第3話 騒乱

 同時刻、ニューカッスル基地居住区画にて。

 ベッドが軋み、肉のぶつかる音と体液の咽るようなにおいが充満する部屋で、ウィストル・ユノーは妖艶に体を揺らす。

「ああ、さすがだぞ貴様。どれだけワシから搾り取る気だっ」

「素敵ですよ、司令。もっと掻き回して下さい」

 ベッドで仰向けになっているライナスは快楽の中でウィストルを見上げる。

「まったくけしからんやつめ。このワシが直々に指導してくれるわ」

「あんっ、そんな、ダメです司令」

 ライナスは満足げに唇の端を吊り上げ、ウィストルは嬌声を上げる。

 この関係はウィストルがニューカッスル基地に来た2週間前から続いている。ライナスはウィストルと関係を持っている。もとより煽てれば簡単に気を良くするライナスだ。ウィストルから向けられる尊敬の言葉に日々気をよくしながら、心も体も満たされていった。

 そんな毎日を繰り返していれば、口も軽くなろうというものだ。

 ――「実は秘密の格納庫があってな。副司令さえ知らんぞ」

 ――「解錠はワシのIDカードと16桁のパスワードが必要でな」

 ――「パスワードなど単純なものよ。生年月日を繰り返し打ち込むだけだからな」

 自分だけが握る特別な情報を話すと、相手は大仰に驚き、感嘆する。

 ライナスは毎晩ウィストルを抱き、男として、将官としての優越感に浸り、満足していた。

「さすがです、司令」

 今日も相変わらず、毎日繰り返される愛欲を満たす時間が流れていた。

 この瞬間までは。

「これでもう、あなたは用済みです」

「なんだと、きさ――」

 ライナスが「貴様」と言い切る前に、ウィストルの体が動いた。

 大きな胸に、ライナスの顔面が押し付けられた。次いで細い腕が頭を抱き、更に強く顔面が胸に圧迫される。豊満な肉体に口と鼻が塞がれ、呼吸が困難になる。慌てて腕を振ろうとするが、既に両腕はウィストルの脚によって拘束され、適わない。

「が、ぶごっ、むむー!!」

 必死に暴れ、空気を求めるライナスだったが、ウィストルはそれを許さない。手馴れた手つきで抵抗を封殺し、窒息へと誘っていった。

 やがて抵抗が止むと、ウィストルはライナスから退き、泡を吹いて痙攣している肥満男を見下ろした。

「有益な情報をありがとう、地球人」

 ベッド脇のチェストにかけてある上着からカードを引き抜いた。

 時刻は夜の9時にさしかかっていた。



 場所は変わり、ニューカッスル基地22番格納庫では――

「おつかれさん、交代時間だ」

 格納庫入り口で自動小銃を提げた伍長は、かけられた声にほっと息を吐き出した。

「ああ、もうそんな時間か。さっさとメシ食って寝るかね」

 報告書の提出もあるのだが、毎日定型句を並べるだけのものだ。上司の大尉も斜め読みするような書類に時間をかけるのも莫迦らしいので、前回どおり『異常なし』をコピーするつもりだった。

 そこで、交代要員の男の顔を見てふと思った。

「あれ?今日はチャールストンの班じゃ…」

 何気ない疑問だった。いつも交代時間が過ぎてからやってくる不真面目な同僚ではなく、なぜか精悍な顔立ちのアジア系人種であり――

 パァァン――!

 疑問を口にした瞬間、伍長の眉間に穴が開き、後頭部が弾け飛んだ。

「…始めろ」

 鳴り響く銃声。ナイフを持って襲い掛かる交代要員。上がる血飛沫。

 ものの数分で、格納庫は血の海と化した。赤い床には十数名の整備員が物言わぬ姿で横たわっている。

「手はずどおりに」

 そう言って、一人の男が駐機状態の機体――X001〝スサノオ〟へと乗り込んでいった。


 同じころ、19番格納庫では――

 遠くで銃声がしたと思ったのも束の間、怪訝な表情で動きを止めていた整備員たちが、無数の5.56ミリ弾に蜂の巣にされた。

 銃撃戦の最中、コウイチはコンテナの陰に隠れ、初撃をやり過ごした。

「や、やめろ!抵抗はしな―――げぁっ!」

 両手を挙げて無抵抗を示した若い整備員は胸に数発を受け、後ろに倒れた。

(まずいぞ、これは)

 陰から様子を伺うと、入り口付近には小銃を構えた男が4人。対して壁面に保管されていた小銃を取り出して応戦しているのは中年の整備員2人。

「ぐあっ」「おい、ぐぅっ」

 すぐに決着がつき、整備員2人は倒れた。

 コウイチは思案した。ここから離れなければ。

 目の前には緑色の重装甲を持つ新型ハルクレイダーがある。キャットウォークへ続く階段が目の前にあり、その隣には外へと続くドアがある。

(あの機体が起動できれば…)

