第2話 「僕はテニスが下手だ」

「生人ぉ!! これじゃ練習にならねぇよぉ!」


 試合前の練習時間。僕の相手をしくれた部活仲間はいらだちを隠すことなく怒鳴った。


「ご、ごめん!」


『フォームは綺麗だね』


 そう言われることはある。だが、いかんせんボールが狙ったところに飛んでいかない。狙った場所に飛んで行くのは5球に1球くらいだ。それも、少し失敗したかな? という時に限って良い場所に飛んでいく。

 自分でもわかっている――僕はテニスがとても下手だ。


「生人……わりぃけど。俺、向こうで練習してくるわ」


 の練習に耐えかねた彼は、別の部活仲間のところに行ってしまった。

 僕の放ったサーブは4面あるコートの至る所に散乱している。

 もう苦笑うしかない。


 本当はサッカー部に入るつもりだった。

 上達の限界を感じてはいたけれど、中学時代までやっていたこともあり、慣れ親しんだスポーツを続けたいという思いが強くあった。

 けれども体験入部をした日、その希望はあっという間に砕かれた。

 体がまったくといっていいほど、思い通りに動かなかったからだ。


『お前、経験者じゃなかったのか?』


 サッカー部の先輩からもそう言われた。

 自分自身、経験者らしからぬ動きしかできないことに戸惑った。


 だが僕にも今までサッカーを続けてきたというプライドがある。


 体験入部期間中、食らいつくように必死に動いた。が、どうあがいても体が言う事を聞かない。

 体験入部をしていた生徒は沢山いたが全員経験者。


 動かない僕の体、慣れた彼らの動き。

 実力差は歴然だった。


 サッカー部へは結局入部しなかった。

 これからの練習についていける気がしないこともあったが、この程度の動きしかできないと思われる事が、なによりも耐えられなかった。


 そんな折だ。

 入学早々仲良くなった同じクラスの女子から声をかけられた。


『一緒にテニスやらない? 私、女子テニス入るつもりなんだ』


 サッカー以外にやりたいスポーツがあったわけではなかったから、これは良い機会だと思った。

 そして僕は、その女子に誘われるまま、テニス部に入部。


 他人任せで情けない話だとは思うし、思い出すのも恥ずかしい。

 けれど、あれほど好きだったサッカーが出来なくなった自分自身に裏切られたショックは、やはり相当なものだった。



 散乱しているボールを拾いながらあたりを見回した。

 いつの間にやらコートの周りには練習試合をする相手高校の選手がぞろりと並んでいた。


 僕達の練習風景を眺める彼らのその顔は、自信に満ち溢れているように見えた。



***



「すいませんっした!」


 静まりかえったテニスコートで、僕は頭を下げ謝罪をしていた。

 周りの部員からは、今後の展開を見守る視線が向けられ、若干呆れた雰囲気も漂っている。


「外周5周だ! とっとと行け!」


 顧問のイラつきを乗せた叱咤がコートに響いた。


「はい! すいませんでしたぁぁっ!!」

 

 再度の謝罪をして学校を囲む外周に向かおうとした。だが、ここからが厄介だった。


「ほんと何なんだあの試合内容は。しかも君の相手。相手校の中で一番下手な奴だったんだぞ? おまけに1年。そんな奴に負けるとか、君という人間は学ぶ事を知らないのか?」

 

 顧問はずれ落ちてくるメガネを神経質そうに元の位置に戻しながらネチネチと始めた。それから数分、お説教は続く。


 『とっとと行け』はどこに行ったのか。


 しかも顧問の声は決して小さくはない。敢えて周りに聞こえるような音量で話し、自分の正当性をアピールをしているのだ。


 もちろんそんな顧問が生徒から受けが良いはずはなく、部活内だけじゃなく学校中の生徒から厳しい評価を受けている。

 ただし、当の本人はそのような評価については、まったく気づいていないようだが。


 僕は一通りのお叱りを受けた後、やっと外周に行くことができた。


「ふぅ……」


 大きなため息がでた。その時だった。

 背後から肩をぽんっと叩かれた。


「災難だったな、生人」


 クラス担任でもありテニス部副顧問の山中先生だった。

 

「あ、山中先生……」


 半年程前に転任してきたスポーツマンタイプの爽やかさをもった教師だ。

 大人の色気ある俳優を思わせる整った顔に加え、他の教師には失礼な言い方かもしれないが、教師らしからぬオシャレさがある。

 かつ、気さくな口調と見かけによらず世話好きなところが、男子生徒からも女子生徒からもかなり人気があった。

 そして未婚であり、今の所は結婚する気は無いらしい。


 山中先生は僕より一回りも年上ではあるが、なぜか友達感覚でいたいらしく僕のことを「生人」と名前で呼ぶ。そして何かにつけて気にかけてくれる。

 

「ま、あんヤツの言う事なんて、気にすんなよ」


 そんな教師らしからぬ山中先生の言葉や親し気な態度に、僕もそれなりに心を開いていた。


 高校入学当時のクラス担任だった後藤先生にも随分と可愛がってもらった。

 だが、半年程前、後藤先生は突如離任。

 交代要員のようにやってきたのが山中先生だった。


 後藤先生とは本当の兄弟のように仲がよかったが、山中先生とは友人的な仲良し感がある、と僕は勝手に思っていた。


「終わったらラーメンでも食いに行くか? もちろん奢るってやるぜ?」

「罰として用具の片付けもしとけって言われてるんです」


 ラーメンを箸ですする仕草をしてみせる山中先生に僕は首を振った。

 走り込みの後はコート4面の整備にボールの片付け。それにネットの片付けもある。それを一人でやれと言われた。まだまだ帰れそうにない。


「そか、じゃ、また今度行こうな。餃子もつけてやるよ」

「はい。楽しみにしてます」


 傾きかけた太陽を背に、山中先生は爽やかな笑顔を向けた。


 じめりと汗ばむ気候の7月上旬。

 高校生としては2回目の夏だ。


 厳しい暑さがまもなくやってくる。



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