第27話 紗夜の気持ち



「もちろんだよ! さっちゃん!」


「——っ!」


 まるで幼い頃のような満面の笑みと一緒に昔の呼び方で名前を呼ばれて、紗夜の心臓がドキンと跳ねた。同時に顔がかぁ~っと熱くなってくる。


 するとその時、部屋の扉がコンコンとノックされて、近衛家のメイドの一人が澪にお風呂の準備ができたことを知らせに来た。


「わかりました」


 澪はメイドにそう答えると、紗夜に向き直る。


「それじゃあ僕はお風呂に入ってくるね。さっちゃん、またあとで」


「う、うん」


 紗夜がコクリと頷いたのを見届けて、澪はお風呂を入りに部屋を出て行った。


 澪を見送って、紗夜は「ふぅ~」と顔の熱を冷ますように息を吐く。


「‥‥‥あの調子じゃ、私の気持ちには気づいてないんだろうな。みーちゃん、にぶちんだし」


 普通は恋愛対象がうんぬんとか聞かれたら、何か察するものがあるだろう。けれどそれを聞いたときの澪は、なんでそんなこと聞くんだろう?みたいな顔だった。


 質問には真剣に答えてはくれたけど、その真意までは絶対分かってない。だっておでこにキスしたのはお礼で、友達同士ならこれくらい普通とか言っちゃうような人だ。


 おでこにキスされた時の西園寺さまの真っ赤な顔を見れば、普通じゃないことくらいわかるだろうに‥‥‥。


 それからそう、問題はその西園寺さまだ。


「あの人、絶対にみーちゃんのことが好きじゃん。今日のあの時、絶対告白しようとしてたし。‥‥‥本当になんでみーちゃんは気づかないんだろう?」


 思い出すのは今日の忌々しき昼食会。向かう時の嫌な予感は完璧に大的中した。本当に宿敵が現れたと言っても過言じゃない。


 あの時、西園寺さまは澪に想いのたけを叫ぼうとしていたのはその場にいた誰の目にも明らかだったろう。


 だからこそ澪が西園寺さまに向かって「大好きです」って言った瞬間、紗夜は足元がグラグラと崩れるくらいのショックを受けたのだ。西園寺さまの告白にイエスと答えたと思ったから。


 しかもその後に流れるよな顎クイと、名前呼びからの額にキス。こんなの誰だって二人は恋人になったのだと誤解するに決まってる。


 なんだ、お刺身が美味しすぎてお礼を言った時についポロっと漏れちゃうって! 罪作りにもほどがある! そんな時にポロっとするな!


 もしかしたら西園寺さまも自分と同じ哀れな被害者なのかもしれない。今度、被害者の会を結成して澪に責任追及をして二人に対して責任をとってもらおうか。


「‥‥‥ううん、やっぱりみーちゃんがほかの人に盗られるのはイヤ。責任を取ってもらうのは私だけでいい」


 もう、あんなショックを味わうのはこりごりだ。心が引き裂かれるような思いだった。思わず持っていたお盆をかち割らないと耐えられないくらいに。


 澪に言った西園寺さまが『澪ちゃん』って呼ぶことに思う所があるというのも嘘じゃない。けれど紗夜の本当のところはもっと深いところで嫉妬していたのだ。


 でも本当に澪が西園寺さまを選んだのなら、紗夜が横から口に出すことはできない。だからこそ紗夜は気持ちに蓋をするために完璧なメイドに成りきることに徹していた。


「結局それは私の勘違いで、いたずらにみーちゃんを傷つけただけだったけど‥‥‥」


 紗夜は「はぁー」と長い溜息をついた。


「とりあえずは西園寺さまは要警戒。あとは徳大寺さまもちょっと怪しい。女たらしのみーちゃんが学園に来たら何人かたらし込まれるとは思ってたけど、まさか二日で二人なんて‥‥‥もしかして毎日一人ずつ増えるとかないよね‥‥‥?」


 嫌な想像をしてしまって、振り払うようにその考えを飛ばす。


「とにかく西園寺さまを出し抜くためにも、私ももっとアピールしないと。私はみーちゃんのメイドだから一緒にいる時間も長いし一番有利なはず‥‥‥」


 ただ、紗夜はそれが難しいことも身をもって分かっている。


 紗夜の性格もあってメイドと主人のときはどうしてもメイドの矜持が邪魔してしまうし、自分がアプローチを仕掛けても気がついたら逆にメロメロにされている時もザラにある。


 何か澪に自分を意識させることができるとっておきの方法があればいいのだが‥‥‥。


 紗夜はそう言えば西園寺さんも露骨なアピールをしていたなと思い出した。あれには澪も少し意識していたと思う。


 そしてチラリと自分の胸元を見つめる。‥‥‥まさに断崖絶壁。


「ぐぬぬ‥‥‥納得いかない!」


 西園寺美琴‥‥‥自分と同じくらいの身長のはずなのに、何なのだあの胸は! 私に喧嘩を売ってるとしか思えない! まさに宿敵!


 紗夜はしばらくこの世の理不尽に泣いた。


「‥‥‥今考えてもいい案は浮かばないか。いつまでもみーちゃんの部屋でこうしててもしかたないし」


 色々と考え事をしたおかげで、すっかり顔の熱も冷めて気持ちも落ち着いた。まぁ、また別の意味で少し落ち着かないけど。


 紗夜はお仕着せであるエプロンを身に着けると、仕事モードに切り替える。


「まずは澪さまの着替えを準備しますか‥‥‥——あっ!」


 その時、紗夜の頭にピコンと浮かぶ電球。


「そういえば私は今、澪さまの『幼馴染』でしたね」


 さっき澪に言った我がままを思い出して、いつも無表情の口角が少しだけニヤリとした。


「ふふふ、いいコトを思いつきました。アプローチなんて簡単でしたね。昔、澪さまが私にしたようにすれば、澪さまも私無しでは生きられない身体にできるはずです。私が味わったことをし返してやりましょう!」


 それから澪と話したことですっかりいつもの調子に戻った紗夜は「今日の澪さまのおパンツは~♪」なんて鼻歌を歌いながら、着替えの準備を進める。‥‥‥澪と、自分の分を。


 小さな復讐心を胸に、この後の展開に想いを馳せながら、紗夜の内なるHENTAIが目覚めようとしていた。

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