第4話 恐怖は突然、呪いに変貌する 2

 小会議室の、細長い机を挟んで、めちゃくちゃ機嫌の悪い芹澤青子が、憮然とした態度で、対面に仲良く並んで座っている村瀬と秋葉を思い切り鋭い眼光で睨んでいる。


 受付嬢の美代の前で、ヒステリックにギャーギャーと喚く青子の機関銃のように飛び出す言葉に対し、冷静沈着の体で表情一つ動かさず、青子が喚く大声が受付ホールに響く中、秋葉はわざとらしく五月蠅いと指先を耳に押し込んで、しっかりと栓をして見せる。辛辣かつ的確に的を得た言葉を静かに返され、更に青子は逆上する。


 先程から、これの繰り返しである。


 どちらが大人なのか分からなくなるほど、低レベルな攻防戦を繰り広げる芹澤青子と石動いするぎ秋葉は恐ろしいほど対照的で、見ているだけの方が、マジで怖い。


 感情が表に出ず、冷ややかに平板な言い回しは辛辣な分、秋葉の方が優勢だった。


 おまけに、秋葉はこの言葉の応酬をマジで思い切り楽しんでいるのが、村瀬には手に取るように分かる。


 そのうち、受付の周りに人が集まり出し、「頑張れ、姉ちゃん」とか「坊主も負けるな」とヤジが飛び交い、そのうちどっちが勝つか、賭けを始める者さえ出だす始末であっだ。




 そういう経緯で、現在、この小会議室にいるというわけだった。


 その時、控えめにドアがノックがされ、静かに開かれたドアから受付嬢の美代が、トレーにブラック珈琲を淹れた二つのカップと、良い香りが漂う高級な紅茶を淹れたカップがそれぞれ前に静かにセットされ、ミルクと砂糖、そしてこの出版社の側にある「超絶に美味」と評判の、一つ一つ丁寧に手作りされたケーキが置かれる。


 それは店でも大人気の新鮮な苺がこれでもかと乗せられ、甘さがスッキリした生クリームが惜し気もなくバランス良くたっぷりとケーキを飾っている。


 そのケーキを前に、秋葉は満面な笑みを浮かべ、

「ありがとう美代ちゃん♪♪♪」

「いいえ、本日は秋葉さんが好きなショートケーキがありましたから」と、ニコリと微笑む。


 やはり「美人」と冠される女性は、笑顔も悔しいほど美しい。


 青子は、二人の会話から彼らがこの出版社の扱いが特別であるという事を一瞬で理解した。一つ二千円近くする高級ショートケーキが当たり前に出されるほど、特別に扱われる人物たちなのだろうか。


「美代ちゃん。さっきは済まなかったね」

 と村瀬が詫びるように右手を上げ、片目を瞑って見せる。

 美代は「いいえ」と言いながら、怯えるようにチラリと青子に視線を向けたが、彼女の機嫌は直っていないようで、ギラリと睨まれてしまい、美代は慌てて逃げるように小会議室から出て行ってしまった。


 鼻息も荒く視線を前の二人に戻すと、既に秋葉はケーキを頬張り、バクバクとかじり付ついている。


 それを見て、思わず心の声が飛び出しそうになる青子。


「お前はこんな高級なケーキをじっくり味わうことも知らないのか!」と。


 青子が必死に仕事を頑張って、疲れた自分へのご褒美として買うケーキは、スーパーで二つ入って三百八十円+税のものしか食べたことがない。


 たかがケーキだが、ここでも差別を受けているようで、冷めかけた珈琲を喉に流し込む……が、思わず口から飛び出した言葉は、


「なにこれ、チョウー美味しいんだけど」


 珈琲の芳醇な香りが口いっぱいに広がり、名残惜しそうに鼻腔から抜けていく。

 こんな上品で美味しい珈琲は飲んだことがない。


 自分が家で飲む珈琲はインスタントで、詰め替えが可能な、上品に言えばニーズナブルだが、そのまま言えば、激安のインスタントコーヒーしか買えないのだ。それというのも未だに定職に着けず、在宅ワークで出版社からの依頼で原稿のチェックや校正、そして空いた時間はコンビニでのバイトで食いつないでいるというが現状である。


 しみじみと珈琲を味わい、涙が出そうなほど感激していると、村瀬が可笑しそうに笑みを浮かべながら、

「美代ちゃんの淹れる珈琲は旨いだろう」

 憎たらしいほど悔しいが、返す言葉がまったく出てこない。


 そんな時秋葉が、自分の分のケーキはすべて平らげ、手は村瀬のケーキ皿にのびていて、子供のように「食べていい?」と、村瀬を見上げて言う。


 こういう所は、さっきまでの憎たらしいクソ生意気なガキではなく、仕種が年相応に幼く見え、まさに無垢な可愛い天使にのようで、本気で驚いた。ただ無表情な超絶美形な人形でも、こんな表情も出来るんだと。

