第26話 理由


 夕飯を食べ終えて自分の部屋に戻って来た。


 ご飯はいつも家族揃って食べているので、その時に両親にダメもとで作法のことを話してみたのだけど、やっぱりあまり真剣に取り合ってくれなかった。近衛家にとっても大事なことのはずなのに‥‥‥。


 というか、二人は目の前で僕の壊滅的だと言われた作法を見ているはずなのに何故何も言わないのだろうか? ‥‥‥もしかして、既に両親からも見放されてる?


 そんなことを考えていると、コンコンとノックする音。無視されるかとも思ったけど、ちゃんと紗夜は来てくれたらしい。


「失礼します。何か御用でしょうか?」


 いつもの無表情で、あくまで事務的に淡々とそう言ってくる紗夜。普段と変わらないように見えるけど、やっぱりどこか不機嫌‥‥‥ううん、やっぱり悲しそうだ。


「紗夜と話がしたくて呼びました。こっちに来てください」


「いえ、私はメイドですので」


 対面のソファーを勧めるとそう言って拒否される。紗夜にメイドの矜持があるのは分かるけど。


「今はメイドの紗夜じゃなくて、幼馴染の紗夜です」


「‥‥‥わかりました」


 紗夜の言葉を遮るようにそう言うと、紗夜は渋々といった感じでお仕着せであるエプロンを取って対面のソファーに腰かける。


「それで、お話というのは?」


 普通こういうのはお茶を飲んで場を温めてから話を切り出すものだけど‥‥‥紗夜となら必要ないか。それに僕もそんな回りくどいことをしても、正直なんて聞けばいいのかわからないからな。


 数秒だけ悩んで、結局そのまま質問するしかないと思った僕は、もうストレートに聞くことにした。


「紗夜の態度のことです」


「何か粗相をしてしまいましたでしょうか。もしそうならお詫びしま——」


「そうじゃなくて! ‥‥‥どうしてそんな素っ気なくするの? 僕がなにかしちゃったならちゃんと謝るから、理由を教えてよ」


 切実な思いを込めてそう言うと、紗夜はキュッと下唇を噛んで俯く。


 何かを葛藤しているようで、しばらくその様子を見ていると、やがて怯えるように紗夜は口を開いた。


「‥‥‥澪さまは、西園寺さまのことが好きなのですか?」


「‥‥‥え?」


 突然予想だにしないことを聞かれてびっくりした。


 美琴ちゃんのことが好きか嫌いか? そりゃあ当然、美琴ちゃんは僕の天使だし好きだけど。


「えっと、もちろん好きですよ? 美琴ちゃんは大事な友達——」


「違います! そういうことじゃなくて、恋人として‥‥‥恋愛の対象として聞いてるんです!」


「‥‥‥はぁ?」


 今度こそ紗夜は何言ってるんだ? 美琴ちゃんが恋愛対象としてなんて——まさか!?


 ば、バレたのか!? ついに僕の本性が‥‥‥でも、確かにずっと一緒にいる紗夜にならもしかしたら可能性はある。


 ちらりと紗夜のことを伺うと、僕の答えをやけに真剣な様子で待っている。


 これはバレたかどうかは分からないけど、答えをはぐらかすのはできそうにないな。


 僕は美琴ちゃんが恋愛対象として好きかどうかを真面目に考えてみる。


 美琴ちゃんはとにかく可愛い。優しくて、きっと恋人になったら尽くしてくれるタイプだろう。十分に魅力的な女の子だ。


 でも僕が恋愛対象として好きかと聞かれれば、う~んって感じかな。美琴ちゃんと出会ってまだ数日だし、もしかしたら今後でそういうことを意識することがあるかもしれないけど、今はまだLikeというか友達としての好きが大きい。


 まぁ、そもそも仮にLoveだったとしても言うわけにはいかないんだけど。紗夜が真剣に聞いてくるから、僕も紗夜に目を合わせて真剣に答える。


「美琴ちゃんはやっぱり大事なお友達です。紗夜が言ってるような気持ちはありません」


「なら、大好きって言ったのはどういった意味だったのですか!?」


「大好き? あぁ、昼食会で僕の好物のお刺身が出てきたからですね。それから美琴ちゃんは僕の至らない点を指摘してくれましたから、そのお礼を言った時についポロっと思ってたことが漏れちゃっただけです」


