


 青子の心が、ズキリと痛みを覚える。

 そうやって意地を張っていないと、頑張れないから…………。

 

 一瞬、俯きそうになる顔を上げ、迷いのない表情と強い意志のこもった視線を老医師に向け、逸らすことなく彼を見つめて「続きをどうぞ」と言うように、本題を促す。


 老医師は、そっと微笑み、人選は間違っていなかったと確信を得て、青子の望むように本題に入った。


「秋葉が先ほど言っていた事は真実だ」

 と言いながら、もし聞くに堪えなかったらいつでも言ってくれと前置きをし、秋葉が「じいちゃん」と親し気に呼ぶ老医師は、青子の目を真っすぐに見て語り出した。




 あれは十八年前の秋深まる深夜のことだった。

 深夜と言っても、時計の針は十二時を過ぎ、もうすぐ二時になろうとしていた。


 秋葉の母親はもともと体が弱く、出産に耐えられるのかと酷く心配だった。

 出頭医は濱田医師とその長男で、その頃の長男はまだ若い内科の医師であったが、オールマイティーに医療をこなす父親と一緒に、出産に立ち会っていた。それを見守る看護師も濱田の一族で固め、二十四時間体制で見守っていた。

 それというのも、妊娠八ヶ月に入ったばかりの早産であったからである。

 

 出産はかなりの難産で、途中から腹の中の子の心音はまったく拾えなくなっていた。母親の体の負担も厳しく、途中から自然分娩ではなく、帝王切開に切り替えた。


 それだけ母子ぼしともに、危険な状態だったのだ。


 秋葉が母親の体内から取り出された時には、心臓は完全に停止していて、どんなに蘇生を試みても、赤子が息を吹き返す見込みはゼロの状態であった。

 つまり、死産だったのだ。


 その小さな赤子は、元気な産声を上げることも呼吸をすることもなく、身体は残酷にも死後硬直が始まっていて、小さな体は青紫に変色していた。


 母親は狂ったように死んだ我が子を抱きしめて泣き叫び、石動の長男でり最強能力者であった父親・憲竜けんりゅうも大きな絶望感と悲しみに、妻と子を守るように強く抱きしめ、男泣きに号泣した。

 分娩室の片隅で蒼白になって固まっていた村瀬こと、当時十七歳の隆弘たかひろは、目の前で血は繋がっていなくても自分の大切で愛おしい弟の死を目の当たりにし、絶望と悲しみでその場にしゃがみ込んで、人目もはばからず、子供のように声を上げて、大泣きをした。


 当時は、今のような大きな総合病院ではなく、診療所と呼んでいた小さな分娩室の中に、突如、落雷のごとく轟音がとどろき、それとともに目もくらむ眩い閃光が、分娩室全体を包み込んだ。

 医師や看護師たちの悲鳴が上がり、ほとんどの者がその場で尻餅をついた。


 濱田医師は光り輝く空間の中で、仁王立ちの巨漢の男の姿を見た。

 その姿は、勇ましい戦士のごとく立派な体格をしていて、全身を煌びやかな黄金の鎧に身を包み、顔の造作は勇敢な武神のごとく凛々しく、見事な口髭くちひげ顎髭あごひげを蓄えている。

 眺めの髪は、燃え上がる炎のように、それ自体が生き物のように揺らいでいた。


 濱田は一瞬、これは幻覚かと我が目を疑ったが、光に包まれた戦士は、悲痛な声を上げて泣き叫ぶ夫婦に向かい、こう言った。


<泣くな、巫女よ>

「――ッ!! おっ、御神おんかみ様――――!!」

<久しいのぉ、巫女よ。その夫である憲竜も>


 御神と呼ばれる男の声は、音として聞こえているのではなく、脳裏に直接響いてくるものだった。


 巫女は、子の母親は、既に亡骸となっている我が子を抱きしめ、ベッドから降りようとするのを、手の平を前に突き出し、そのままでよいと制止する。


「わたくしは『高於ノ御神たかおのおんかみ』様に生涯お仕えする巫女なのに……。この子の死は、神罰であらせられますか?」

 それならば、わたくしと夫、憲竜の命を差し出しますので、どうかこの子をお救い下さいと、懇願する。

 その二人の間に変声期でかすれ気味の声を上げて、共にと隆弘も懇願する。

 俺の命もあげるからと。


 御神は、まだ幼さの残る隆弘を一瞥すると、口角をクイっと上げ、

<大きくなったな、隆弘。身長も伸びたか?>


 少年の隆弘は、この神を知っている。


<この頑是無がんぜない赤子は、お前たちに愛されておるのだな>

 と言い、巫女の腕の中の、徐々に体温が失われていく赤子を覗き込んだ。

 この子供の死は、決して神罰などではないと告げる。

 この子供の定められた天命ぞ。と。


 我も鬼ではない。巫女が我に尽くしてくれた日々、感謝に値する。

 と言うと、神が広げた手の平に、原寸大の小さな愛らしい乳飲み子の日本人形が、手品のように出現する。


<親より先に逝くは、重罪ぞ>と、脳裏に響く男神おがみの声は、何とも心地の良い低音で、赤子の祖父のように言葉を発した瞬間、人形とむくろと化した赤子の全身が強い光に包まれ、一つに重なる。


 ただの人形だったものが、最初はギギギと音が聞こえそうなほどぎこちなく手足を動かしていたが、やがてパクパクと口から呼吸を繰り返し、やがて元気に大きな産声を上げた。

<そなたには、我の命を分けてやろう>

 神の命を分け与えてもらったということは、必然的に神の力も受け継ぐことになるのだった。


 これが秋葉の、隠された誕生秘話であった。




 その頃、濱田クリニックに到着した秋葉と村瀬を待っていたのは、白衣姿の濱田雄介医院長だ。彼は二人の姿を見るな否や、この世でもっとも愛しい者を見る目で見つめ、優しく微笑む――――と、秋葉の頭や顔を撫でまわし、くしゃくしゃにした後、思い切りギュッと力を込めて抱きしめる。

「やっ、やめろ!」

「放しませんよ。わたしや父に心配と淋しい思いをさせた罰です」

 メロメロになって、仔犬でも撫でまわすように、口調もいつの間にか「よぉーしよし。いい子だね秋ちゃん」である。

 これでもクリニックの医院長であり、息子と娘の二児の父親である。

「ご無沙汰しております」

「おーっ、村瀬か。ちょっと待っていてくれ」

「はい。いくらでもお待ちします」

「てっめー!! 裏切るのか?」

 必死に暴れる秋葉をしっかりとホールドしたまま、

「まっ。お父さんはそんな口の悪い子に育てた覚えはありません」

「だっ誰が『父親』だっ、だぁ~ぁぁぁん」


 弱い所をくすぐられ、思わず変な声が出てしまう。

 それも病院の待合室で、沢山の患者さんや看護師がいる前で。

 しかし彼らはみな、優しい表情でクスクス笑っていた。



 その後に訪れるた「面会謝絶」という札が扉に下がっていた病室は、村瀬でさえ驚愕するあまり、呼吸をするのも忘れるほどだった。


 それが、薄暗い病室の中に、一つだけ置かれたベットに横たわっていた。


 



  



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