ある春の日の話

第3話

大学の校門近く。桜が咲いているのを見て思い出す。


高校生の頃、剣道部に入っていた。

素足でやらなければならないスポーツである剣道は、冬の時期はとにかく足元が寒い。それを考えると桜が咲き始めたこの季節は、幾分か寒さが和らいだころ合いで、なんだかホッとするものだ。

高校3年の春。最後の大会に向けて一念発起する季節だが、私は全然強くなくて、いつも負けてばかりだった。

私はかび臭い武道場の隅でタイマー係をしながら、女子部長であり同級生の石巻姫の試合をぼーっと眺めていた。

姫は強い。なんというか、剣に芯があるというか、ぶれないというか、とにかく強い。この語彙力のなさも自分の弱さにつながっているような気がして、私は自戒する。

「勝負あり。」

姫の試合はあっという間に終わった。もちろん姫の勝ちだ。

「相変わらず強いなぁ」

私がそう独り言を言っていると、身に着けている胴をトントンと触られる。

「石、ストップウォッチ」

気づいたら次の試合が始まっていた。私はあわててストップウォッチの開始ボタンを押す。

ちなみに石というのは私の下の名前だ。我ながら変な名前だと思う。

「ありがとう、リョウ君。」

「あんまりぼーっとしちゃだめだよ。」

そういってリョウ君は横でノートに戦績を書いている。

どちらかというと、リョウ君も私と同じで剣道は弱い。私は運動音痴で弱いだけだと思うけど、リョウ君はたぶん優しすぎるのだ。彼は入る部活を間違えたと思う。

私はリョウ君の横でタイマーを強く握りしめながら、彼を見つめる。

彼はやさしい。まずはその顔つきから優しい。そして彼の手つきが、行動が、言葉が、すべて彼のやさしさ由来なのだと思う。すべて丸っこくて、猫みたいで、かわいくてやさしい。さらさらストレートの髪がたらんとおちる。彼の一重瞼が見えなくなる。彼は必死にメモを取っている。試合をしている選手たちの情報をメモに取って、自分の剣道に生かそうとしているのだ。そういうひたむきさ、研究熱心なところも彼らしさの一つだ。

私は思わず彼に夢中になる。目が離せなくなる。

「タイマー!!」

突然ガヤから怒号が飛ぶ。私は急いでタイマーを確認すると、試合時間をとっくに過ぎていた。

「す、すみません!」

急いで試合終了の合図を審判に出す。審判がこちらをにらみながら、やめの合図を出す。

選手たちが息も絶え絶えになってコートから退く。申し訳ない、と私は心の中で陳謝する。

思えば、私はいつも失敗してばっかりだ。剣道の試合だって、私は負けてばかりで、勉強もそんなにできなくて、部屋も散らかっているし、家事とかもできない。

私って、何もできない。こんな私は生きている価値があるのだろうか。


私が自分の生きる意味を失いかけているところ、また胴をトントンと触られる。

「怒られちゃったね。」

リョウ君がそう微笑みながら言う。


私は、その一言で救われる。


リョウ君が私の恋人だったらいいのに。

そうしたら、私は自分の生きる意味を見つけられるかもしれない。

しかしその願いはかなわない。

リョウ君には恋人がいる。

相手は、あの姫だった。



大学四回の春。私は大学の部室で新歓の準備をしながら、4年前の出来事を思い出していた。

私は部長になった。一緒の大学に進学し、一緒の部活に所属していた姫が部長最有力候補だったが、3回生の冬に蒸発したため、次点の私が一躍部長に昇格したわけだ。

慣れない仕事をしながら、不意に訪れる憂鬱を必死に追いやる。

姫がいない中、私がしっかりしなくてどうする。

私は自分にハッパをかけつつ、ホットプレートの電源をゆっくりと入れた。


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