第82話 お父様と僕

 夜。ふと、何かが動く気配を感じて目が覚めてしまった。


「むにゃむにゃ‥‥‥みーちゃん‥‥‥」


 ちらりと横を見てみると、隣のベットで紗夜が気持ちよさそうに抱き枕を抱えながら眠ってる。‥‥‥え、抱き枕の頭の方に僕の顔写真が付いてるんだけど‥‥‥剥がしておこう。


 紗夜はメイドの立場として今回の小旅行に来たけれど、他の家人たちとは違って寝起きしているのは僕たち家族と同じドームだ。他の家人たちは近くでテントを張っているか、施設の寝泊まりできるところで寝ている。


 反対側を見てみると、お父様が寝ているはずのそこには誰もおらず、さらにその先のお母様が見える。


「お父様‥‥‥?」


 どうやらお父様が起きた気配だったみたい。こんな時間にトイレとかだろうか? まぁ、お父様もそろそろ四十手前、おトイレが近くなったのかな。


 そう思って寝直そうと目を瞑り直して。


「‥‥‥帰ってこない」


 トイレならあきらかに終わってるだろう時間になってもお父様が戻ってくる様子が無く、それがなんだか気になって眠れなくなってしまった。


 もしかして今日の魚釣りやバーベキューのことで落ち込んでるのかな?


 魚釣りでもあれだったけど、バーベキューでも意気込んだお父様はそれが空回りしてお母様に怒られてたし。


「はぁ‥‥‥」


 どうもこのままじゃ眠れそうにないのでお父様を探しに行くことにする。


 夜の森の中は冷えるためカーディガンを羽織ってドームの外に出ると、探すことも無くお父様は直ぐに見つかった。


 出てすぐのところにあるデッキのところに座りながらぼんやりと星空を眺めてる。


「お父様、風邪をひきますよ?」


「澪‥‥‥? すまない、起こしてしまったか」


「いえ、僕も外の空気を吸おうと思っただけですから」


 そう言ってなんとなく僕もお父様の隣に座って空を見上げた。


「あれはレグルスでしょうか?」


「しし座は春の星座だからな。合ってるだろう。澪は物知りだな」


「これくらい普通ですよ」


 ここは森の中だから満天の星空とはならないけど、枝や葉に隠れたところから知っている星を探すのはそれはそれで趣があると思う。


 物音一つしなく、とても静かだからだろうか。いつの間にかぽつぽつと話していたお父様との会話も途切れて、お互いに無言の時間が流れる。


 こうなると改めて思い浮かべるのは魚釣りでの時のことだ。


 僕はお父様、お母様から本物の近衛澪を奪ってしまったのではないかという疑念。


 二人は僕のことをとても愛してくれている。それを毎日感じてる。


 だからこそ二人の愛を素直に受け取っていいのかわからない。もしもその愛が変わる前の僕。僕の胸の内にいる私に向けられているものだとしたら、それを僕が受け取ってしまうのはちょっと違う気がする。


 でも、現金な僕は二人の愛を欲しがっている。だってたとえまがい物だとしても今の僕は正真正銘の近衛澪だから。このことを考え出すと、本当に頭がパンクしそうになる。


 そしてお返しに、せめてもの償いに、僕は近衛家の令嬢として相応しくあれるようにしている。それが二人の愛に対する報いだと信じて今までそうしてきた。


「‥‥‥」


 本当にこれでいいのだろうか?


 本当は僕のことを打ち明けるべきなんじゃないだろうか?


 友達には話せないとしても、家族になら‥‥‥。


「お父様」


「ん? どうしたんだい?」


「その、僕は‥‥‥」


「うん?」


「‥‥‥近衛家の令嬢として相応しくあれてるでしょうか?」


 結局言えなかった。他の人の記憶があるなんてこと、言ったところでどうしようもないから。


 それに人生を左右するかもしれないことだし、一時の感情の流れで軽々しく言えることじゃない。場合によっては近衛グループに根幹にかかわることだ。


 だからそれとなく別のことを聞いてみた。まぁ、これも気にしてたことだけど。


 僕の質問を聞いたお父様はポカンとした表情を浮かべた。と思ったら、おかしそうに笑われた。


「お父様?」


「あはは! いや、すまない。急に澪が随分深刻そうな顔をするからどんなことを言われるのかと思えばそんなことだから。てっきり今日の失敗でお父様嫌い!なんて言われると思ってしまったよ」


「そんなことって、結構真剣に聞いてるんですけど」


「そんなことだよ。澪が思い悩んでることはお門違いもいいところさ」


「そうなんですか?」


「そうだよ。だいたいこの俺でもこうして今近衛家のトップに立ててるんだ。澪が近衛家の令嬢に相応しくないなら、俺なんてとっくに近衛家から追い出されているよ」


 まぁ、確かに。お父様、結構色々やらかしてるしなぁ‥‥‥。


「それもそうですね」


「うぐっ! 娘が厳しい‥‥‥」


 そりゃあ厳しくもなりますとも、今日のお父様を見ていれば。


「まぁとにかく、澪は十分に近衛家として自慢の娘だよ」


「それならよかったです」


「そもそもあまり相応しいとか相応しくないとかそういうことは考えなくていい」


「いや、それは‥‥‥」


「俺はどんな形であれ今こうして澪がいてくれるだけで十分だよ」


「お父様‥‥‥ありがとうございます」


 お父様の言葉が嬉しくて、少しだけ甘えるように身を寄せる。


 別に何かが解決したわけじゃないけれど、ちゃんとここにいていいと言われたみたいですごく安心した。


 いつかは今言えなかったことを言わなきゃいけない時が来るかもしれない。でも、たとえその時が来てもきっとお父様なら僕のことを変わらずに受け入れてくれるって思える。


 だから今はまだ、もう少し勇気が溜まるまではこのままで。


 僕たちは静かに親子の時間を過ごした。



 ■■



 次の日。小旅行最終日。


 昨日はお父様と過ごして夜更かしをしてしまったので少し遅めに起きてドームを出ると、そこには釣竿を肩に担いだお父様が準備万端といった様子で立っていた。


「お父様?」


「澪! 釣りに行こう! 今日こそはたくさん釣ってみせるぞ!」


 いや、今日最終日ですし、予定ではお昼前には出発して帰りに寄り道がてら他の観光スポットを色々回るんじゃ?


 そう言いたいところだけど、目をギラギラさせているお父様を見て悟った。これはきっと何を言っても無駄だ。運転してる時と同じ雰囲気だし。


 まぁ、まだ朝早いし、今から行けば出発する前には終えられるかな。お母様はもう少しゆっくりするだろう。


 この前の夜はお父様に元気づけてもらったし、それのお返しだと思えばいいか。


「仕方ないですね。今日は大物を釣ってくださいね?」


「任せろ!」


 追記。結局お父様は何も釣れなかったことをここに残します。なんなら川に落ちました。

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