第69話 作法の不動明王
今日は前々から行こうと思っていた礼儀作法、特にテーブルマナーについて習いに行く日である。
行こうと思ったきっかけは麗華と美琴ちゃんと初めて昼食を一緒に食べた時にマナーの指摘されたからだ。
僕のテーブルマナーは麗華からは眩暈を感じるほど出来てないと言われ、美琴ちゃんからは気になって夜も眠れないと言われた。
一応、自分でもマナー講座の教本を読んだりして練習はしていたものの、やはり中身庶民の付け焼刃のようなもので、本物のお嬢様である二人から見れば相当酷いものだったんだろう。
露骨に言われたわけじゃない。でもそれは二人とも優しいから気遣ってくれたのか表面的には下手とは言われてないけれど、それはきっといわゆる貴族言葉であり、直接的な表現を避けたんだと思う。
それからというもの、僕自身も気になってしまって食べる物はなるべく作法が気にならないサンドウィッチなどにしているし、なにより九条さんにマナーが出来ていないなんて思われたくないから昼食に誘うことができていない。
それにこれでも近衛家の令嬢。今はまだ回数は少ないけれど、これから何度も取引相手といった偉い人たちと会食をする機会があるはずだ。その時にちゃんとできていなければ、近衛家の品位を落すことになる。
だから習おうと思ったのに何故か両親には必要ないと反対された。
それでも紗夜に頼んで両親を説得し、こうして一度先生に見てもらおうということになったのだ。
「澪さま、到着しました」
いつもの送迎の車が止まると、先に降りた紗夜にエスコートされながら僕が降りる。
「ありがとう」
やってきたのは駅前にあるテナントビル。このビルにお作法教室が入っているらしい。もっと古民家的というか、わびさびな感じの場所にあると思っていたからちょっと意外だ。
でも、軽く調べたところによると、この教室は入会するのにも試験が必要でそれに合格するのも大変らしい。
けれどその分、教え方も上手なようで口コミなんかには『あの生意気ざかりだった息子が一端のジェントルメンに!』『ここに通うようになってから私に対する周りの目が変わりました!』といったふうに、評判はかなりの好評だった。だから結構期待している。
「参りましょう」
「はい」
送迎の車はリムジンなため、人通りが多い駅前なんかにあったら目立つ。
運転手さんが一礼すると、すぐさま走り去っていった。
それを見送って、僕と紗夜はテナントビルへ入り、エレベーターで七階へ。
チンと到着の音がなり、扉が開いた時、紗夜がぼそりと何かを呟いた。
「‥‥‥澪さま、やりすぎないでくださいね」
「え?」
「近衛様、お待ちしておりました。講師を務める明王院と申します。今日はよろしくお願いします」
その時、太い男性の声が聞こえて。
「‥‥‥へ?」
その場に『ズン!』と待ち構えていた筋骨隆々の男の姿に、思わず間の抜けた声を出してしまった。
■■
その男の名は、
上背が高く身長は二メートルを超え、身体つきも筋肉質でがっしりしており、顔立ちは厳つい。極め付きにはスキンヘッド。いかにも堅気には見えない背格好である。
しかしてその正体は、その業界では言わずと知れた礼儀作法の人気講師だ。掲げる座右の銘は『作法のなってない者は人間失格』。
彼が講師する礼儀作法の教室に入れば、たとえどんなに生意気で天狗になっているガキだろうと、たちどころに更生させ完璧な作法を身につけられると言われている。そのことからか彼は度々『作法の不動明王』というあだ名で呼ばれる。
教室の他に名家の子息子女の家庭教師も務めており、その予約スケジュールは二年待ち。藤ノ花学園でも年に数回、特別講師として招かれるほどだ。
さて、そんなジンには今日、さる御家から突発的にとある令嬢の作法のほどを見てほしいという仕事が入っていた。元々は別の生徒の家庭教師の時間だったのだが、その生徒が体調不良で休みであったため、その代わりにということになる。
本来なら割り込みのようなことは認めないのだが、その令嬢の家格のことを考えると断りにくく、渋々ながら受けることにしたのだ。
「まったく、これだから権力者は嫌いなのだ」
ジンは顔を顰めてそう言うと、改めて今日やってくる生徒の資料に目を落す。
生徒の名前は近衛澪。かの天下の近衛グループの一人娘らしい。
近衛グループといえば日本経済を二分する財閥の双璧であり、最近ではグループ企業だけで国内総生産の10%を叩き出しているとまで言われる大財閥である。
その娘ともなれば、まさに日本一金持ちで、日本一権力を持った子供と言っても過言ではない。
いったいどれだけ高飛車で高慢ちきで生意気なガキなのか。
「だいたい名家の令嬢ならばその分教育も厳しくしっかりしているはずだ。それなのに、学園が始まったこの時期にいきなり見てほしいなど、いったいどれだけ酷いんだ」
今から彼女がやってくることを考えて、少し頭が痛くなる気がするジンだった。
それでも引き受けた仕事だ。たとえどれだけ酷い令嬢だとしても、自分にできる限りのことをしようと気合を入れる。
「そうだな。突然の割り込みに俺も思う所が無いわけじゃないし、たとえ泣きわめくことになろうがいつもの三倍厳しくするか。先方の当主も俺に任せるということはそういうことだろう」
そんなことを考えながら今日の講義の内容を考えていると、とうとう件の生徒がやってくる時間になる。
ジンは生徒を迎えに行くため教室前のエレベーターの元まで向かうと、出迎えるためにその場で待つ。
そしてついに、エレベーターの開閉音と共に近衛家令嬢、近衛澪がやって来た。
「近衛様、お待ちしておりました。講師を務める明王院と申します。今日はよろしくお願いします」
ジンはそう完璧な礼儀作法で挨拶すると、チラリと澪の様子を伺う。
艶やかな黒髪に透き通るような白い珠の肌。紫紺の瞳は神秘的で、顔立ちは暴力的なまでに整っている。
澪はジンを見て呆けたように見えたものの、それはまさに瞼の瞬き一回分くらいの瞬間で、すぐに柔らかい令嬢の微笑みを浮べた。そしてジンに対して流れるような一礼をしてみせる。
「近衛澪です。こちらこそよろしくお願いします」
(ほう‥‥‥)
澪のその洗練された一挙手一投足を見て、ジンは思わず内心で関心を抱く。
どんなゴジラのような令嬢が来るのかと思っていたが、どうやら人間ではあったらしい。
(そういえば、重点的に見てほしいのはテーブルマナーということだったな)
ということは、それだけ食事の仕方が大怪獣ということだろうか。ジンが一目見た限り、今のところとてもそんな風には見えない。
(いや、今の一礼を見れば彼女が作法が出来ていないわけじゃないことは分かる。とりあえず、一通り見せてもらうか)
「講義をするのは今日一日だけなため時間がありません。さっそく始めようと思うのですが、よろしいですかな?」
「もちろんです。よろしくお願いします」
ジンは澪を案内しながら、さっそくその歩き方に目を向けるのだった。
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