第24話 とどめの一撃


 昼食が終わって食後のお茶をする。美琴は今、幸せの絶頂の中にいた。


 ぴとりと身体をくっつけて、好きな人の温もりを全身で感じる。ずっとその人のことを見ていたくて目が離せない。


 けれど触れられると恥ずかしい。見つめられると身体が固くなる。


 それはたぶん近衛様も同じなのだろう。


 今もまた、少し居心地悪そうにしてちょっとだけ離れてしまわれた。


 だけどそれじゃあ触れ合いたい欲求を我慢できない。恥ずかしいけど、またぴっとりとくっつく。


 どうしてこんなせめぎ合うような気持ちになるのだろう? 美琴はそう思って、しかし答えは直ぐに出た。


(両想いになったからかな)


 自分の好意が相手に知られていて、自分も相手の好意が向けられていることを知っている。そのことが嬉しくて、でも同時に恥ずかしくて、またそれを上回るくらい好きが溢れて、自然と行動に現れる。それが両想いの距離感なのだろう。


「あのぉ、美琴ちゃん? さっきから近くないですか?」


「そ、そうですか? 普通だと思います、よ? ‥‥‥両想いですから」


「そうですか‥‥‥」


 きっと近衛様も美琴と同じようにこの気持ちに戸惑っているのに違いない。その証拠にくっついている腕がちょっとだけ押し付けられた。


 むにゅっと胸の形が変わるのが分かって、普段は恥ずかしくて仕方がないところだが、今はそれよりも近衛様に対する愛おしさの方が大きいからそれほど気にならない。


(はぁ‥‥‥幸せです‥‥‥。初デートはどこに行こう‥‥‥?)


 せっかく両想いになれたのだ。もっと二人でいろんなことをしてみたい。


 もちろんバレたら破滅ということは分かっている。けれど誰もいない場所だとか、咄嗟に誤魔化せる場所なら。


 う~んと悩んで、美琴は一つある場所を思いついた。


(水族館はどうかな? 他の家の子は臭いとか人混みが多いとかいって近づかないし、もし知り合いとかにあっても暗いから誤魔化しやすいし)


 自分で考えて結構いいと思った。それに美琴は水族館が好きだ。落ち着くこともあって、ネガティブ思考で気分が晴れない時はよく泳ぐ魚を見に通っていた。


 自分の好きな場所に大好きな近衛様と行けたらどれだけ楽しいだろう。それを想うだけで心が弾んだ。


「ねぇ、美琴ちゃん。少し聞きたいことがあるんですけど‥‥‥」


 その時、近衛様がそんなことを言ってくる。


 美琴はなんだろうと思ったが、すぐにピンときた。


 自分たちは両想いで心が通じ合っている。ならきっと考えていることも同じはずだ! それすなわち初デートのことについて!


「は、はい! 初デートは水族館が良いと思います!」


「えっと‥‥‥いいですね、水族館」


「はい! 美琴は結構好きです! こ、近衛様も好きですか?」


「嫌いではないですよ」


「それならよかったです!」


 美琴は近衛様が水族館が好きと聞いて嬉しくなった。これならきっと水族館に誘っても十分楽しめるだろう。


「それより、美琴ちゃんはお作法とかってどこかで習ってますか?」


 近衛様がそんなことを聞いてきた。美琴は何でそんなことを聞くんだろう? と戸惑いながらも正直に答える。


「お、お作法ですか? 美琴は家に先生が来てくれるので教室には通ってないです」


(——っ!?)


 答えた瞬間、美琴は近衛様の質問の意図に気が付いた。


 自分の家の予定を尋ねて来る。それすなわち近衛様はお家デートをご所望なのだ!


(そ、そんないきなりお家なんて‥‥‥でも確かに美琴の部屋なら完全に二人っきりになれる!)


 完全に二人っきり‥‥‥なんて甘美な響きなのだろう。これはもう、すぐにでもしたい! お家デート!


