妖狐の葉子さん

@jambll

第1話





 玉藻葉子は、学校で凄まじく人気がある。

 成績も常に学年トップ。スポーツをさせれば誰よりも活躍し、歌も絵も、ピアノもプロが裸足で逃げ出すほど。ひと際目を引くのが、その容姿だ。滑らかで艶のある長い黒髪から、学生とは思えない程に整った顔立ちとスタイル。そして、その紅い目。大きくて細長いその瞳には、まるで引力があるかのように人を惹き付ける。実際に彼女が廊下を歩けば、すれ違う生徒や先生はみんな彼女に注目する。

 そんな彼女の周りには常に人が集まり、その中心で、いつも彼女は微笑んでいた。

 だがここに、そんな彼女に対し、教室の隅から含みのある視線を送る少年がいた……――。


「――……田中くん、用件はなに? さっさと言って」


「ご、ごめん……」


 放課後の教室。

 山田小太郎は、誰もいなくなったその場所に、葉子を呼び出していた。

 彼女は不機嫌さを隠すことなく、小太郎を急かす。

 彼女からすれば、こうして呼び出されることなんてのは日常茶飯事だった。それは学校の生徒なら誰もが知る事実ではあるが、それでも、小太郎は彼女の机に手紙を忍ばせた。そして彼は、これから、ずっと胸に秘めていたものを伝えようとしていた。

 意を決した小太郎は、息を一つ飲み込み、切り出した。


「こんなことを言ったら変かもしれないけど……」


「なに? 私、こう見えても色々忙し――」


「――その頭に生えてる耳と、尻尾……なに?」


「…………は?」


 葉子は、固まっていた。

 小太郎には見えていた。彼女の頭には獣耳が生え、そして、もふもふした尻尾があった。彼女を最初に見た時からずっと気になってはいたが、他の誰一人として気にもしていない。視線すら向けない。

 そこに強烈な違和感を覚えていたのは、唯一小太郎だけだった。


「学校のみんなは、その、見えていないような感じなんだけど……それ、本物だよね? 動いているし」


「そ……そ……」


「そ?」


「そ、そそそそ、それって……み、見間違えじゃないかなぁなんて……思っちゃったり……」


「誤魔化すの下手くそですか」


「そ、そもそもこれは……そう! アクセサリー! 装飾品! これを本物と思っちゃうなんて、田中くんもおっちょこちょい……」


「そういうセリフは、尻尾を動かさずに言ってくれませんか? めちゃくちゃ動いていますよ?」


「…………」


 観念した葉子は、事情を説明する。

 

「――お母さんの指示で、人間界に?」


「ええそうよ。文句ある?」


 葉子は髪をかき上げながら話す。

 彼女は、狐の妖怪なのだという。俗に言うところの、妖狐と呼ばれる存在。

 元々は本州の深い山の中で生活していたが、母親から、成長のため、人間界で生活するように言われこの学校に入学していた。


「でも、なんとなく納得しました。どこか人間離れしている思っていましたが……まさか、本当に人間から離れているとは。……それよりも玉藻さん。なんか、開き直ってません?」


「うるさいわね……これでもショックを受けてるのよ」


 舌打ちをこぼす葉子。

 

