第70話 講師泣かせ
最後にそっとカラトリ―を置く。
緊張していた身体から力を抜くように張り詰めていた息を吐いた。
僕の様子を正面から見ていた先生が何故か顔を引きつらせている。
「あの、近衛様‥‥‥今日は自分のお作法のどこがおかしいのか見てほしいってことでしたよね?」
「えぇ、どこがダメだったでしょうか?」
「ダメ‥‥‥というか‥‥‥」
作法教室が始まってだいたい2時間。そろそろ正午になろうとしているころだ。
ここまで色々とお題を出されてあれこれさせられた。例えば基本的なものだと歩き方やお辞儀の仕方といったものや、お茶会や舞踏会での応用的なものまで実践させられた。今はやってるのは一番の懸念であったテーブルマナーだ。
ただ、不思議なのはどれもとりあえず一回やってみてと言われてその通りやってみると、それを見ていた先生は唸るような難しい顔をしたと思ったら、結局なにも指摘されることなく次のことに進んで行くことだ。
先生からここまでなにか指導されたようなことが何もないっていうのは一体どういうことなのか。今も何故か黙り込んで顔をピクピクさせてるし。
「——ッ!?」
ふと、気づいた。もしかしなくても、やっぱり僕の作法はどこから指摘していいかすらわからないほど壊滅的なんじゃないんだろうか。
そして難しい顔をしているのは、それをどう伝えればいいのか困っているということに違いない。
これでも僕は近衛家の令嬢。あんまりな評価をそのまま伝えたら反感を買うことになると思われても仕方ない。なにせ近衛家を敵に回せば誇張なく明日の朝には東京湾に浮かんでいると言っても過言じゃないんだから。そりゃあ言いにくいわ。
でも僕はここに作法を習いに来たんだから遠慮なく言ってもらわないと。にしても先生、めちゃくちゃ厳つい見た目なのに結構ビビり?
「先生。たとえどんな酷評だろうと改善するよう受け止めますから、問題点をしっかり言ってくれませんか?」
「う、うむ。じゃあもう一度確認なんだが、本当に君はここに礼儀作法がおかしいから見てもらいに来たってことでいいんだよな?」
「はい。そうです」
「なら、俺から言えることは一つだ」
先生はそう言うと、ジッと僕の目を見つめてきて。
「申し訳ありません。当教室で教えられることは何もありません」
そう言って深々と頭を下げて来た。
「えっ‥‥‥」
これは、どういうことだ? 教えられることは何もないって‥‥‥いやいやいや、そんなわけないでしょう! だって僕、中身庶民だよ? 礼儀作法を意識しはじめたのだって、ここ一年足らずのことなのに、んなわけ。
つまりあれか? また僕の出来が悪すぎて教える気力もわかないってことか? そういえば、そもそもこの教室に入るには厳しい試験をしなくちゃいけないってことだし。
でも、この厳つい先生に見捨てられたら。僕はもうどんな先生でもダメな気がするぞ。ここは何が何でも指導いただかなければ‥‥‥。
「そ、そんなこと言わないでください! どんなに厳しくてもいいですから!」
「無理です! あなたに教えられることはありません! というかあなたに教えられる人がこの世にいるとは思えません! どうか、どうかお引き取りください! 我が不徳の致すところは平に、平にご容赦を!」
「——なっ‥‥‥。それならやはり、もう先生しかいません! どうか見捨てないでください!」
「う、うぅ‥‥‥無理だってぇ、自分より上手い人に何を教えろって言うんだよぉ‥‥‥どんな罰ゲームなんだよぉ‥‥‥」
「え、えぇ‥‥‥」
どういうこと? 僕の方が上手いって、なんの間違いだ?
「あ、あの‥‥‥」
「ひぃっ! 怖い! 権力者怖いぃぃ~~~!」
僕が一歩近づくと、慄くようにイスをひっくり返して、這いずりながら後退る先生。大きな体を全力で縮こまこませている。
「帰ってくれ! もう帰ってくれよぅ~! オ~~イオイオイオイオイ!」(泣)
「‥‥‥」
こんなガチムチの大人が、ガチ泣きしとる‥‥‥。あとオイオイって泣く人初めて見た。
僕がこの状況に困惑してると先生の鳴き声が聞こえたのだろう。別室で待機していた紗夜がやってきてくれた。助けて!