 そう思うが、すぐに思い直した。

 操縦方法がわからない。インターフェースだって当然違うだろう。すぐに起動できなければ、コックピットは瞬時に鉄の棺桶に変わってしまう。

(なら、自分にできることは……)

 タイミングを見計らい、コウイチはコンテナの陰から飛び出した。

 それに気づいた一人が発砲。他の3人も続いてコウイチを狙う。

「ぐぅ――っ」

 銃弾が右肩を掠めた。ピリッとした痛みの後に焼けるような熱さが襲ってくるが、構わずに駆け抜ける。

 ものの数秒で、コウイチは格納庫の外へ出た。

 同時に、基地中に緊急警報が鳴った。

 格納庫の中で、三点射の発砲音がした。

 コウイチに気をやった男たちの隙をついて警報を鳴らした瀕死の整備員。その息の根を止めたものだった。


 司令部は混乱していた。

「どうなっている!」

 バーナード・コリンズ大佐は発令所に駆け込んだ。

 地上管制士の女性士官が振り返る。

「第9から22格納庫で大規模な爆発が発生!尚も他の格納庫へ爆発が広がっています!」

「原因は!?」

「…MPより報告!ハルクレイダーによる攻撃です!機種報告あり!X39E、X33G、X16S、……評価試験参加の新型機5機が、基地施設の破壊を行っているとのことです!」

「試験担当のエルンスト大尉はどうした!?彼らが乗っているのか!?」

「テストパイロットの所在は不明!機体への呼びかけにも応答なし!」

「すぐに迎撃部隊を出せ!基地司令を呼び出せ!緊急事態だ!」

「格納庫が破壊され、機体ごと押し潰されています!報告損害、40%!」

「司令につながりません!」

「呼び続けろ!この非常時にあの人は…!」

 寝室で泡を吹いているなどとは夢にも思わない副司令官は、各所への指示に奮闘した。


 格納庫へ放たれた砲弾が着弾し、棟を丸々吹き飛ばす。迎撃に回った2.5世代ハルクレイダー〝ケフェウス〟は、その寸胴のボディを粒子砲に貫かれ、小隊規模が一瞬で全滅した。

 夜の闇に浮かぶ炎に照らされ、5機のハルクレイダーが屹立している。

 ハワイ・フォートシャフター基地から搬送された、緑色のコートのような重装甲と二つ折りの重火砲を持つGHW-X33G カウスメディア。

 アラスカ・クリアー基地から搬送された、第2世代機のような太目のボディに、両肩・両背部・両腰・両膝に新開発の粒子砲を持つGHW-X39E アルカディア。

 イギリス・ブライズノートン基地から搬送された、背部に主翼と垂直翼、大型スラスターを装備する軽量型高機動機のGHW-X21V シグナス。

 イタリア・アヴィアノ基地から搬送された、粒子砲・近接用大型ブレード・二門のチェーンガン・大型の楯を一つに纏めた直方体型武装を持つGHW-X16S シュトルーフェ。

 日本・横須賀基地から搬送された、大型刀剣と楯を持つ近接格闘戦仕様の、白亜に黒いラインの入ったOHW-X001 スサノオ。

 5機の新型機には野戦服やツナギをきたままの男たちが搭乗し、迎撃機が出る前の格納庫を次々と破壊し、出てきたばかりの戦車やハルクレイダー、ヘリを次々と撃墜。基地内の戦力の半数以上を無力化していった。残骸と砲撃によって固定翼機を潰した彼らにとって、もはやモグラ叩き状態と言えるだろう。

 戦車が2輌、格納庫の陰から飛び出し、主砲で狙う。

 いち早く気づいた〝シグナス〟は急加速し、戦車の直上を通過。戦車兵の気を引いた。

 その隙に、〝カウスメディア〟の右背部の折り畳み砲が展開された。

 FSC-Mk15 アルナスル180ミリ対艦砲だ。

 フットロックと左手のアンカーガンで地面に機体を繋ぎ止め、展開終了と同時に発射された高速金属流徹甲HVMAP弾が戦車を正面から撃ち抜いた。

 瞬時に次弾が装填され、第二射で難なくもう1輌の戦車が吹き飛んだ。

 奇襲と連携が成した結果とはいえ、地球の常識では考えられない結果だった。


 バーで異常を察知したレオンはすぐに店内から飛び出した。

 基地の方向から見えるのは夜の闇を照らす炎の色と、天に昇る黒煙。爆音が澄んだ空気を震わせ、街全体が「なんだ、あれは!?」「MUFの基地が燃えてる!?」「また戦争か!?」と混乱が巻き起こっている。