「これまで何度か人間界には来たけど、私の正体を見破る人なんていなかったのに……」


「そう言われても……」


「前に母様から聞いたことがあるわ。生まれつき妖力に優れた人間は極稀にいて、そういう人には、私の妖力が通じないって。たぶん田中くんがそうなんでしょ」


 とは言われたものの、小太郎にはそれが凄いことなのかわからない。

 すると葉子は、大きく溜め息を吐き出した。


「……それで?」


「え?」


「だから、続きよ。私の正体が気になったんでしょうけど……他にあるんでしょ?」


「え? ないですよ?」


「は? ないの?」


「はい。ないですね」


「…………」


 葉子は黙り込んでしまった。

 と思いきや、椅子を引っ張りだし、足を組みながらどかりと座る。


「ふぅぅぅぅ……座りなさい」


 凄まじい圧を込めながら、彼女は床を指さした。

 拒否したら何をされるかわからないと、やむなく小太郎は床に座る。


「……田中くん、いい? 私はね、これまで、そりゃもう数えきれないくらいの告白をされてきたの」


「そ、そうでしょうね……」


「何度断ってもすぐに次、次、次! もうしつこいったらありゃしない! なんで一度も話したことない奴から愛の告白なんてされないといけないのよまったく!」


「告白って、大半はそういうものじゃないかなぁって……」


「ところが田中くん! あなたと来たら、私の正体を聞いてそれで終わり!? はぁ!? 正気ですか!? こんなパーフェクト美少女を相手に、告白もしないなんてありえないでしょ!」


「言ってること無茶苦茶だってわかってます?」


「わかってるわよ! でも私にだってプライドってものがあって……! あーでも! 告白されたらされたでめんどくさいし……! あーーーーもう! 人間の恋愛ってホントにめんどくさい!」


 頭を抱えながら吠える彼女。

 そんな彼女に、小太郎は素朴な疑問を投げかけた。


「人間の恋愛と妖怪の恋愛って、違うんですか?」


「全然違うわよ。でも今はそんなことを気にしても仕方ないでしょ。……それより、もしもこのことを誰かに喋ったら……」


「喋らないですって! そもそも、そんなことを言っても誰も信じてくれませんよ」


「そりゃそうかもしれないけど……はぁ……」


 そして彼女は、教室の出入り口に向かう。


「……用件、それで終わりなんでしょ? 私、もう行くから」


「帰らないんですか?」


「帰りたいけど帰れないのよ。あと二人くらいに呼ばれてるから」


 それが告白だと、小太郎にもすぐにわかった。


「……ホント、大変ですね」


「ここのところ毎日これだから、もう慣れたわ。でもめんどくさいことには変わりないのよね……。せめて人のことがもっとわかれば、それなりに対応もできる……――」


 と、彼女は何かを思いつく。


「玉藻さん?」


 小太郎が声をかけると、彼女は、にやりと笑った。


「……いいこと思いついた。小太郎、あんた、私に協力しなさい」


「…………へ?」


 一瞬、小太郎には何を言っているのかわからなかった。

 しかし葉子は畳みかけるように話す。


「あんたは私の素性を知っているから、私もある程度気が楽だしね」


「え? 協力って、なにを……?」


「別に小難しいことをさせるわけじゃないわ。ある程度人間のことは予習してるけど、どうしてもわからないところもあるのよ。そこを教えてくれればいいから」


「い、いや……でも……」


「……嫌なの? だったらこの場で、呪い殺すしか――」


「わかりましたよ! やります! やりますから!」


「そう。交渉成立ね」


(交渉ってなんだろう……)


 ニッコリと笑う葉子に対し、小太郎はぐったりと疲れていた。


「やるからには徹するわよ。あなたは、今日から“小太郎”よ。あんたも私のことを“葉子”と呼びなさい」


「え、えええ!? いきなり名前呼び!?」


「その程度でいちいち動揺しないの。明日から本当に頼んだわよ、小太郎」


「う、うん。玉も……葉子さん」


「葉子さん、ねぇ……まあいいわ。じゃあ、また明日」 


 そのまま、葉子は立ち去って行った。

 自宅に帰った小太郎は考える。

 彼女が言っていた協力というものが何を指すのか、検討もつかない。そもそも、全てにおいて完璧とも言える彼女に、いったい何を協力すればいいのか……と。

 しかし、あれだけの美人から頼られるということは、本来ならば天にも昇る気持ちになるのだろう。しかし現実感はなく、小太郎には、どこか他人事のように思えていた。

 まるで今日の出来事全てが、宙に描いた絵だったような……そんな気さえしていた。

 

(狐に騙されるって、こういうことを言うのかな……)


 考えても仕方がないと、その日は早々に眠ることにした小太郎。

 だがしかし、彼は翌日に思い知ることになる。




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