「紗夜‥‥‥」
「はぁ~、やはりこうなりましたか。だからあれほどやりすぎないようにと言いましたのに」
紗夜はそう言うと、未だにオイオイ泣いている先生の傍に近寄って行く。
「明王院様、本日は失礼いたしました。また、ご当主様より本日の事はこちらに責任があるため明王院様のことは罰しないと言を頂いていますので安心してください」
「ほっ‥‥‥。よかったぁ~、よかったよぉ~~! オ~~イオイオイオイオイ!」
そしてまた泣き始める先生。でも今度は恐怖からの涙ではなく、安堵からの涙みたいだった。
「‥‥‥」
いや、どういう状況?
「さぁ澪さま。これ以上、明王院様に迷惑をかけないうちに帰りますよ」
「あ、ちょ! 僕に説明を! 状況の説明を!」
しかし紗夜は一刻も早くこの場を後にしたいようで、先生に挨拶もできないまま僕たちは作法教室から出て行くのだった。
■■
「もう、いったい最後のは何だったんですか? 結局先生には何一つ教えてもらえなかったし、戻りたいんですけど」
「明王院様に止めを刺す気ですか‥‥‥」
ここは駅前にあるとあるカフェ。
実は僕の趣味の一つにカフェ巡りがあるのだけど、今日は本来なら一日作法教室だったのに紗夜に追い出されたせいで時間が空いてしまったため、前々から気になってたここに来ていた。
僕はティラミスとショートケーキ、チーズタルトを、紗夜はモンブランを注文して向き合って座っている。モンブランも美味しそうだなぁ。
ちょっと拗ねたようにティラミスを食べていると、紗夜に「はぁぁ~~~」とクソでかため息をつかれた。おい、僕ご主人!
「澪さま。何度も言いますが、澪さまに作法の教師など必要ありません」
「いや、そんなわけないでしょう」
僕がすかさず反論すると、紗夜は心底あきれたように僕の方を見てきた。なんだお!
「では質問しますが、魚は生まれてから誰かに泳ぎ方を教わりますか?」
「いいえ、最初から泳げます」
「では、鳥は飛び方を誰かに教わりますか?」
「いいえ、成長したら飛べるようになるでしょう」
「分かってるじゃないですか。ですから、そういうことです」
‥‥‥どういうことだってばよ。
「いいですか? たとえば、魚が誰に教えられなくてもスイスイと泳ぐことができるように。たとえば、鳥が成長すれば自然と大空を羽ばたけるように。それと同じで澪さまは生まれながらにして完璧な作法を体現しており、成長するごとにその精錬さに磨きがかかっているのです。だから澪さまに教えることができる人なんていません。人間に心臓の動かし方を教えるようなものです」
紗夜には珍しく、なかなか長文で話して説明してくれる。
でもゴメン。
「紗夜、いったい何言ってるかわかりません」
「はぁぁぁ~~~~」
「あ! またクソでかため息!」
「そりゃ、ため息もつきたくなります」
「むむむ、そんなに言うなら紗夜が教えてくださいよ」
紗夜だってメイドだけどそれ以前に鷹司家の令嬢なんだ。いつもお昼はカロリーメイトと味噌汁しか食べてないとはいえ礼儀作法はそこらの令嬢よりはうまいはず。
「なるほど。納得してくださるならそれもいいですね。ではさっそく‥‥‥」
そういうと、何故か紗夜はモンブランにフォークを刺して僕の方に向けてくる。
「紗夜?」
「はい、あ~ん」
「あ~ん‥‥‥うまぁ~♪」
「ほっぺたにクリームが付いてますよ」
「え、どこ?」
「ここです」
「ん、ありがと」
「はい。これが作法です」
「‥‥‥は?」
「恋の作法です」
「‥‥‥」
ドヤ顔でな~に言ってんだコイツ‥‥‥。
結局僕たちは、このあともいくつかカフェを巡って休日を過ごしたのだった。
でも僕は諦めないからな! いつか絶対誰かに教えてもらうんだ!
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