 美琴は少し興奮気味に、さっそく近衛様の空いている日を聞こうと腕を引っ張る。


「近衛様、近衛様‥‥‥っ!」


「はい? なんですか?」


「近衛様は——んぅ!?」


 そのまま尋ねようとして何故か口を人差し指で止められた。突然のことにびっくりする。


「美琴ちゃん、僕のことは澪って名前で呼んでください」


「え? え? 近衛様‥‥‥?」


「違いますよ?」


 びっくりしたまま戸惑っていると、グイっと綺麗な顔で詰め寄られた。


「ひぅっ‥‥‥あ、あの、近いでしゅ‥‥‥」


 思わぬ接近に顔が一気に火照ってくる。恥ずかしい。恥ずかしすぎてまっすぐ見られない。それなのに‥‥‥。


「こっち向いて」


「ふぁっ!?」


 必死に目を逸らしていると、顎を持ち上げられて強制的に上を向かされた。


(く、クイッて! 今クイッて! これが顎クイ!?)


 美琴は、麗華の家で読んだ恋愛マンガで恋仲の男女のこんなシーンがあったことを思い出した。


 前髪が流れて視界が広がると、近衛様の目鼻立ちもはっきりと見えて、初めて会った時と同じように見惚てしまう。


 いつもは恥ずかしくて逸らしてしまうけど、今はそれもできなくて近衛様の紫紺の瞳と見つめ合う。まるで吸い込まれるようだった。


(あああぁぁぁーっ! こ、このままだと‥‥‥ま、まさか、き、キスを‥‥‥そ、そんな‥‥‥心の準備が)


 あのマンガはあのあと唇を重ね合わせてた。もしかして、自分たちもしてしまうのだろうか‥‥‥。


 決して嫌じゃない。嫌じゃないけど、心臓がドキドキしすぎて破裂しそうだった。そんな中、近衛様が蕩けるような柔らかい声で囁く。


「ほら美琴ちゃん、呼んで? ——み・お」


 呼んだら自分はどうなってしまうのか‥‥‥不安と期待が入り混じった気持ちで近衛様の名前を言う。


「み、みみみっ、みおしゃま‥‥‥」


「だめ、もっかいです。様もいりません。僕は美琴ちゃんって呼んでいるんだから、ちゃん付けか呼び捨てにしてください」


「え、えええぇぇぇ~~~っ!」


(ち、近い近い近いっ! 顔が近いよぉ~っ! 今、ほんとにキスされるかと思った! マジでチュウされるかと思ったぁっ!)


 近衛様に更に急接近されて美琴はパニックになる。羞恥心が全身に伝播して、目の前がグルグルし始めた。


 こんな寸止めのようにされるなら、いっそこのままひと思いに唇を奪ってくれた方が楽になれるかもしれない。


 そんな気持ちに陥りながら、近衛様‥‥‥いや、澪ちゃんの名前を紡ぐ。そうしないと澪ちゃんは許してくれないから。


「はい、どうぞ」


「う、うぅ‥‥‥——お、しゃん」


「うん? 聞こえませんでした」


 そう言って聞き返してくる澪ちゃんに、もう自分でもこれがどんな感情なのかわからなくて視界が涙で滲んでくる。


 上手く吸えない空気を必死にかき集めた。そして、精一杯の言葉で好きな人の名前を呼ぶ。


「——澪ちゃんっ!」


「——っ!」


 目と鼻の先にある澪ちゃんの顔が花がほころぶように喜色を浮べた。もう何度目になるかわからないけど、その可憐な笑顔から視線が剥がせない。澪ちゃんはそのまま目を瞑ったと思ったら、あと少しの距離を詰めてきて‥‥‥。


 ——ちゅっ。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。


 けれど、その部分がジンジンと熱くなってきて、湿っぽくも柔らかい感触が身体全体に広がるようで。


(え、美琴、今、澪さまに‥‥‥)


 離れた澪ちゃんが唇を舐めたのを見て、ようやく額にキスを落とされたのだと理解した。


「ぁ‥‥‥う‥‥‥」


 その瞬間、ギリギリで保っていた羞恥心が限界突破して、目の前が真っ暗になる。


「はい、よくできました。美琴ちゃんに呼んでもらえて嬉しいです! ‥‥‥美琴ちゃん?」


「‥‥‥ひゅう」


「美琴ちゃんしっかり! ど、どど、どうしたのですか!? 紗夜! 美琴ちゃんが! 紗夜~っ!」


 澪ちゃんの声を聞きながら美琴は思う。


(澪ちゃんとの誰にも言えない禁断の恋‥‥‥心臓がいくつあってもたりないかも‥‥‥あっ、でもやっぱり好きぃ)


 その後、禁断の恋に浮かされた美琴は目を覚まさず、午前の授業だけでなく午後の授業も休むことになった。



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