「アンディ、フランク、アブ」

 呼びかけると、すでに3人はレオンの隣にいた。

「あれは…」「おいおいおい」「あぶー!?」

 3人は一様に呆け、しかし事の深刻さにすぐに気づく。

 店内から他の客が出てくる。その中にはマナミとアレックスの姿もあった。

「何よあれ…」

「基地が…」

 2人は目を丸くし、呆然とした。

「行くぞ」

 レオンは短く告げると、ニューカッスル基地へと駆け出した。


 銀河は格納庫の間を駆けていた。

 居住区画で休んでいるところで爆発音に気づき、部屋から飛び出したのだ。

 遠目には炎を上げて崩壊する格納庫。耳だけでなく体ごと震わせる爆音と振動。

「くそっ、なんなんだよ!」

 軍人の動きもせわしなく、ジープが行き来している。誰も銀河には目もくれない。そんな余裕はないのだろう。

 走るしかない。車も何も利用できない状況では、自分の足だけが頼りだ。

 15分以上は走っただろうか。息が上がり、足が止まってしまう。

 すぐ隣には、破壊された格納庫がある。巨大なゲートは内側から吹き飛ばされ、無残な姿に変わっていた。

「……え?」

 そこで、見つけた。

 女性が、倒れている。

 ボブカットの髪が顔を隠してはいるが、上半身を血に染めたタンクトップの女性に間違いない。

 そして、銀河にはわかってしまった。

「アン、ナ……さん……?」

 上がっていた息が、別の理由で苦しくなる。足が重いと感じていたのに、よろよろと女性に近づいていった。

 近づいて跪くと間違いなく昼間に話をしたアンナ・ヘスであった。

 うっすらと、彼女の目が開いた。

「はは、まずったなぁ…」

 乾いた、掠れた声だった。

 見れば、タンクトップには複数の穴が空き、こぽこぽと血が溢れ出している。

「しっかりしろ!息子が待ってるんだろ!お土産買って帰るんじゃないのかよ!」

「アンドリュー、ごめんねぇ……、ダメな、ママで……」

 アンナの目尻から涙が流れ、頬を伝う。

「おい!しっかりしろ!誰か!誰かいないのかよ!」

 口の端から血の筋を垂らすアンナは明らかに重傷だ。誰か助けを呼ぼうにも、周囲には誰もいない。格納庫の中にいるのはすでに事切れた死体だけだ。

「助けてくれよ!人が…死にそうなんだ!」

 自分の手が、服が血に染まる。彼女の命を吸い取るように、自分の上着にじんわりと赤が染み込み、温もりを伝えてくる。

「あなたがいないと、息子はどうなるんだよ!悲しむとか、寂しいとか、そんな程度じゃないんだぞ!」

 両親がテロに巻き込まれて死んだ時を思い出す。あの喪失感は、今でも埋められない。なぜこんな不幸を背負わなければならないのか。世界を恨み、殺した組織を恨み、だけどそれを晴らすこともできず、無力な自分はただ夜な夜な涙するしかできない。

 そんな境遇をこれ以上増やしたくない。

「生きてくれよっ!!」

「アンドリ…ブフッ」

 アンナは一度大きく血を吐いた。そして、瞳から生気が失せていった。

「おい、アンナさん…」

 先ほどよりも、アンナの体が重くなっている気がした。気を失った人間は重く感じるというが、まさかこんな時にそれを体験するなんて。

「アンナさんっ!!」

 もう、その瞳は何も映していない。

 アンナの首から提げられた認識票とロケットが、胸元から滑り落ち、垂れ下がった。そのときに開いたロケットの中には、アンナに抱かれている幼児の写真が収められていた。鎖を伝い、血が滴り、ロケットの中の写真を赤く上書きした。

「………んな……」

 アンナを横たえ、瞼を閉じさせた。

「ふざけるなよ……」

 涙の筋が走る銀河の顔は、怒気に塗れていた。

 その瞳が向ける先は、三つ先の格納庫の間で近接格闘戦を繰り広げている〝スサノオ〟だ。〝スサノオ〟は5メートル以上ある実体剣を振り下ろし、寸胴の人型機〝ケフェウス〟を両断した。

 またひとり、死んだ。

「ふざけるなよ、貴様ら……」

 拳を怒りで握り締め、アンナを殺した原因――100メートル先にいる巨人を睨んだ。

「クロスエンドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ―――――!!」

 銀河は天に向かって咆哮した。

 〝クロスエンド〟は誰もいない格納庫の中で起動した。非常事態のため、技術チームはすでに格納庫から退避していたが、彼らがこの姿を見ていれば驚嘆したことだろう。

 目のようなメインセンサーに光が差し、白い巨人は駆動した。

 格納庫を突き破って、〝クロスエンド〟は銀河の前に着地した。

 コックピットへ乗り込むと、既に機体は臨戦態勢であり、センサーは破壊活動を繰り返す新型ハルクレイダー5機を捉えていた。

「なんのつもりだよ…」

 銀河は震えながら慟哭する。

「何がしたいんだ、お前らぁぁぁぁ!」

 CALブレードを引き抜き、銀河は突撃した。


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