「‥‥‥でも、西園寺さまにキスしてたじゃん」


「キス? あぁ、おでこにした‥‥‥だからあれはとどめを刺したんじゃなくて、ただ名前を呼んでくれたことが嬉しくてお礼をしたかっただけですよ。おでこにキスするのくらい仲のいい友達同士なら普通でしょう?」


 姉ちゃんも言ってたし。『仲のいい女の子同士ならおでこにちゅっちゅするくらい普通普通!』って僕のおでこにキスしてきた時に‥‥‥って、姉ちゃんめ僕は男だ!


 まぁいい、昔はともかく今は女の子なわけだし、あれくらい普通なはずだ。


 う~ん、さっきから紗夜の質問の意図がよくわからないな。僕の恋愛対象とか、美琴ちゃんにキスしたこととか、なんでそんなことを聞いてくるんだろう? それに紗夜の様子とどんな関係が?


 そう思って紗夜のことを見てみると、紗夜は何故か頭を抱えてため息をついていた。


「はぁ~~~‥‥‥そうでした。澪さまは天然たらしでしたね‥‥‥。かつては私も‥‥‥」


 うん? なんかよくわからないけど、不名誉なことを言われてる気がするぞ。


「それで結局、紗夜はどうしたんですか? 僕が何か嫌な気持ちにさせることをしちゃったの?」


「いえ、もういいです。私の勘違いでしたから」


「よくない! ちゃんと教えて! 紗夜が機嫌を直してくれるなら、なんでもするから!」


 思わず僕がそう言った瞬間、紗夜の肩がぴくりと跳ねた。そしてなぜが紗夜の瞳がキランと光った気がする。


「なんでも……?」


 あれ、おかしいな……なんか寒気が。もしかしたらなんでもは言いすぎたかもしれない……前言撤回は出来さなそうだけど。


「え、えっと、僕のできる範囲なら……」


「……今の私は澪さまのメイドじゃなくて幼馴染なのですよね? ……なら今日は寝るまで幼馴染のままがいい――みーちゃん」


「ぁ……」


 昔の呼び方で呼ばれて思わずハッとする。


「私、西園寺さまがみーちゃんのことを澪ちゃんって呼んだのを見て、なんだか嫌な気持ちになった。今の私はみーちゃんのメイドで、もうそんなに気安く呼べないから……自分でこの道を選んだのに」


「紗夜……」


「西園寺さまに嫉妬して拗ねて、だからみーちゃんにあんな態度をとった。ごめんなさい」


 そう言って紗夜はペコリと頭を下げる。その姿を見つめながら僕は思う。


 そっか、僕は自分で紗夜のことを幼馴染って思いながらも、目覚めてから主従としてしか接してなかった気がする。


 ずっとってわけじゃない。例えば一緒に車で登校したり、麗華と昼食を食べた時に一緒に座ったりと、たまに僕の我がままに付き合ってもらうことはあった。


 でも、昔みたいに一緒に遊んだりだとか、もっと対等な立場で過ごすことはほとんどなかったと思う。


 そんな時に、他の誰かと親しいところを見せられたら誰だっていい気はしないだろう。


 僕だって紗夜が僕の知らない人ととても仲良さげにしてる時に、それを見てることしかできなかったら嫌な気持ちになる。


「僕の方こそごめんなさい。紗夜の気持ちを考えていなくて。これからは紗夜も昔みたいに呼んでも——」


「いえ、私は澪さまのメイドですのでそれは遠慮させていただきます」


 いや、そこは遠慮するんかい!


「でも‥‥‥」


 お?


「今日みたいにたまにでいいから、幼馴染に戻ってもいい‥‥‥?」


 そう言って少し上目遣いでいじらしくお願いしてくる紗夜。


 紗夜の可愛いしぐさにキュンとしながらも、もちろん僕の答えは決まってる。


 紗夜のことを昔みたいに呼ぶことにちょっと気恥ずかしさを感じつつ、僕は笑顔で答えた。


「もちろんだよ! さっちゃん!」

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