第2話




 翌日の学校にて、何か特別な変化があると思っていた小太郎だったが、予想以上にいつも通りの日常が待っていた。

 葉子は相変わらずクラスの中心であり、小太郎は、これまで通りそれを遠く離れた席で見つめている。

 

(手伝うって……何を?)


 ますますわからなくなる小太郎である。

 時刻は昼。

 各々が思い思いの食事準備に取り掛かる中……教室では、ざわつきが起こっていた。


「小太郎、ちょっと来なさい」


 弁当を開こうとしていた彼の席の前では、葉子が腕を組んで立っていた。


「え? い、今からですか?」


「早くして」


 問答無用と言わんばかりに、葉子は返事を待つことなく出入口に向かう。

 残された小太郎は呆気に取られていたが、その時、気付いた。教室中から注がれる視線に。

 それまで積極的に誰かに関わろうとしなかった玉藻葉子という存在が、初めて自分から動き、声をかけ、あまつさえ教室から連れ出したという事実。

 そのことが、彼の体に視線の雨を降らせていた。

 降り注ぐ好奇と憤怒、期待と怨念。

 それに耐えきれなくなった小太郎は、慌てて葉子を追いかけていった。


 葉子は校舎の裏にいた。

 そして駆け寄ってきた小太郎を見るなり口を開いた。


「遅かったわね。何していたの?」


「葉子さんを探していたんですよ。どこに行くのか、教えてくれなかったから……」


「そんなのすぐに……あー、そうだったわね」


 葉子は何かを思い出す。


「あんたは感応力があるだけで、別に妖力があるわけじゃなかったわね」


「妖力って……妖怪が使う、術の力みたいなやつですか?」


「ええ。正確には能力じゃなくて、私達を形成する根幹そのものだけどね。妖力があるなら私の居場所なんてすぐにわかるんだけど……」


 小太郎には意味がよくわからなかった。

 しかしそれを説明するのは面倒だと切り捨てた葉子は、早々に用件を済ませることにした。


「ちょっと、飛ぶわよ」


「とぶ?」

 

 次の瞬間、葉子は綿毛のようにふわりと浮かぶ。

 とん、とん、とーん……と、彼女が宙で跳躍すると、その体は、みるみる上空へと昇って行った。


 葉子が着地したのは、学校の屋上であった。

 屋上の出入口は施錠されていることから、そこに他の生徒の姿はない。

 壁際にはフェンスがあったものの、見晴らしがよく、その街が一望できる。空は晴れていたが、少し風も出ていることもあり、灰色が混じる雲が足早に東へと流れていた。階下から聞こえる生徒達の声と、遠くから聞こえるローカル線の電車音、街の喧噪。全ての音がミュート化されたその場所は、どこか、街から取り残されたかのように静かに時が流れていた。

 少しだけ、無言のまま屋上から世界を見つめた葉子は、振り返り小太郎に話しかける。


「さっそくだけど小太郎、ちょっと聞きたいことが……って……」


 小太郎は、白目を向いてぐったりしていた。


「……あんた、何してんの?」

 

「気絶しているんですよ!」


 意識を取り戻す小太郎。


「普通あの程度で気絶する?」

 

「何を以て“普通”と言っているのかはわかりませんが……普通、あんなにひょいひょい空を飛んで四階建て校舎の屋上なんて行けませんから」


 と言いながら、小太郎は動揺していた。

 葉子が空を舞うと同時に、彼自身の体も見えない強い力に引っ張られるように空へと飛び出し、こうして運ばれていた。


「……葉子さん、これが妖気というものなんですか?」


「ええ。もっとも、こんなのはただの付属品でしかないけどね。妖気を持つ妖怪なら誰でもできることだし。それより、今はそんなことはどうでもいいのよ」


 葉子は腕を組み、見下すように立つ。


「田中小太郎、答えなさい」


「は、はい……」


 葉子の声には、圧があった。

 聞く者を緊張させ、誤魔化すことすら許さない空気が。

 そして彼女は、尋ねた。


「……人って、なんであんなに色々聞いてくるわけ?」


「…………はい?」


「だから、なんであんなに聞いてくるのかって聞いてるのよ。私はご飯が食べたいのに、何を食べてるのかだの、何が好きかだの……。いつもいつも、しつこく聞いてくるから嫌になってくる……」


「そ、それは……」


 そこまで言ったものの、小太郎にもうまく答えることはできなかった。その答えは人それぞれであり、状況や立場も大きく左右されてくる。

 もっとも、こと“現在の玉藻葉子の状況”を考慮すると、その答えは自ずと絞られてくる。


「……興味、じゃないかな」


「興味?」


「はい。葉子さんのことを知りたいって人は多いでしょうし」


「なんで?」


「なんでって……その、葉子さんと、仲良くしたいというか……」


「それならそう言えばいいじゃない。いちいち遠回しに質問攻めして、何を考えてるんだか……」


 葉子は呆れるように吐き捨てた。

 しかし……。 


「……考えすぎるんですよ、きっと」


 小太郎の一言に、彼女は反応した。


「もっとよく知りたい。もっと仲良くなりたい。友達になりたい。付き合いたい。……そんなことをたくさん考えると、どうすればいいのかわからなくなったり、やり過ぎてしまったりすることって、けっこうあるんだと思います。でもそれって、たぶん葉子さんのことを信用しているんじゃないんですか?」


「私を?」


「ほら、葉子さんってそんなことを思っていても、ちゃんと話を聞くじゃないですか。告白されるってわかってても、ちゃんと会いに行くじゃないですか。めんどくさいって言いながら、最初から拒絶したりしないじゃないですか。人ってのは意外とそういうことには敏感で、心底拒絶されると話しかけることもできなかったりするんですよ。だからきっと、そんな葉子さんの優しさに甘えたくなるんだと思います」


「……ふーん」


 一通り話を聞いた葉子は、くるりと体を翻した。


「今の話からすると……私が周りに徹底的に冷たく接すれば、質問攻めを受けることもなくなるってことよね?」


「え!? そ、それは……そうですけど……」


 瞬時に困った表情を浮かべる小太郎に、葉子は小さく笑みを浮かべた。


「冗談よ。でも小太郎、あんたちょっと勘違いし過ぎよ。私は別に優しいわけじゃないから。もちろん周りに気に入られたいとか、ちゃんと話を聞きたいとかそんなことを思ってるわけじゃないからね。これも全て、私の――」


「そんなことありませんよ」


「……え?」


「確かに強引で、ちょっと怖いところもありますけど……葉子さんは、とても優しいですよ」


「…………」


 葉子は、言葉に迷った。

 小太郎という人間は、本来このように素直に話すことはできないタイプである。内気で、人の輪に入ることをためらい、人の目を気にする気質があった。

 だが、玉藻葉子は妖狐である。

 そのことが、彼の心に張り巡らされた柵を緩めたのかもしれない。

 ……そして案外、素直な言葉は心に届きやすいものである。人であれ、あやかしであれ。


「……私、教室に戻るから」


 突然葉子は、宙に飛び出した。


「え?」


「あんたも早く戻りなさいよ。じゃあね」


 そしてそのまま、地上へと降りて行った。小太郎が見下ろす地上は、あまりにも遠い……。


「戻りなさいよって……どうやって?」


 屋上から、小太郎の助けを求める声が聞こえる。

 校舎の陰からその声を聞いていた葉子は、指をくるくると回し、妖力を小太郎に送る。

 ほどなく、小太郎もゆるりと地上へ運ばれることだろう。


「……バーカ」


 そう呟く彼女の表情は、少しだけ、柔らかくなっていた。












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