 それに対し村瀬は、兄というより父親のように「いいですが……、あと三時間ほどで夕食ですよ。食事を残したら英恵はなえさんが悲しみますよ」と窘める。


「だって……」


 と、少しだけ唇を尖らせ、子供のように拗ねる。


 石動家では、甘いデザートはあるが、ほぼ和風の手作りデザートなのだ。

 洋菓子は、絶対に出てくることはない。

 秋葉は未練たらたらの体で、行儀悪くフォークをくわえたまま美味なケーキから目が離せない。


 仕方ないと村瀬がため息を一つ吐き、今日はこちらで軽食を出され、食べたと言い訳をするしかないかと考えていると、突然青子の携帯が軽快なメロディーを奏でた。


 青子はチラリと村瀬たちに視線を向け、携帯にかかってきた電話を切ろうとする。


「その電話、直ぐに出ろ」

「えっ……でも」

 青子が、それは失礼になるのではと戸惑っていると、鋭く厳しい声で秋葉が珍しく声を張って指示をする。


「その電話を切ったら、あんたは一生後悔することになるぞ。早く出ろ」

 言われた通りに携帯を通話にスライドすると、突然耳を貫くほどの決してただ事ではない鋭い悲鳴と同時に若い女の子の声が秋葉や村瀬にも聞こえるほど大音量で飛び出した。


『繋がった、やっと繋がった! 青子お姉ちゃん助けて、お願いだから助けて! 化け物が、化け物が――!! いゃあぁぁぁぁぁぁっ、こないでぇぇぇぇぇぇっ、助けてぇっ、お願いだから、助けてよぉぉぉぉぉぉっ!!!』


 鼓膜が破れるのではと思うほどの悲鳴が小会議室に響き渡り、必死に叫ぶ彼女の言葉がすべて聞き取れたわけではないが、かなり非常事態であるのは明らかだった。


 電話の相手は、幼馴染で妹みたいに可愛く、自分を姉と慕ってくれる吉川明里だった。

「どうしたの明里ちゃん。明里ちゃん!!」

「落ち着けアホ子。まず携帯をテーブルの上に置け」

「えっ?」


 青子が問うように秋葉を見ると、彼の白い顔が少し青ざめている。

「俺はお前の携帯に触れない。触れればお前の能力で奇跡のように繋がっている此岸しがん彼岸ひがんを繋ぐ蜘蛛の糸の細い命の綱が切れてしまうからな。スピーカーモードにして、静かに置け」


 突然の出来事で、青子はガタガタと震えながら秋葉に言われた通り、携帯をスピーカーモードし、静かにテーブルの上に置いた。


「秋葉…………」


 さすがの村瀬も慌てたように、自分より小柄な少年を見下ろす。


「解っている。大丈夫だ」と言いながらテーブルを回り込み、おもむろに青子の手を強く掴む。青子が驚いてヒッと喉を鳴らすと、

「俺はお前の携帯に触れることが出来ないと言っただろう。俺はお前と繋がっていなければ彼女に迫る化け物からあの子を守れない」

 

 秋葉はスマホを凝視し、視線を決して逸らさない。

 彼にはスマホの向こう側の映像がしっかり視えているようだったが、青子には秋葉が何を言っているのかその意味を掴みあぐねてまったく理解できず狼狽えていると、村瀬が「秋葉の言う通りにして」と声を小さく潜め、そっと頷く。


「明里ちゃん、俺の声ははっきりと聞こえる?」

 その問いに、携帯から彼女が震えながらも頷く気配が伝わってくる。

「よし、いい子だ。直ぐにその化け物は君に近づくことも触れることも出来なくなる。大丈夫だからね」


 秋葉は青子の手を強く握ったまま、空いている右手で人差し指と中指を交差させ、刀印を結ぶ。そして……。

「我が言葉は神の言霊ことだまなり。我の力は神の神威かむいである。その神力にお前は触れることあたわず、触れればお前は瞬殺で彼岸へと立ちかえるなり」

 秋葉が呪文のように言葉を紡ぐと、狭い会議室全体に強力な閃光が迸り、バチバチと激しく放電しながら、雷が音を立てて走り回るようだ。部屋全体がビリビリと振動する。秋葉は刀印に力を集中させ、指がスマホに触れるか触れないかという微妙な位置で、


へきっ!」と鋭く言霊を放つ。


 その光り輝く閃光の眩しさに、青子は悲鳴を上げて瞼を閉じ、腰が抜けたようにその場にしゃがみ込んでしまった。

 秋葉が言霊を放った瞬間、青子の全身をめぐる血管内にもその力が流れ込む。それは激しく暴れながら駆け回り、青子の全身は糸が切れたように弛緩し力が抜けてしまい、逆に血管内で暴れまくる膨大なエネルギーが暴走し、細身の体を激しく痙攣させた。一瞬、青子の意識が飛び、すべてが真っ白に塗りつぶされた。


 力なくバランスを崩した青子の体は、リノリウムの床に後頭部から倒れ込む。

 頭より本能と言うべきか、村瀬の体が瞬時に動き青子の体の下に素早く潜り込み、間一髪のタイミングで、後頭部を思い切り打ち付けてしまう直前に、村瀬の体がクッションとなり最悪な事態は回避された。


「ナイスキャッチ!」

「じゃ、ありませんよ。今回は本当に緊急事態だったので、仕方がない……とは言いたくありませんが、芹澤さんを媒介にして彼岸と此岸の狭間にいた明里ちゃんと化け物との間に強力な「壁」、つまり「結界」で「一線」を引くしかありませんでしたからね。でもどんな事態であっても瞬時に対応できるようにしなければ。あなたの力は「神の威」、つまりは神の力そのものなんですから」

「…………」


 秋葉は無言であったが、村瀬の言葉に対し十分に反省しているのは、村瀬だから解る秋葉の僅かな顔の表情の変化で理解できている。

 はた目には、ほとんど無表情の可愛くない生意気なクソガキと誤解される事も多いが、彼の乏しい表情のほんの僅かな変化は、秋葉の心の内を雄弁に語っているのだ。



 村瀬の腕の中で意識を取り戻した青子に、二人は肺の中の空気が空になるまで大きく吐き出し、安堵に胸をなでおろすのであった。

 


 

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